女装もすなる土佐日記 女装と純男のための完全女装現代語訳『男色大鑑<男の娘編>』その4

 えっ、あのアイドルが退所会見? 
 江戸時代でも男の娘(若衆)の引退は大きなニュースになったようです。井原西鶴の代表作「男色大鑑」を「女装」から読み解く超時空完全女装現代語訳、第4弾です。
 あのアイドル退所会見を見て、急遽完女訳しました!ちょっと今までと文体が変わっていますが、それもわけありなので、最後まで読んでね。
 こんなサービスめったにしないんだから。

 参考文献などを含む1回目はこちら


女装もすなる土佐日記 

 純男もすなる日記というものを女装もしてみたよ。

 こんにちは、ぼくはこの間まで男の娘歌舞伎をやっていた松島ハァヤ、だよ。みんな、覚えているかな?
 今ぼくは、大坂の道頓堀で、井筒屋というハンドメイドの雑貨店を開いて、メイクをせずに本名の「七左衛門」で店長してます。えっ、本名意外だったかな?

 二十歳の誕生日に突然、J事務所からの退所会見をして、男の娘引退を表明したものだから、ファンのみんなはもちろん、事務所のマネジャーたちも大あわてしたっけ。
 自分で言うのもなんだけど、すごく色っぽくて、気持ちも優しくて、上品で、未成年だったけどお酒もよく飲むし、LINEの営業メッセージもすごくうまくて、同僚たちから「松島のマネはできない」ってうらやましがられたんだよ。「松島や ああ松島や 松島や」の例のヒット曲が出るまでは、松島と言ったら、ぼくのことだったくらいなんだ。

上品な男の娘 松島ハァヤ


 ぼくの趣味は読書と華道。本当だって! なじみのお客さまが来る前に部屋に水仙の花を生けたりして、びっくりされたこともあったね。あと、今もそうだけど、あんまりお金に執着はなかったかなぁ。お客さまごとに、お茶をお出しするんだけど、ちゃんと封のしている新品のハロッズの紅茶の缶を目の前であけてあげると、「自分が大切にされている」って思うらしく、けっこう感激されたっけなぁ。あっ、それはさすがに「太い」客にだけだったけどね。
 楽屋の待ち時間に、iPadのお絵かきアプリで女装4コマ漫画を描いたり、ハッテン場のカラオケルームでお客さんと「銀恋」歌ったり、気持ちよさそうに先に寝ちゃったお客さんの枕元で月の灯りで源氏物語を読んだり、かわいらしく、女らしくと意識高めの男の娘時代だったけど、けっこう楽しかったなあ。


 夜のぼくはどんな感じだったっかって? 内緒にしたいけど、ぼくの仲の良い純男さん井原西鶴さんのツイートを引用するね。

 <とにかくすべてが上品である。ところがベッドに入ってからは情熱的で、精どころか魂も奪われるほどの技で、「生まれついてのサッキュバス」と純男たちはささやきあった。二晩連続の相手でも、十年ぶりに逢った恋人のようにふるまうので、彼女に恋して借金の沼にはまった人は無数にいた
 

 うわー。ひどいね笑 ちなみに、西鶴さんはぼくのはじめてのお客さまだったんだよ。すごく緊張していたから、思わず「ぼく、怖いの」って言ったら、西鶴さん「くーっ!この少女のような見た目で『ぼく』は実にいいっ!」って言ってくれて、それから「ぼくっこ」になったんだ。ちなみに、自分ことを「ぼく」って言う女装は時々いるよね。さすがに「俺」って言う子はあんまりいないかな。

 男の娘役者がかぶることになっている紫色の帽子を、ぼくが黄色いカチューシャに変えてみたら、女装だけでなく純女さんにもブームになって、「ファッションリーダー」なんて呼ばれたこともあるんだ。でも、根が陰キャなので普段着は地味だよ。下着は上下ともに絶対に白! 上着は黒、以上! 清潔感があって好きだった普段着のほうは、ほかの男の娘アイドルたちも真似た子はいなかったね、残念だよ。

 さっきも書いたけど、本当に小判よりネコが好きって感じで、お金には関心がなかったんだよね。朝から舞台、夜からハッテンのお仕事で、使う時間もなかったし。

 ぼくの地味さがとばっちりを受けたこともあったなぁ。原因は例によって井原西鶴さんね。
 西鶴さんが劇場の男役の役者さんと、非番のとある男の娘の家にホワイトデーのお返しとかいってアポ無しで行ったんだ。そうしたらその彼女は家の前で、お魚屋さんと鮭の切り身の重さが1グラム少ないから、まけろだなんだと口論をしていたらしい。さらに彼女は非番だったもんだから、ブリーフ一枚(しかもちょっと前が汚れた)だったんだって。西鶴さんは「いくら長髪でも、長州小力ってわけじゃないんだから。松島ハァヤを見習え! 同じ女装でも、せかせかした大晦日とゆったり華美な元旦くらいの大違いだぞ」なんてしかっちゃったもんだから、そのあと、メイクルームでぼく、けっこういじめられたんだよ。

きのこの仕込み

 ある秋の日、遠くに住んでいる道古っていう太い客の純男さんを、みんなでもてなそうというバーベキュー大会を開いたんだ。ぼくが幹事だったので、大坂の茶臼山に決めた。ぼくは戦国時代も好きで、だから大坂夏の陣の時に真田幸村が戦った茶臼山に決めたんだ、ハッテン場の多い新世界にも近いしね。花見の時期には桜がきれいで、秋は秋で色々な虫が豊かな自然の中で鳴いてて風情があるんだよ。
 池のほとりにテントを張って、バーベキューが始まると、さっそくお酒好きの人たちが夕日のような顔を真っ赤にして、どんちゃん騒ぎ。肉が少なかったみたいですぐに食べ物がなくなって、「肴がないと酒が飲めない!」と騒ぎだしたとき、近くの村の子どもたちが竹のかごをもってやってきたので、「なにを取るの?」と聞いたら、「松茸狩りです」というので、「こんな新世界に近いところにも松茸があるの?」ってみんな驚いたけど、子どもたちは上手に落ち葉の間からたくさんの松茸を採ったので、まとめて買ってあげた。

 その場でバーベキューにして、みんな「おいしい」「おいしい」とぺろっとたいらげた。昔、松茸狩りの時にうまれたという歌「USA」が当時すごくはやっていて、ダンスのうまい男の娘の歌山春ちゃんがうたって、みんなで例の振り付けをして、めちゃくちゃ盛り上がったんだ。


 実はこの松茸、幹事のぼくの仕込みだったんだ。テレビで芸能人がきのこを栽培する番組でやらせで買ったきのこを収録前に植えていたってニュースを見て、ぼくは「これ、接待に使えるんじゃないかな」ってアイデアを拝借したわけ。あとで、西鶴さんにはばれたけど、「行き届いていて、ほんとハァヤはすばらしい女装だ」と逆にほめられた笑  ぼくのことをかわいがってくれた西鶴さんは、「ぼく」だけでなく、口癖の「いやん」と「ん、、、もう、だめ」が気に入ったみたいで、何回かツイートされたっけな。恥ずかしいんですけど。

舞台中の大事件

 ぼくはご存じのとおりJ座(J事務所)に所属していました。1年前の4月、ぼくが主役の舞台で、オレンジ色の衣装であでやかに舞い、お客さんからのかけ声やオタ芸もばっちり決まって、すごく盛り上がったステージになった。クライマックスのとき、客席から田舎のお金持ちっぽい男性が舞台に飛び上がり、「いとしの松島ハァヤさまぁ、わたくしのようなつまらない男がお慕い申し上げることすら畏れ多いことですが、わたくしの真心をごらんください」と、腰につけた短いほうの日本刀を抜くと、左の小指を板の床に押し当てて、ゆっくりと五回、六回とひいて、指を切り落とし、紙に包んだ指と日本刀を床に並べて、ぼくのほうにずいっと押し渡してきた。


 その時、ぼくは少しも騒がず冷静だったと言われているみたいだけど、びっくりして固まっているだけだった。まったく非常識な行動だったけど、ぼくは、そう、恥ずかしいけど、きゅんって濡れちゃったんだ。「ぼくを思ってくださる気持ち、すごく伝わりました。ただ舞台の最中ですから、裏の楽屋でけがの治療をしていてください」と言ったけど、この人は逃げるように背中を向け、劇場から出て行こうとした。ぼくはもっと切ない気持ちになって、「あとでぼくの家へ来てください」と大胆なことを舞台の上で叫んじゃったんだ。


 舞台の床に落ちていた小指と刀をマネジャーが片付けようとしたのを制して、自分でそっと指だけ取り上げ、持ってきてもらった真水で血を洗い流してから、ていねいにハンカチで包んで、ブラジャーと左胸の間にそっと入れた。この一連の行動は別に考えてやったわけじゃないけど、そのあと大きな歓声と拍手が鳴り響いたんだ。情けのある態度ってことで好感をもたれたらしい。いいファンを持ったと思うよ。それにしても、歌舞伎史上、こんな出来事はなかったんじゃないかな。

日本刀をめぐるミステリー

 幕がおりて、楽屋に戻った。指と短めの日本刀がぼくの目の前にある。マネージャーに客席にいた西鶴さんを呼んでもらった。なにかと頼りにする純男は西鶴さんなんだ。
 「いやはや、前代未聞だね」とつるっとした頭をなでながら西鶴さんが飛び込んできた。
 「ぼく、彼に、恋しちゃったみたい」
 「えっ? ハァヤはうぶだからねぇ」
 「この日本刀ももらったんだけど、これ高い品じゃないかな? 西鶴さん目利きしてくれない?」
 「いいけど、どうして高いと思ったんだい」
 「日本刀って切れ味いいよね。でもこれきっちり6回もギコギコひいて小指1本切れただけなんだよ」
 「ふーむ、あつらえは立派だけど、切れ味はないのか」
 「それって、すごく古い日本刀なのかなって」
 「たしかに、600年前の平安朝の名刀は研ぐと薄くなるから磨かないケースは多い。さすが万事にすぐれたセンスのいい子だ」

 ぼくは早めに家に帰ってベッドをきれいにし、色々なところにファブリーズや香水をふきかけ、夜に彼がやってくるのを待った。先に来たのは西鶴さんだった。興奮した様子で、「この刀はすごい」といって、小指と薬指をたてた。ぼくは「200万円くらい?」と聞くと、西鶴さんは首をふった。「2000万円!? フェラーリーが買えるよ!」。
「このあつらえの古刀を長宗我部家が持っていた話がある。最近、行方不明になっているそうだが」
「関ヶ原、大坂の陣で負けた、あの?」
「うむ、土佐の元大名」
「ぼくはそんな高価なものいらないよ。でも、家に呼んだ以上、返礼品を渡さないと。どうしよう、西鶴さん!」
「うちの京都の支店で売っている一番いい刀を持ってきた。備前兼光だ。南北朝時代のだが、レクサスの安いクラスなら買える」
「ありがとう。じゃあ、それを預かるよ。お礼は劇場の年間パスポートでいいかな?」
「もう持っているよ。代わりに今度の京への涼み旅行の夜にはお楽しみの相手を頼むよ! じゃ、邪魔者は帰る」

結局、ハッテンせずに帰った彼

 それからぼくは、一度しか見ていない彼を待ちわびた。ところが、夜になっても現れない。少しうたた寝をしてたら、お寺の夜明けを示す鐘が鳴り、空があからんできたころになって、ようやく彼が友達と二人でやってきた。半分眠かったけど、ぼくは、いろいろと話しかけ、喜ばそうとしたり、褒めたりしたんだけど、彼は身を震わせて、「かたじけない」とひとこと言うと、すぐにだまり混んでしまう。どんだけシャイなの。全然しゃべらないので、一緒に来た友達が、彼のぼくへの熱い思いを伝えてくれた。やっぱり彼の思いは本物だと、思わず涙が出るくらいうれしくて、さらに身体を寄せて、あれこれほのめかして、隣の部屋のベッドに誘ったものの、がんとして動かない。お酒は好きなようで、かなり強い日本酒をたくさん飲んでたけど、飲みきると、帰ろうとする。
 ぼくは「はぁ? これからだよ、ぼくたちの時間は」と言ったけど、どうしても帰ろうとするので、ぼくは心残りのまま、「次にお会いするときまでの形見です」と、例の舞台でぼくが着た黄色い衣装と、いつもつけている香水、そして、西鶴さんが用意してくれた数百万円はするという兼光ブランドの日本刀を返礼として渡したんだ。


 帰り際に友人のほうをひきとめて、こっそりと「どこの人なの?」と聞くと、小さく「土佐(高知県)です。きょう出航なのです」と教えてくれた。やっぱり。


 その日のうちに彼らは土佐に向かって船旅をはじめたんだけど、途中途中で手紙を書いて送ってくれたし、ラインも届いた。「四月五日の三日月は、純女もすなるハァヤちゃんのカチューシャに見えました」とか、「いただいた香水をつけたら、まるでハァヤちゃんがそばにいるようです」とか、「広島の鞆の浦ではいまさらながらUSAがはやっていて、若い子がみんな踊ってTikTokに投稿していました」とか、元気そうなラインだったんだけど、彼が土佐に行き着く直前、最後の連絡は例の友達からだったんだけど、「いただいた兼光で切腹して果てました」と知らせてきたんだ。今思えば、刀なんて贈らなければよかったと後悔しているよ。


 このあと、しばらくして男の娘を引退することになるんだけど、彼の死が影響したのかは、よくわからない。ぼくが生きている証しに、永く残る物づくりをしたくなったんだ。おすすめは、ぼくが魂を込めて彫刻して絵も描いている扇。まるでぼくが隣で涼しい風を送っているような涼しさを味わえるはずだよ。


【文庫版に際して(井原西鶴)】


 この話は、もとより紀貫之の「土佐日記」へのオマージュで、「男もすなる日記を女装がしてみた」風で、書いたもので、実際に松島ハァヤが書いたわけではない。単行本(『全訳 男色大鑑<歌舞伎若衆編>』参照)と比べ、だいぶ話が異なると思われる読者も多かろう。単行本を出したとき、ツイッターで「なんで男の娘のほうが客に刀を贈ったの?」「『歌舞伎若衆編』最大のミステリー!」などの反応が多かった。読者の想像に任せるという思惑だったので、私としてはしめしめで、とくに書き換えるつもりはなかった。
 ところが、別の大手出版社から文庫化の話があり、進めていたところ。編集者が真っ青になって電話をしてきた。「J事務所から猛烈なクレームが来ているんです」
 書き換えを求められたのは2点。
 ・見返りを求めてほかの現役男の娘アイドルたちにも指を切って贈るファンが出てくるかもしれない
 ・土佐の男からの手紙は事務所のマネージャーがチェックした上でコピーをして本人に渡しており、現物は今も事務所が持っている。手紙の詳細な内容の公開は、著作犬法(どこかの馬鹿が生類憐れみの令に紛れ込ました例の悪法だ)に違反する
 だった。
 一つ目はそんなこと知るかで無視した。二つ目も放っておけと思ったが「お白州裁判になると困る」と編集者が涙目なので、しかたなく、私しか知らない真相をベースに、文庫化にあたり、大幅に改稿した。「最大のミステリー」とロマンを感じてくれた単行本の読者には申し訳ないが、こういうことだったのだ。後半の手紙の部分は省略し、ラインで送られたメッセージをあらたに紹介することにした。
 なぜ、松島ハァヤが高額の刀をもらっていたことを書かなかったか? それは本文に書いているとおり、この子は本当にお金に関心がないことを強調したかったからだ。ちなみに土佐の男に贈った例の兼光は友人を通じて、私の元に戻ってきた。私は損をしていない。(お礼にハッテンしたかは秘密だ)。
 これを書くのは最後まで躊躇したが、あの国宝級の日本刀は、いまもハァヤ(七左衛門くん)のお店にある。ただ、今やフェラーリーどころか軽自動車だって買えやしない。彼女は、このあまり切れない名刀を近所の鍛冶屋でよく切れる木工用ナイフに打ち直してもらい、ハンドメイドの作業に使っているのだ。あとで聞いた私はあまりに驚いて口もきけないほどになったが、彼女はさらりとこう言った。「飾られているより、ぼくが毎日手に触れているほうが、きっと彼はうれしいよね」
 
 

女装的解釈


*上に書いたように、「全訳」で「最大のミステリー」と紹介されている逸話です。たしかに、最初に読んだときに、男が贈るのでなく、女装側が贈るの?って疑問に感じました。江戸時代以前の本は、みんなそうらしいのですが、全体を通じて、主語や主格が頻繁に入れ替わる(それも主語や脈絡がなく)ので、逐語訳の現代語訳は、はてな、はてな、はてな、ってところが多いです。
 土佐日記なので、男が女(この場合は女装)に仮託して読み直したところ、あぁこういうことかなって思ったのが上の完全女装訳です。
 ちなみに、土佐日記もついでに読んでみましたが、ぜんぜん「女」として書いていないんですね。女風呂をのぞいて鼻血ブーみたいなのがあったりとか、女をよそおっているそぶれがまるでありません。なんでだろうと思ったら、「男文字=漢字で書くことになっている日記を女文字=ひらがなで書いてみる試みをする」みたいな解釈があるそうで、あぁ、なるほどと。
 井原西鶴は「男色大鑑」の第一章の1で、平安時代のモテ男として有名な在原業平を「女装だった」と想像しているようです。するどい。逆に今回の話の原典では、土佐日記内の紀貫之は女装でもネカマでもない、たんなる男であると解釈している風があります。原典の土佐日記をオマージュしたパートの主語は、完全に純男である土佐の男が主語だからです。
 ますます、井原西鶴が女装界をよく理解していた純男であることが浮かび上がってきましたね(笑)
 原典は、巻7の2「女方もすなる土佐日記」。松島ハァヤは、「松嶋半弥」。


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