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【村上市×縄文時代】春の企画展『地味にすごい!下越の縄文時代』~村上市は縄文王国ですよ~

あいさつ

 令和4年4月22日(金)より、新潟県にいがたけん埋蔵文化財まいぞうぶんかざいセンター、新潟市にいがたし阿賀町あがまち阿賀野市あがのし胎内市たいないし村上市むらかみしとでコラボ企画展として、新潟県下越地域かえつちいき発の縄文時代をテーマにした企画展を開催かいさいしました。 

新潟県下越地域

新潟県下越かえつ地方とは?
 ってなりますよね。下越地方とは、新潟県北半の地域で、新潟市を中心に広がっているエリアです。下越の行政区は、北は村上むらかみ市・粟島浦あわしまうら村から南西はつばめ市、南東は阿賀あが町まで7市2町3村にわたっています。
 自然環境では、三面川みおもてがわ胎内川たいないがわ阿賀野川あがのがわ信濃川しなのがわなどの大きな河川、新潟砂丘、新潟平野、越後山脈といった海あり、山あり、平野ありの大自然の恩恵おんけいを受けた地域です。

会場案内

 企画展は、下越地域の6つの施設しせつ共催きょうさいし、縄文時代というテーマで行っています。
 それぞれの会場で、その地域の縄文時代についての企画展示が開催されています。第1~6までの会場をめぐると新潟県下越地域の山、川、砂丘などなどで生活した縄文人のことがよく分かります。是非とも各会場で、実物の展示品をご覧ください。
以下、各会場の案内です。

  • 第1会場:新潟県埋蔵文化財センター(新潟市秋葉区金津93番地1)

  • 第2会場:新潟市文化財センター(新潟市西区木場2748-1)

  • 第3会場:縄文の里・朝日(村上市岩崩612-118)

  • 第4会場:阿賀野市歴史民俗資料館(阿賀野市福永910番地)   

  • 第5会場:胎内市美術館(胎内市下赤谷387-15)

  • 第6会場:阿賀町郷土資料館(東蒲原郡阿賀町両郷甲2200)

開館時間などは、各会場にお問い合わせください。

村上市の縄文時代

村上市について

 村上市は、山北、朝日、村上、神林、荒川の5つのエリアがあり、海、山、平野、大きな河川と風光明媚ふうこうめいび土地柄とちがらです。
 村上の自然は、大川おおかわ三面川みおもてがわ荒川あらかわにおいて鮭漁さけりょうさかんな地域です。鮭は村上市の生活に根付いていて、イヨボヤと呼ばれています。江戸時代に種川たねがわという保護増殖ほごぞうしょくシステムや明治時代には人工孵化じんこうふかの取り組みを行ってきました。そして、鮭をすべて食材とする文化から、塩引しおびざけさかびたし、その他、100にものぼる鮭料理があります。魚としては、アユやサクラマスも有名です。また、お米では、ブランド米である「いわふね米」があります。村上牛、朝日豚などのブランド肉、山菜、野菜、果樹、海産物では岩ガキ、ヤナギガレイ、白皇鮃はくおうひらめなど、自然の恩恵を享受きょうじゅできる地域です。これも、豊かなブナの原生林、きれいな河川、日本海といった自然環境が保たれているからです。
 そして、歴史書である日本書紀にほんしょきに、648年に磐船柵いわふねのきという古代城柵こだいじょうさくを設置したという記述があり、大和やまと政権にも認識されていた地域であることがうかがえます。歴史ロマンあふれるCityしち~、それが村上市です。

村上市の縄文時代遺跡

1上山遺跡 2北黒川遺跡 3駒山遺跡 4古四王林遺跡 5上野遺跡 6奥三面遺跡群
6-1黒渕遺跡 6‐2弥三郎遺跡 6-3ミヤソリ遺跡 6-4前田遺跡 6-5アチヤ平遺跡 6-6元屋敷遺跡
7熊登遺跡 8高平遺跡 9古渡路遺跡 10東興野遺跡 11長割り遺跡 12大関上野遺跡
13樋渡遺跡 14城田遺跡 15稲場下遺跡 16衣田遺跡 17道端遺跡 18春木山遺跡 19発掘遺跡

 村上市内の縄文時代遺跡は270件以上あります。市内遺跡全体で約670件なので、約40%が縄文時代の遺跡です。前述したように、豊かな自然が人間を生かすための恵みを与えてくれる環境であったようで、太古の旧石器きゅうせっき時代から村上市内には人が生活していたことが分かっています。
 縄文人も、村上市の豊かな自然を存分に活用して生活を営んでいたようです。弓矢で動物をとり、磨製石斧ませいせきふで木をきり、竪穴建物たてあなたてもの掘立柱建物ほったてばしらたてものをつくり、集落を営んでいました。村上の自然を活かし、生かされしていた縄文人。いろいろと分かってきたことがあります。
 今回の展示は、縄文時代という1万年にもわたる期間、村上市にいた縄文人がどのような生活をしていたのかを、土器文様どきもんよう石器せっき呪術具じゅじゅつぐ、アクセサリーといった観点から紹介します。

村上市の縄文土器

縄文土器について

 縄文人が縄文人たる由縁ゆえん、縄文土器。
 日本に考古学という学問の基礎きそきづいたエドワード・S・モース氏により大森貝塚おおもりかいづかから発掘はっくつされた土器の文様が「コード・マーク」と名付けられ、和訳されたのが「縄文」となり、縄文土器を使う人達の時代、縄文時代と呼ばれるようになりました。

 縄文時代以前の旧石器時代は、土器を使った生活ではなく、縄文時代とされる基準として、土器を使うようになった時代ということです。土器とは、まさに画期的な発明だったのです。土器により食べ物の幅が広がり、動物を求めて流浪るろうの旅をしなくても、木の実や山菜といった同じ場所で定期的に手に入る食材を確保できるようになりました。これは、旧石器時代のようにりを中心とした獲物えものを求めて移動する生活による空腹や疲労ひろう怪我けがといったリスクが軽減けいげんし、より快適かいてきな生活ができるようになったということです。

 土器により定住ていじゅうができるようになり、安定したらしができるようになると、他地域との交流が盛んになり、地元と他地域という関係性から自分たちのつながりが確認されることで共通のルールやアイデンティティーが出来上がり、文化へと昇華しょうかされ、縄文時代という土器の使用から派生はせいした生活を営んだ人々の築いた時代となったのです。土器が生み出した一時代です。いかに土器が重要なアイテムであったか分かります。 

村上市の縄文土器文様について

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