疑似姉妹女装のための現代語訳「男色大鑑<男の娘編>」第5話

 女装をしたら一度は持ちたいもの、それは姉妹。もちろん女装のね。
 超時空完全女装現代語訳も、はや5話目です。美しい女装の「姉妹」が出てきたら、トライアングラーな関係になりそうなものですが、さてさて。

 君は誰とキスをする? わたし? それともあの娘? 


 参考文献など1話目はこちら

第5話 江戸から尋ねてそのまま男子


 
 「ブッポウソウ」と鳴く仏法僧という鳥がいる。紀州の高野山(和歌山県)、山城の松尾神社(京都府)、河内の高貴寺(大阪府)に限って生息し、夏の間、しかも寝静まった真の闇夜でなければ鳴かないのだそうだ。偶然、この鳴き声を聞けた人は、ありがたい響きに心が澄むという。高野山は空海が開いた仏教の聖地であるから、そこで聞いたら格別にありがたいことだろう。山深い高野山の山続きの河内国の玉手という村にとある大きな寺院があった。たくさんの修行僧の中に美しい若い僧がいた。


 この人の経歴を聞いたところ、主膳お玉という超有名な江戸男の娘歌舞伎の看板女優だった。見た人の命を奪うと言われたほどの美しい男の娘で、アニソン、ボカロ、演歌まですべてのジャンルの歌がめちゃくちゃ上手だった。さらに、純女にはまったく興味のないことで知られ、女装界ではみなあこがれていた存在だった。


 月日がたち、人気は高まる一方で、美しさも二十日あまりの月のように頂点を迎えた二十歳ごろ、彼女は突然女装界を引退してしまった。本人はかねてから考えたいたのかもしれないが、東京を離れ、地方を転々とし、ようやく腰を据えて、この河内の山深い寺に就職を決めたのだった。

 南向きの小さなアパートの部屋に住み、早寝早起きの仕事生活を送っていた。突然の引退から三年ほど、人に居場所も知らせなかったし、知られることもなかった。

3年かけて見つけたお姉さん

 お玉が男の娘役者であった時にかわいがっていた年下の男の娘に、浅代というとても美しい女装がいた。性格もよかったので、すぐに人気者になった。お玉は妹分だったこの子をやがて好きになり、両思いになると、二人とも「売り」はやめて、ずっと二人で一緒にいようと将来を約束する仲になった。しかし、お玉が行方も知らせずに出奔してしまったので、浅代は嘆いたが、気を取り直して、ツイッターでかすかな痕跡を追い、三年かけてようやく居場所をつきとめた。


 浅代は新大阪行きののぞみに飛び乗り、バスを乗り継いで寺を訪れた。浅代が見たお玉は、昔の女装時代の面影が水の泡のように消えていた。泥まみれになって、井戸の水をくんでいる元恋人を見た、浅代は桶にあふれるほどの涙をぽろぽろと流した。「お姉さま! このありさまはどうしたというのです?」と、衣の袖にすがりついて、人目も気にせずに号泣し続けたのももっともなことであった。

 お玉は優しく、ただよそよそしげに答えた。「ご覧のように、かつての私ではありません。私は生きているとも言えないような身の上です。またお会いできると思っていませんでしたが、ずいぶん年月が経ったのに、こうしてわざわざ訪ねてくださったお気持ちは忘れません。あなたは男の娘としてまだ花の盛り。東京のファンの人たちもあなたがいなくなったら寂しく思うでしょう。熊谷(埼玉県)にいらっしゃるご両親も心配されているでしょうから、すぐに東京へお戻りなさい」。

 浅代がもうバスがないのと言うと、じゃあ、今夜だけ泊まっていきなさい、狭いけどとお玉は言った。お玉のアパートは四畳半でクーラーもなかった。お玉はガスをひねってお湯を沸かそうとしたが、なかなか点火しない。ガスが止められていたのだ。茶碗が二つあるだけでキッチン道具もなく、ふとんを敷いた四畳半は壁に古いアニメのポスター一枚が張られただけで、風流なものといえば、窓際の空のペットボトルに菊の花一輪がささっているくらいだった。

 ひとつしかないふとんは浅代に譲られた。クーラーも扇風機もないが、田舎の涼しさと、お玉が「眠るまで扇いであげる」と団扇をしきりに風を送ってくれるので、気持ちがよかった。

 外見は変わったが、変わらぬ優しいお姉さまを前に、浅代は眠りつけなかった。ふとんに入ったまま、「ねぇ、お姉様」「なあに、浅ちゃん」と、過ぎ去った日々と同じ呼び名で声をかけあうと、堰を切ったように、昔の思い出がぽろぽろと出て、語り合いながら涙にむせび、涙がとまればまた語り合った。夢のような夜はあっという間に過ぎ、そして夜明けを示す鐘の音が響いた。

東京の方へ帰ります

 お玉は涙をぬぐうとまたよそよそげな態度に戻り、「一番鶏が鳴いたらすぐに、東京へ旅立ちなさい。これからは近況を知らせるLINEも送らないで。ツイッターはブロックさせていただきます。せめてのつながりに形見としてこれを差し上げます」と言って、お玉が肌身離さず持っていた、真珠のネックレスを手のひらにそっとおいて、掌を重ねた。
 すると、二人はまたつないだ玉のように涙をぽろぽろと流すのであった。二人の手はまったく離れようとはせず、ようやく明け方の霧が晴れて、夏の山がはっきり見えるようになった時、浅代は「言われたとおりに帰ります」とアパートを出て行った。お玉は、かつて愛した美しい男の娘の後ろ姿を窓からしばらく見送っていたが、まもなくあきらめたかのように、うなだれた。森への道を歩く浅代は、やがて覆い茂った山に入り、見えなくなった。


 しばらくお玉は泣きはらしていたが、胸もすっきりし、窓のカーテンを閉めて、思いを断ち切るように中島みゆきの「時代」を念仏を唱えるように歌い続けた。すると戸をたたく音がした。「アマゾンの注文なんかしていないはずなのに」とあやしんでドアを開けて見ると、美しい長い黒髪を剃り落としたボーイッシュな浅代が立っていた。「お言葉のとおり江戸のほうに帰って、また出直してまいりました」と言う。
 「江戸のほうって…。あんなに美しい姿をこんなありさまにしてしまって」とお玉は嘆いてみせたが、仕方ないので、浅代の事を住職に相談すると、「女装界は夢の浮世と悟ったわけじゃな。もう女装に思い残す事はないということなら」と、住職は浅代をそのまま就職(出家)させくれた。


 その後は、浅代もひたすら残りの半生の安楽を祈る身となったが、これこそ、まことの女装の究極の姿と断言できよう。二人が、朝は山の井戸から水をくみ、夕方になれば山の枯れ木を薪にするために運び、つつましく就労に勤める様子は、こんなにも残酷な世界では美しくあった。

三角関係には、なりません!


 ところで、このお寺の隣村の古市(のちに世界遺産とやらになる古市古墳群があるところだ)という村に、豪農の娘がいた。かの浅代が最初にやってきた時、偶然見かけて、「なんてすてきな男の娘」と興奮で我を忘れてほとんど半狂乱となり、お玉のアパートまであとをつけた。召使いの女たちが引き止め、なだめて一度は家に連れ戻ったが、娘は自分を抑えることができず、翌日の夜(つまり浅代が江戸のほうへ行って戻ったしたあと)にこっそりとアパートにお忍びで行った。裸電球の明りがかすかにもれているアパートの窓から中をのぞいて見ると、黒髪ロングの女装がスキンヘッドになっているではないか。
 娘は大声をあげ「あの男の娘をどうして坊主頭にした!」と泣きわめいた。お玉と浅代は突然のことに驚いたが、そもそもまったく知らない純女だったので、窓をしめて放置したが、娘はますます声を荒げ、口汚くののしり出したので、アパートや近所に住む同僚の僧侶たちが集まって来た。地元のその娘を知っている僧が「はしたない事をやめなさい」などと説得したが、まるで聞こうとしない。ただただ、「このお方の髪を誰が剃ったんだ? そいつを恨んでやる!」と繰り返すだけで、全くのきぐるいピエロであった。


 誰かが隣村の親に知らせたので、関係者がやって来て「世間の目もある。もうこの人も髪を切った以上はどうしようもない。またいつか、髪が長くなる時もあるかもしれないし」と、娘をなんとか落ち着かせた。冷静になった娘は、「本当にあさましいことで、すみませんでした」と頭を下げたが、「私がいくら騒いでも、あのお方は何とも思ってはくださらないでしょう。こんな実らないつらい恋は、きっと前世から定まった運命に違いありません。十四歳の私も、産まれてからずっと髪を伸ばしてきたのですが、今日をもってこのロングヘアは仏道に入るために捨ててしまいます」と言うと、自分で髪をばさっと切ってしまった。住職はやむなく娘も尼として出家させることにして、元男の娘の二人とは離れた西のはずれに専用の宿舎を建ててあげた。
 その後、少女はその宿舎にひきこもり、その姿を見た人はいなかった。恋心を突然発火し、一瞬で燃え尽きたのだった。


 もちろん二人は少女に近づくことはなかった。ここまでが20年ほど前のことである。二人は派手な芸能活動の経験がありながら浮世をすっぱりと捨て、今でもこの寺を離れず、地味な暮らしを淡々と続けている。この間、東京での全盛期を知る人が、昔をなつかしがってたくさん訪ねたが、二人はそうした人と面会することはいっさいなかった。そうしてだんだんと訪れる人も減り、かつて浅代が往還した山道も草が覆うようになっていった。
 これは最近の話だが、山本カンという京都の売れっ子男の娘が、大和国(奈良県)の竜田川に紅葉見物に行ったとき、調子に乗って、噂に聞く伝説の女装のなれの果てを見てやろうと、この寺まで足を運んだ。壁の向こうから、派手さはなくとも、満ちあふれた二人のありさまと表情をのぞき見て、山本は心を打たれ、「なるほどこの世は夢のまた夢のようなものだ」と悟ってしまい、これまた出家してしまった。山本は男の娘としてはかなり歴が長くなっていたので、よくよく女装の将来について考えるきっかけになったのであろう。それにしても、三人とも女装の盛りに引退したことはなんとも惜しいことである。

女装的解釈

* 男色大鑑の後編(巻5~8)では、寓話度の高い前編(巻1~4)と打って変わって、ノンフィクション性を追求した井原西鶴。西鶴は純男なので、当然と言えば当然ですが、実は女装同士のあつい関係について描いたものはわりと少ないです。
 女装同士が恋に落ちることはままあり、「かまれず」などと女装界では言われていますのにね。女装した状態で恋にオチるのは大いにあり、なのですが、女装を引退した状態でも続く仲は、性や見かけを超越した究極の愛と言え、率直にあこがれますね。西鶴が取り上げたのも納得のエピソードです。
 ただ、最後の「女装の引退が早すぎてもったいない」はなんとも純男らしいけど。さらに言えば、後段に出てくる娘は、恒例の「純女うぜぇ」の対象であり、娘の一方的な恋が女装たちに伝わることもなく、完全な独り相撲です。前々回にも書きましたが、けして「女嫌い」ってことではない、と思います。これほど、女をいじり倒すのも、なかなかないかもしれませんけど。
 原典は巻5の4「江戸から尋ねて俄坊主」で、名前は、年上のお玉が玉村主膳、年下の浅代が玉井浅之丞。

 ちなみに、女装界において、必ずしも年上がタチ、年下がネコということではないということは明記しておきましょう。二人が邂逅した夜に、二人がハッテンしたとしたならば、お玉がネコ、浅代がタチだったと私は脳内再生しました。まぁ、どうでもいいことですが。

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