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時間が生み出すもの

適度の締め切りがやる気を起こさせる。

早速ですが、本とか一度買ったらその日以外は読まなくなりませんか?私たちは日に日に買った本への関心が薄れていきます。

それは何故かと言ったら締め切りがないからです。

家にある状態っていうのはいつでも読める。制限がない。図書館で借りた本であれば、返却期限、決められた締め切りがあるから、いついつまでに返さなければいけない、逆算していついつまでに読み始めなきゃいけないみたいな。

たとえ読まなかったとしてもその本のことが意識のどっかにはある状態。締め切りという一点に概念として「借りた本」を付随させて覚えている感じなんだと思います。だから、自分で買ったものよりも関心を持っている。

時間と言う概念に関連事項をくっつける。そうして意識を持たせている。これができるのは今回の話で言うと、本と時間をひとまとまりにしておくから。

皆さん予定を立てる時などもそうだと思うのですが、時間にくっつけるって言うことをしてますよね。明日の夕方6時という一点に大切な人と食事があるみたいな(ここでは期間は無視します)。

これの凄いところは、未来に対して定めた一点というのは必ず訪れるということ。本人の意識があろうとなかろうとやってくる。

そして時間には何でもくっつけることができる。何故こんなことができるかと言えば、誰が見ても同じ結果になるから

例えば会社のホワイトボードの予定表に14時から会議と書いてあれば、14時にみんな集まるみたいな感じで。

全ての人が時間に対して同じ価値観を持っているから起きること。これはお金と一緒で、与える人と貰う人が一万円と印字された紙の価値を同じように一万円と認識するから成り立っている。

だって誰しもに時間という概念が存在するから。それが近づいてくると、予め時間にくっつけていた関連事項も併せて思い出される

だから借りた本のことは思い出される。そして買った本には時間という制約が存在しない。正確には買った瞬間に時間という概念から切り離された状態になると思います。本屋にある状態ではいつまでに売れなければ廃棄みたいな制約があるとして。

だから、買った本に時間という概念を付けるには、誰かが買った本と時間をくっつける作業をしなければ、買った本は時間と独立した存在になる

よって、例え買った本が本棚にあろうと、机の上に読め!と主張する形で置かれようと、時間と独立した存在には緊急性が感じられない


書いていてよく分からなくなってきたので、ここで終わりにします(笑)

まぁ、何が言いたかったのかと言えば、時間という概念のお陰でやりたいことができていると思った、というお話です。

皆さん普段、時間に対してこんなこと思ってないと思うんですよ。もちろん私も常に意識していません。だからこそ、こういう見方もあるのだな、程度に、価値観が広がった程度に思って下さい。

最後までお読み頂きありがとうございました。私のことが気になった方はこれからも応援よろしくお願いします。


お読みいただきありがとうございました。