見出し画像

103rd_他人の芝ではなく、自分の芝の手入れを

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

このブログは、
"200~500kmを走るジャーニーラン"というクレイジーなレースにおいて、
その最高峰を目指すとある男の実録である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

■ 毎日大量の行動を起こし、淡々粛々と物事に取り組んでいます。

昨日も仲間内で行う集中する会に参加し、
黙々と勉強に励んでいました。
ちなみに、昨日はトレーナー業はお休みだったので、
朝・昼・晩と都合5回ぐらいに分けて30分〜1時間半ぐらい勉強し、
トータル5時間ぐらいは机に向かっていたと思います。

また、とある技術の習得のために外出をし、
そこでも学び、徐々に身についてきたようにも思います。

それだけでなく、一通りの家事もこなしたり、フルマラソンのことを調べたり、と、やったことだけなら二桁ぐらいの数はこなせました。

これは昨日に限ったことではなく、毎日これくらいの数の物事に取り組んでいます。8月半ばくらいから、To doリストの作成の仕方を工夫し、3つまでするべきことを絞ったやり方が功を奏しました。
まだまだ現実には結果が現れませんが、やるべきことである第一領域が激減し、未来に向けての第二領域的な取り組みにも時間を使えているので、好循環がいずれは起こるだろう、という予感がします。

■ こうやっていろいろな物事に取り組んできましたが、
その一方で、"自分ではどうにもならないこと"というのがあります。

わかりやすい事例で言うと、"天気・天候"や"経済・景気の変動"、すれ違う人、など、そのほとんどが"自分の力ではどうにもならないこと"です。
もっと言えば、世の中で起こることのほとんどが、自分の管理下に置かれていない物事と言えるでしょう。

このような本当にどうにもならないことには手のつけようもないですが、
(それでもやれることはあると思いますが)
もっと身近な人のことでも、自分の力ではどうにもならないことがあります。


■ それは"相手がいること"で、
相手がいることに結果を求めても、それは期待であり、期待通りにならないことなどザラにあります。

自分の指示によって、アレコレ相手に言って、いっときはその通りに相手が動いてくれるかもしれませんが、継続した相手の行動は望めず、相手もイヤイヤやっているからストレスが溜まります。

自分もまた指示して相手のコントロールしようとしますが、いっときは相手が行動するも、またいずれ元の状態に戻ってしまうというループから抜け出せません。


■ であれば「何をすべきか」は、相手に期待しないことではなく、
"相手のために自分ができることをする"のです。

その際に大事なのは、
「相手に催促する・命令する」ではなく、
「相手の感情や思考に問いかけること」
だと思います。

これには非常に慎重な言葉選びが必要です。

相手の気持ちや感情、状況を汲み取り、どのように言われたら、
その物事に対してより考えるようになるか、行動をするようになるか、
こういったことを考え、行うのです。

時には声をかけず、「放っておく」「そうっとしておくこと」も必要です。
つまり「見守る」と言うことですね。

経験上、この見守るが難しいように思います。
ついつい口出ししたりアドバイスしたりしたくなりますからね汗
辛抱強さ、大きく言うと自制心も必要になってくるわけです。

■ 上記のようなある一定の事柄を終えると、
相手がいることについて、自分自身で取り組めることはなくなります。
そこまでくると、自分自身の取り組むべきことに取り組む。

相手のことに対して何もしなかったわけではありません。

ウザがられない程度に接し、考え・行動するように促し、
「必要なときは相談に乗るよ、手伝うよ」と言うことを相手に知ってもらう。
そして、見守ること。

こういった取り組みをしたので、いずれ相手の方の行動は変わってくるはずです。目に見える結果が出るのは、自分自身で取り組むことよりも遅いかもしれませんが、それでもいずれは良い方向に進むでしょう。

ここまで来れば、あとは自分の芝の手入れです。
やるべきことはやったので、あとは辛抱強く見守る。

"他人の芝ではなく、自分の芝の手入れを"



■ ジャーニーランの応援ページはこちら↓

https://journeyrun.base.shop/

今日もお読みいただき、ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?