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インドで考えたこと

 高校2年生の時、近所に旅人が経営する、旅人たちの集うカフェがあった。店主はインドを愛してやまない仙人のような親父。当時まるで学校に馴染むことのできなかった私は、アルバイトで稼いだ小金を握りしめてはその店へ通った。そこではいつも店内に山と置かれたインドの写真集に見入り、店主や他の旅人たちから話を聞いては夢を膨らませていた。
 あれから約5年。ようやく自分もインドへ行く日がやってきた。この頃のインドは急速に経済成長を遂げているから、あの時夢に見た景色とは違っているかもしれないと少し不安に思ったが、それは杞憂に過ぎなかった。やっぱりあの国は彼らから話に聞いた通りの、混沌としていて、ツッコミどころ満載のあのインドだった。
 旅行の土産話をここで書くのも悪くはないが、それはもうとっくにあらゆるバックパッカーたちが語り尽くしているところ。ならば堀田善衛の『インドで考えたこと』のような思想旅行記っぽいものを書いてみたい。むろん、わずかな期間で小生が見たインドに思想などという高尚なものはない。しかし、現代の日本で暮らす学生が見た今日のインドというものにも、多少なりとも瑞々しく、記録しておく価値はあるかもしれない。

 モンスーンが吹き始める直前のインドは猛烈に暑い。もう暑いなんてものではない。胸いっぱいに空気を吸い込むと、喉から肺まで焼けそうなくらいだ。堀田善衛も上記の著書の中で、「太陽は、敵だ。このあたりではものを育てる母なる太陽ではなくて、一切の生き物を灼き枯らす兇悪な敵ではないか、と思われる」「千本の手をふりまわして、勝手放題、人間の都合、総じて生きものの都合など考えてもくれず、たったひとりで躍り狂っている」などと振り返っているが、まさにその通りだ。一方でそんな酷暑の中、きらびやかなサリーを身にまとった女性たちが颯爽と目の前を通り過ぎていくものだから、もうぐうの音も出ない。
 そんなインドの猛暑とは別に、現在もう一つ過熱しているものがある。下院総選挙だ。有権者は9億7千万人。投票所は100万カ所以上に設置され、1
か月半にも渡って投票が行われる。だから街中を歩けば、現職のモディ首相や野党候補者の等身大パネルが、電柱からバス停まで至るところに掲げられている。

電柱に貼られたモディ首相のパネル(デリーにて)

 この実験的な民主主義国の選挙に対して、日本ではモディ首相の強権化を疑問視する声がある。旅行前、アルバイト先のテレビ局で「あれは独裁政権みたいなもんじゃないか」と話している大人たちがいた。近くでそれを耳にしながら、「モディ政権ってそんなものなのかなあ」などと私はぼんやり考えていた。
 しかし、バラナシやブッダガヤで現地の人に話を聞いていると、一概にそうでもないらしいことが見えてきた。ガンジス川の沐浴で有名なバラナシで、シルクスカーフ店を営む男性は、「人によって温度差はあるけど、やっぱり次もモディだとみんな信じている」と話す。彼とは川岸で出会った。私が沐浴をする人々をぼんやりと眺めていたところをいきなり彼が「日本人デスカ?なんでやねえん!」と話しかけてきて、初めは胡散臭いと感じていたが、気付けばお互い意気投合してお店に案内されていた。

バラナシで仲良くなったシルクスカーフ店の方々。旅で疲れるとここでチャイを飲みながら休憩させてくれた。


 「モディが全国のインフラ整備を始めてから、インドの治安は格段に良くなったよ。10年前くらいは、この酒場で人が殺されたって誰も捕まりやしないくらいだったからね」。スカーフ店の店主と飲みに行った路地裏の酒屋でそう言われてぎょっとした。「今やインドにはどこにだって監視カメラが付いているから、みんな悪さをしにくくなったよ」と笑って彼が指さす先には、やはり小さな監視カメラが付いていた。日本も変わらないが、どこか監視社会の気味悪さを感じてしまうのは私の先入観だろうか。

路地裏の酒屋(バラナシにて)

 「少しは反対意見があってもいいのにな」。誰に聞けどもモディに賛同する意見しか出て来ないことに私は疑問を感じた。バラナシから鉄道で東に5時間ほど移動したところにある仏教の聖地ブッダガヤで、ツアーを担当してくれた同い年の青年に「なんでそんなにモディがいいのか」と思い切って聞いてみた。すると、「やっぱり彼は世界でインドを引っ張ることのできる強いリーダーだからだ。彼こそ妻も子供も持たずに最も国に尽くしている」と息巻いた。
 確かにモディはインドのみならずグローバルサウスのリーダーとして、国際社会でも大きな存在感を示している。QUAD(日米豪印戦略対話)を通じて西側諸国と関係を築きつつ、ウクライナ侵攻で国際的に孤立するロシアとも関係を保ち、石油や武器の輸入を続ける。分断されつつある世界の中でどちらにつくこともなく、自らの利益を確実に手にしていく。そのバランス外交はやはりインド国内では評価されるのだろう。
 しかし、家族を持たずに国に尽くす姿勢を賛美するのは少し危ない気もしなくもない。やはり私の国には、「愛国心」のもとに個人の自由や尊厳がないがしろにされてしまった過去があるからだ。

 堀田善衛は本の中で、ある老人とバスに乗りながら話したことを書いていた。国民会議派とともにインド独立のために戦ったその老人は、日本が不思議な国に思えてならないという。日露戦争に勝利してアジアの植民地に独立の希望を与えたかと思うと、今度はインドの敵である英国と同盟を結び帝国主義に走った。そして第2次大戦後は、英国に代わってアジアの支配を目論む米国と手を結ぶのはなぜなのかと。堀田はそこでしばらく考え込み、そういった二重性から抜け出すために国内ではいま多くの努力がなされていると答えた。
 堀田があの本を書いてから約70年。今日の日本は彼の言うあの二重性の克服のための「努力」がどれくらい形になっただろうか。安保関連三文書の改定、次期戦闘機の輸出解禁、自衛隊と在日米軍の指揮権統合……。厳しさを増す国際情勢を前に、なし崩し的に安全保障政策が転換されていく。そこにソフトパワーで対話を試みる「外交力」は乏しい。
 このまま進んでいく未来で本当にいいのか。立ち止まって考えたい。インドで話した人たちは誰しも、どんな意見であれ、自分なりの政治に対する考えを持っていた。日本でも近く大きな選挙がある。「政治のことはよく分からない」でいいのか。ぬるま湯から抜け出して、インドのあの猛烈な暑さほどまではいかなくとも、私たちの生活を私たちの手で選び取る自由と情熱を忘れずにいたい。
(工藤優人)


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