【短編】スー、ハー

春に書いた短編です。当時人に見せたらこぞって不評で落ち込んでいたのですが、久しぶりに読み返してみたら普通に面白かったのでnoteにも載せることにしました。この世の誰かひとりにでも刺さってくれば嬉しいのですが。

スー、ハー

【2017年7月19日17時32分34秒】
 俺彼女できたわw
 谷島からのLINEを見て、僕は息をつまらせた。サッカークラブを早々にやめたとき、クラスで二人だけの補習に呼ばれたとき、逆にクラスで二人だけカラオケに呼ばれなかったとき。僕の醜さが際立つときは、いつだって隣で悪態をついていた。それが谷島だった。谷島に、彼女。大学でこさえたのか? 急に苦しくなって、呼吸を忘れていたことに気づく。慌てて息を吸った、スー、ハー。
 小中高と同じ学校だった僕らは、今年の四月には違う大学に進んだ。そもそも進学先は示し合わなかった。それほど仲は良くない。僕達の関係はただ、お互いにお互いを心の中でけなし合い、どうしようもない自分よりもどうしようもない相手がいるのだと安心するための、一種の同盟のようなものだった。少なくとも僕は谷島のことを見下していた。僕は何をされてもめったに陰口は叩かなかったし、容姿だって自信こそなかったけど、前歯が出っ張って黄ばんでいる谷島よりはマシなのだと確信していた。つまりその気になれば女の子ウケが良いのは僕の方だと思っていた。その僕が未読無視するのを見て、今しがた「お~い、生きてる?ww」と追撃されたので、やはりこの仲は美しい友人関係なのではなく、醜い同盟関係で間違いないのだった。もう破棄されたも同然だけれど。スー、ハー。
 スマホを機内モードにして毛布を頭まで被る。どうしてこうなった。そもそも僕が落ちぶれ始めたのはいつからだろう? 九九なんてクラスで7番目に覚えたのに。でもそうか、確かそのあとのテストは85点だったんだよな。覚えたその日にテストしてくれれば絶対に満点を取れたんだけど。布団の中だと息がしづらくて、苛立ちに身を任せて思い切り毛布をはいだ。スーー、ハーーー。スーー、ハーー。スー、ハー。同じリズムで息をすることすらできない。呼吸を無意識にゆだねることすらできない。人生のように不器用な対流に少しでも抗おうと、僕はもう一度同じリズムを反復した。
 その時にわかにひらめいた――この深呼吸は、人生それ自体にも反旗を翻すことができるのでは? 谷島には一つだけ特技があった。彼はカードゲームが強かった。僕はそのゲームをしたことはなかったが、自慢話を信じる限りでは、どうやら谷島は地区の大会で何度か優勝しているらしかった。僕にはない成功体験。彼の不気味なまでに不敵な自信もそこに由来しているのかもしれない。そしてその自信はまたしても僕にはない成功を刻んだ。僕らの距離を遠ざけた。ならば、と息を整えてから、再び決心への理路をなぞっていく。僕も彼の成功の原点に身を置けば良いのだ。すなわち固執を、僕も実践すればよいのだ。運動も勉強も、遊びさえも、何をしても続かない僕。それではいけない。この飽き性が分水嶺なのだ。続けよう。何かに固執して僕の支えにしよう。何でもいい。えり好みしていては、きっと今までと変わらないから。だから僕は目の前の虚空に誓った。迷いに惑わされないこと、後悔を置き去りにすること、この初心の熱量を決して忘れないこと。
 真の固執は今・ここでしか生まれない! 
 僕は早速固執を始めた。肺とともに膨らむ不安は、ゆっくりと吹いて飛ばした。

【2062年12月31日23時59分8秒】
 スー、ハー。(そろそろ年が明ける)
 スー、ハー。(早く寝よう)
 スー、ハー。(明日も何もないけれど)
 スー、ハー。(親は死に)
 スー、ハー。(妻も子もなく)
 スー、ハー。(悪友も)
 スー、ハー。(しかし私は生きている)
 スー、ハー。(私のやりかたで)
 スー、ハー。(揺らがず)
 スー、ハー。(孤高に)
 スー、ハー。
 スー、ハー。(三畳間に息が響く)
 スー、ハー。(気づけば新年じゃないか)
 スー、ハー。(私は今いくつだったか)
 スー、ハー。(あと何年)
 スー、ハー。(あと何回?)
 スー、ハー。
 スー、ハー。(早く寝よう)
 スー、ハー。
 スー、ハー。
 スー、ハー。

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