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「有り難い」

この言葉にだいぶ救われたことがあります。
僕は、2014年にサハラマラソンに初めて挑戦し、
完膚なきまでに打ちのめされました。

その当時は心身ともに本当にズタボロで、
ショックであり、恥ずかしさもめちゃくちゃあり、
切腹して死にたい気分でした。(それ、気分って言うのか?笑)
何かの漫画で「死にたいを連呼し続けれると、形骸化するな」と言う一幕があったので、試しに「死にたい」を唱え続けましたが、
結局、口が疲れるだけでした。

次に唱えたのがこの「有り難い」でした。


今もやってみると、

「有り難い」
まだ僕は成長する余地がある
「有り難い」
今日もおまんまを食べらる
「有り難い」
今月もCFが回った
「有り難い」
寒いからこそ、服の有り難みがわかる
「有り難い」
今日も食べるものがある
「有り難い」
嫁が一緒にいてくれる
「有り難い」
こんなブログでも読んでもらえる人がいる(読んでますよね?w)
「有り難い」
今も本に囲まれた生活をしている
「有り難い」
今日も2本の足で走れる
「有り難い」
雨が止んでよかった
「有り難い」
今年もまたチャレンジできる
「有り難い」
僕を頼ってきてくれる人がいる
「有り難い」
行きたいところがある、それに向けて向上心が持てる
「有り難い」
一緒に悩み苦しみ、切磋琢磨する仲間がいる
「有り難い」
嫁のお陰で家の中はキレイ
「有り難い」
嫌なことがあるから好きなことがわかる
「有り難い」
猫、癒しを与えてくれて
「有り難い」
早起きする仲間がいる
「有り難い」
アプリのおかげで現金を持たないで済む
「有り難い」
黒歴史があるから、成長を感じられる
「有り難い」
学ぶべきことはたくさんある
「有り難い」
今、落ち着いて考えられる
、、、、

これだけの「有り難い」が出てきます。
私たちは普段できる何気ないことでも、
一歩間違えれば、それは当たり前じゃありません。
何かの掛け違いで、それはなかったかもしれません。



一番感謝すべきは?

「有り難い」を書いてみて思いましたが、
「一番に感謝すべきは産んでくれた両親なのでは?」
と言う思いに至りました。
両親がお腹を痛めて、私たちを産み落とさないと、
今ここに私やあなたはいませんからね。

言い換えると、
「生きているのは当たり前じゃない」と言うことですね。
日々生活していると、どうしても馴れ合い、惰性になってきてしまいます。
自分が存在することに有り難いと感じることなんて、
滅多になくなってしまいます。

先日、友人がサハラマラソンに挑戦し、多数のトラブルに遭遇し、
命からがら生きて帰ってきました。

その報告にもありましたが、
自分が痛みを感じると言うことは「生きている」
と言うことです。
どんな苦境に陥ったとしても、まだ自分は生きている。
生きているなら、また前に進める。
有り難い。
僕は彼の投稿からそう感じとりました。


このブログも読んでいただける人がいるから、書こうと思います。
(「読まれないことを前提に」って、ちょっと前に書いてましたがw)

引き続き、駄文ですが、何か気づきをお渡しできるよう、
ブログを続けていきますので、宜しくお願い致します。

今日もお読みいただき、ありがとうございました!

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