【読書感想文】榛名まお『こずみっしょん!』

 初読。kindle77円セールで買いました。全二巻。

 ぼくのことなので、もちろんきらら作品(まんがタイムきららMAX)です。主人公の根暗女の子が宇宙人のヒロインに依存する話。ところどころ味気ない部分もあるものの、全体としてはかなり良かったです。レズ標準装備や不条理ギャグなど、きらら最先端にも通ずる笑いが随所にちりばめられています。二巻後半になると純粋なギャグも冴えわたり、局所的には第一線のアニメ化作品と遜色がないように感じられました。

 特に好感が持てたのは設定の細かさ。『まちかどまぞく』の伊藤いづも先生や『がんくつ城の不夜城さん』ほかの鴻巣覚先生に引けを取らない伏線の貼りかた、設定の掘り下げかたが印象的でした。きらら漫画は女の子の可愛さばかりフィーチャーされるきらいがあります。大御所作品さえ細かい設定は蔑ろにしてしまうことも。きらら作品の「作中のアニメ」の設定などを思い返してみると、そのざっくりさ加減がわかるかと思います。そんな中で『こずみっしょん!』の丁寧な設定が光ります。

 たとえば主人公鈴子の中二病設定。

 ネットミーム界のOEDことニコニコ大百科を見てみます。おおかた僕の予想通り、今の用法での「中二病」の世間への膾炙は、『中二病でも恋がしたい!』アニメ放送=『斉木楠雄のΨ難』海藤登場=2012年あたりから進み始めたとみて良いようです。一方『こずみっしょん!』の連載開始は2011年4月から。十分「中二病」の概念が新鮮な時期です。にもかかわらず、榛名先生のワードチョイスは、「アカシックレコード」など渋めのライン。一巻裏表紙の鈴子の㊙ノートにも、「混沌への帰喚」を果たすと「魔鎌ブラントサイズ」に「古代魔法文字が浮かび上がる」というなかなかがっつりした設定が仕込まれてます。ここまで設定を掘り下げておいて、作中で「中二病」というワードが一度しか使われていないのも先生のこだわりが感じられて非常に良い。そういうの大好きだ。…繰り返しますが、この中二病設定のすごいところは、「まだ『中二病』というワードだけでオチを取りに行ける2010年代前半に」、「概して掘り下げが軽視されるきららにおいて」なされたところです。この背景込みで読み返すと、この作品に注がれた熱量が次第に見えてくると思います。もちろん設定の精緻さは中二病だけにとどまりません(これ以上はご自身の目で)。

 「個人的には思い入れのある作品」と榛名先生がおっしゃっている(二巻あとがき)だけあって、このようにキャラと作品全体への愛がひしひしと感じられます。残念ながら最後に急展開となってしまったことで(言わずもがな大人の事情でしょう)、まだまだ掘り下げられる部分、先生が掘り下げたいだろう部分がたくさん残されてしまったようなのが余計に残念です。ウケなかったのはキャラデザとメインカップル以外のキャラの薄さかな。確かに随所、特に序盤でテンポの悪いところがみられるんですよね。後半はかなり面白くなってるだけに二巻で終わってしまっているのが悔やまれます。

 

 ところで。この作品、令和の今日に読むとまた当時とは違った楽しみ方ができるようです。以下、きらら史に関するぼくの見解についてすこし語ります。

 そもそもいわゆる「きらら系」という概念は、大ブームを起こしたけいおんよりも後、だいたいごちうさやきんモザあたりから生まれたものです。けいおんの緩やかな部活動練習=成長すら捨象(切り捨てること)し、とにかく女の子のカワイイだけを凝縮した作品。それが「きらら系」の中核を占めるイメージだと僕は思っています。
 しかし今日、その「非成長性」は廃れてきています。たしかに辛く苦しいシーンを取り除けば、それだけ痛みのない優しい世界を楽しむことができます。しかしそれでは「苦しむ女の子」を見ることができない。葛藤の末の雄々しいまでの勇敢な表情や、決別を乗り越えて和解した瞬間の友情の輝きはその世界にはないんです。がっこうぐらしやNEWGAMEがヒットした一因には、まさにその「陰(かげ)」の美少女性にスポットが当たっていることも挙げられるでしょう。
 そして今日、この反・単調のきらら漫画がどんどんと増えています。それを証左するのが、コマから逸脱する技術。きららは四コマ漫画ですが、そのコマからはみ出して女の子が描かれる、可愛さを強調するための手法はかつてからよく取られていました。しかし最近、その手法が質・量ともに進化しています。1ページに四コマだけの横長の漫画であったり、あるいはページまるまるぶち抜いて漫画形式にしたり、などなど。僕はこの現象を令和のフォワード化と呼んでいます。「フォワード」とは「まんがタイムきららフォワード」のこと。「きらら」の名を冠す4誌のなかで唯一四コマではない普通の漫画の雑誌です(ハナヤマタ、がっこうぐらしなど)。つまり今日のきららは、ノーイベント・グッドライフ的展開への食傷(飽きること)や、波乱あるストーリーの中でのキャラクターの多彩な表情への志向によって、けいおん以降あたりから浸透しつつあった「きらら系」の展開から一転して、ストーリー色がどんどん強まってきている、ということがいえるのです。

 …前置きが長くなりました。連載当時はおそらく奇をてらっての陰キャ(当時はこのミームだってなかった)設定だったのだろう『こずみっしょん!』鈴子の姿は、奇しくも2020年の新生三銃士のそれに重なるものがある、ということです。すなわち、『ぼっち・ざ・ろっく!』のひとり、『ななどなどなど』の小町、『星屑テレパス』(いつかこの感想で上記と同じ話をする記事を書く予定です)の海果に。そしてぼくが言いたかったのは、この一人と三人との対比が面白いのだということ。後者三人の「陰」は、いわば修正されるべきマイナスとして描かれています。成長のための伸びしろです。それは時にコマを大きく逸脱して、フォワード的に演出されます。「物語」だ。一方鈴子は最初から最後まで臣美に依存しています。成長はそこにはない。単なるキャラクター性に留まります。その単調な4コマ性を裏付けるように、『こずみっしょん!』には逸脱はほとんどありません(実際一巻を中心にコマの運びが単調であるふしがある、二巻後半になるとカメラワークの遊びが散見されるようになる)。今日のきららに『こずみっしょん!』が連載されていたら――今日的な技術、視点が導入された状態で描かれていたら――どのような作品になったのか。妄想がはかどりますね。

 以上、榛名まお先生『こずみっしょん!』の感想でした。様々な点で令和のきららに比肩し得るポテンシャルを秘めつつ、古き良ききらら漫画のフォーマットが踏襲されたたぐいまれなる作品です。ぼくは大好きだ!興味のあるオタクは、ぜひご一読を。

【試し読み】

(ただし何度も言及してる通り後半のほうが良い。つまり買おう。)


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?