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「音楽は魔法ではない」 大森靖子の楽曲に込められた祈りとは

2017年に実施された野外フェス「BAYCAMP 2017」。
このライブにて、ロックバンドYogee New Wavesとシンガーソングライターである大森靖子の間で起こった騒動をご存知だろうか。

「音楽は魔法ではない でも、音楽は」
そんな逆説で締められる『音楽を捨てよ、そして音楽へ』という曲。
この楽曲披露後、Yogee New Wavesのボーカルである角舘健悟がライブ中のMCの中で「音楽は魔法だよ」と発言。そのことに対し、大森靖子が反発し、大きく炎上した。

「音楽そのものは魔法じゃない、音楽が魔法的な可能性を秘めているだけ。あとは自分とそこにいる人次第。」

当時、彼女のTwitterに書き込まれた投稿の一節。
ファンの間で熱狂的に崇められる現代の神様、大森靖子。
そんな彼女が楽曲に込めた想いとは一体何だったか。

『音楽を捨てよ、そして音楽へ』の歌詞の中で注目したいのは、何度も繰り返し出てくる「マジカルミュージック」という単語である。

「マジカルミュージック」は彼女(大森靖子)自身を、彼女の世界から違う世界へ、生きやすい世界へと連れて行ってくれる。
現実的でマイナスなことは言ったら負けで、面白いこと、愛していたこと、普通のことを言わなくても伝えるのがマジカルミュージック。

音楽が魅せる美しい綺麗な世界を歌ったあと、いきなり曲は
「抽象的なミュージック 止めて」
という歌詞と共に、音楽が途切れる。

マジカルミュージックが止まった後、彼女はまた、現実という絶望と向き合うのである。
マジカルミュージックは絶対ではない。「音楽は魔法ではない」という現実と嫌でも向き合わざるを得ない構成。マジカルミュージックは夢を見せてくれるだけで、現実は何も変わらないのだ。

曲の中で、彼女は念を押すように、切なく悲しい響きを持って何度も「音楽は魔法ではない」と繰り返す。
それでも、最後に「でも、音楽は」と残された歌詞に、希望を、願いを見出してしまうのは私だけだろうか。

人によって解釈は分かれるだろう。私のような一大学生が彼女の神聖な音楽を理解することは最後までできないと思う。しかし私は大森靖子に救われた側の人間である。だからこそ言おう。彼女は音楽によっていくつもの命を救ってきた救済者だ。彼女の音楽は私たちに寄り添い、絶望し、そして共に戦ってきた。

だからこそ、彼女は救えない命があったことを知っている。その悲しみが、彼女の「音楽は魔法ではない」につながっているのではないか。彼女は音楽の限界を知っている。彼女が一番、音楽は魔法であってほしいと願っていたはずなのだ。本当に音楽が魔法であったならどれだけ良かっただろうか。音楽は一時的な救済にはなろうとも、全てを解決する万能役にはなれない。

そんな彼女が感じた「音楽は魔法だ」という言葉の持つ威力が、悲しみが、怒りが、我々に理解できるだろうか。彼女は今日も、音楽の神様として歌い続ける。

(執筆 西村玲愛)

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