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感動をサボってやしないか

サッカー観戦の帰り道に、たまたま看板で見かけたこの文章があまりにも頭から離れず、今日はこのタイトルにした。

この文の何が好きかって、感動を"サボる"と表現しているところだ!!

そんな表現を普通できるだろうか。

だってサボるというように表現しているということは、

感動とは、実は誰もが出来ることで、ただ単にそれを怠っているってだけのことってこと!!!

そんな風に、感動を捉えられないし、本当にそんな大事な事忘れながら生きてる時めちゃくちゃあるなあって。

誰かとの一つの会話をとってみても、ただその場をやり過ごすようにするのと、相手のことを知ろうとしたり、その場を思いっきり楽しもうとしたりするのとでは本当に違うと思う。

俺の例で考えてみると、4月から新しい地、宇都宮に就職をした。

それまでは、南米出身の友人たちに囲まれ、そしてカリフォルニアの地で自由に過ごしてた10ヶ月間があったり、幼稚園から続けているサッカーに全力を注ぎ、最高の人たちと熱中した4年間だった。

そんな情熱と自由に溢れた学生生活から、訳わからない、年なんてかけ離れたおっさんとおばさんと働き始める4月が始まった。

最初は、いやこの人たち誰ー、とか思ってたけど、

まあ確かに知らんおばさんかもしれないけれど、なんか仕事のこと聞いたら絶対に教えてくれるし、

なんか不安そうとか落ち込んでたら、なぜか声をかけてくれるし。

いや俺なんかこの人たちに良い事でもしたっけなとか思いながらも、

今までかけ離れた人生送ってたのにここで会って、あっちの方が、この日焼けした黒いやつ誰ーって100%思ってるのに、

そんなんにかかわらず、物事を教えてくれたり気にかけてくれるなんて本当にありがたいことだなって。

そして、きっとそう言った感動を持って話してるかどうかというのは、年齢や性別にかかわらず、相手にはしっかり伝わっていると思う。

多分、最初にこの人たちだれーって思ってたのも伝わってるし、頑張ってたら伝わるし、

感動が薄れていっても伝わると思う。

そうした感動を忘れながら、宇都宮という新しい地で、周囲に友達もいず、または慣れない仕事のせいにしながら、感動を忘れていく人生は少し寂しい気がする。

今日は、栃木SC対ベガルタ仙台の試合観戦だった。

この試合を観戦する前にも、東京に飲みにいくかなど色々な選択肢があった。

東京に飲みに行って遊んだりするのは、一見楽しそうで刺激的なように聞こえるけど、新しい栃木という地で、地元のサポーターがほとんどで熱狂する試合を見る方が、

とても刺激的で新しい冒険だった。

そうやってどれだけ新しい刺激を取り組めるか、その刺激を感動と捉えられるかが、
人生の一つの楽しみだなって思うんだ。

こうして書いている日々の日常の文章が、
知らない土地の知らないあなたに届くという、
とてもワンダフルな感動が出来ているとして今日の日記は終わりにしまーす!!!

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