共犯者

禁じられた遊び

 海岸近くのその保育園は、その同時とは姿を変えて津波対策として補強工法の鉄筋コンクリート建てになっていたが、南海震災が単体で起きても、東日本震災のようにきっと簡単に壊れてしまうだろう。その位、海辺が近い。

 1973年頃入園したのだろう。ずっと忘れていたかった記憶は、成人後の私に年老いて繰り言を繰り返す母の「太郎君のお父さんが、儂の息子の女神様やって言っていたのよ。よく太郎君のお家に遊びに行ってたのに忘れたの?」その言葉の繰り返しで蘇ってしまった。

 何故、外国映画の「禁じられた遊び」のギター曲を耳にした途端に、生理的嫌悪感を幼少期から感じていたのか?

 何故、BOURBONのルマンドやホワイトロリータを目にした途端に、生理的嫌悪感を幼少期から感じていたのか?

 思い出したく等なかった。

 何の罪も無い母に『忘れているっていう事は、思い出したくない事があるから忘れているから、あんまりしつこく言わないで!』とキレて言ってしまった私の剣幕に、母親としてただならぬものを感じたのか?普段ならば懲りずに続く繰り言をピタッと止めて二度と口にしなくなったので、何が起きていたのか察しがついたようだった。

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