教えるということ

「教える」ということを、初めて意識して行ったのは、
小学校5年の時です。
当然「仕事」ではなく、友人からの「宿題教えて」に
電話で応答していただけでした。
「だけ」と言っても、今考えるとよくやったなぁと思います。
電話口の向こうの相手に算数の宿題を教えてました。
しかも私は「初見」です(つまり宿題を忘れていた)。
で、その友人が6年生になって、算数のテストで満点を取り、
飛び上がって喜んでいたので、私も飛び上がりたいくらいでした。
「教える」ことを仕事にする一つの、そして最初の契機でした。

次は、高校3年のときになります。
友人の妹が、数学の宿題で悩んでいたようで、
友人が
「妹がこの問題の解き方を教えてって言ってるんだけど」
と言われ、解き方のポイントを紙に書いてあげたら、
それだけで理解できて喜んだらしく、
冬休み(試験休み)に1日2時間×10日教えることになりました。
私としては「友人の妹に教えている」だけで、
お金を貰うことは考えていませんでしたが、
最終日に、友人の親から「少ないですが」と渡されました。
2万円・・・これが「教えることで貰った初めての報酬」です。

そして、決定打となったのが専門学校に入ってからです。
高校時代には教育学を学ぶことを目指して大学を受験したのですが、
一浪しても「教育学の大家がいる大学」には入れず、
経理学校に行くことになります。
高校で簿記を少しだけ学んでいたので(必修2単位)、
経験者クラスに入れられました。
周りは日商2級はあたりまえ、全商1級もいたのに、
私は全商2級しかもっていません。
でも学んでいくうちに、周囲より早く問題が解けるようになり、
(まぁ電卓を打つのは早かったですが)
周囲から問題の解法を聞かれるようになりました。
それでついたあだ名が「高山先生」

それが当時の教務部長の耳に入って、
バイトをしながら税理士試験を受験していた受験浪人の私に、
うちで教えないか・・・という話が舞い込んできました。
税理士の授業がタダで聴ける。
貧乏家庭で育った私には
1科目15~20万円/年がなくなることは、
最高に魅力でした。
私が担当予定の税理士科目については、
大先生(当時雑誌に講座を連載していた人)の講義が聴けて、
しかも、時給千円貰える。
簿記検定講座を担当するときは時給三千円貰える。
二つ返事で引き受けました。

教えるという仕事が性にあっていたのでしょうね。
次の職場(受験校)ではテキストを執筆しました。
ここでは独学で学んだ教育学を生かしました。
それから、ネットで知り合った友人にそそのかされ(笑)、
情報処理試験を受験したことで、
別の職場(専門学校)では情報処理クラス担任になり、
今は新入社員研修などの仕事をしています。
1985年1月から教えているので、年末で講師として36年です。
途中システム開発の仕事や、コールセンターの仕事などもしましたが、
並行して講義もありました。

#この仕事を選んだわけ


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