見出し画像

人間の「予定不調和」を生かす 『ACE(Adaptive Collaborative Education)』 ―シンギュラリティが訪れた際、        人類はどうあるべきか―

はじめに
本稿では、今日必要だと思われる「個別最適化の共育」を実現するべく、その方法論及び課題を提示していく。従来の「教育」というものは、集団的画一教育であり Society3.0 社会の産物であると言える。しかし、シンギュラリティの訪れが囁かれつつある近年においては、画一化されたことは AI がこなしてしまう。だからこそ、そういった社会でも人間が自らの需要を創出できる、何かに特化したオンリーワンの人材を輩出していくための、個別最適化された学びが求められているのだ。また、私は AI にはない人間独自の能力は「うっかりミス」や「セレンディピティ」をはじめとする「予定不調和」であり、それは「共育」により発生させやすくなると考えている。しかしながら、従来では学びの個別最適化を行うと必然的に共育が行えなくなっていた。だからこそ「個別最適化された共育」というように、同時的な実現を可能にするような教育形態の構築が急務である。

1.個別最適化教育の現状
今日では既に、学びの個別最適化を図った事業を進めている組織はたくさんある。例えば、atama plus 株式会社はそのうちの一つであろう。同社は、主に塾・予備校を中心に市場を拡大しており、AI を活用することで個別最適化されたラーニングシステムによる次世代
のオーダーメイド型個人レッスンを可能にしている。その他にも AI 型タブレット教材のQubena やゲーム感覚で学習できる対話型アニメーション教材であるすららも個別最適化を謳っている。また、N 高等学校の人気も注目すべき現象である。この人気を見ていると広
域通信制高等学校の形態がこれからの社会に適した教育になるのではないかと十分に予測される。私もこの教育形態には可能性を感じている。なぜなら先にも述べたように、きたるべき Society5.0 のスマート社会において必要になるのは規格化された人間ではなく、オンリーワンの何かを持っている人間であり、通信制はそういった人間を育むことができる 5教科に縛られない多様な学びを可能にしているからだ。また、上越教育大学教職大学院教授である西川純は広域通信制を高く評価しているi。同氏は広域通信制の提供する個別最適化された教育は、経営学者であるピーター・ドラッカーの言う「すでに起こった未来」iiであると述べている。2020 年の文部科学省学校基本調査iiiによると、現在高校生約 320 万人のうち約 20 万人が通信制高校に通っており、急激に顧客が増える変わり目である全体の 16%の約 50 万人に着実に迫ってきている。今や、全日制や定時制に通う人は減ってきており、通信制の生徒数だけが毎年右肩上がりに増えているのだ。このような状況下においては、通信制という市場にアーリー・マジョリティが顧客として入ってくるのはもはや自明であり、そうなるのも時間の問題なのだ。従って同氏は、これは遅かれ早かれ起こる未来、すなわち
「すでに起こった未来」であると述べたのだ。

2.シンギュラリティの到来
しかしながら、個別最適化された教育の実現を目指している、先にも述べたようなシステムを開発している企業は、こぞって AI を活用している。AI は研究が始まった 1950 年代以降、様々な変遷を遂げてきた。そして現在は第三次 AI ブームが到来し、ディープラーニングの導入が活況を呈している。ディープラーニングはデータから特徴量を自動で学習するため、例えば大量の同一物の画像を学習させることによって、記号と概念の一部である視覚的情報との接地を可能にした。このような画像認識や自然言語処理といった一部の領域では、既に大量のデータからの意味理解が出来つつある。私は、ディープラーニングが台頭してきた近年においては、その領域は拡大の一途を辿るだろうと考えている。アメリカの発明家であるレイ・カーツワイルは人工知能が人間の能力を上回る特異点である「シンギュラリティ」を提唱したiv。収穫加速の法則により、テクノロジーは指数関数的に進化しているため、2045 年には 1,000 ドル程度のコンピュータでも全人類の計算性能を凌駕して、世界は激変するだろうと予測されている。一方、近年においては「AI が感情を持ち、思考出来るようになることは理論上あり得ないため、これからの時代、人類は思考力や感性などの人間独自の能力を磨くことが得策である」というような考えもある。また、物理学者であるロジャー・ペンローズの、意識の起源は量子力学的現象であるとする『量子脳理論』vが正しいならば、現在の AI システムには量子力学的現象が付随していないため、そういった AI を進化させても意識は生まれないと言えるのかもしれない。このようにシンギュラリティは起きないと考える意見も多くあるが、先ほども述べた収穫加速の法則が働いているテクノロジーの発展過程においては、人工知能がもはや人類が予測できないような進化を遂げてしまう可能性が往々にしてあるだろう。このような状況下ではもはや、シンギュラリティは来ないという主張は人類による単なる希望的観測に過ぎないのではないか。自然科学者のチャールズ・ダーウィンによれば、進化過程において、その時代に対する適応力が無ければその種は自然淘汰されるvi。人類はどのように進化し、現在のような姿になったのか。この問いに対し多くの人々は「猿が進化して人類が誕生した」と答えるだろう。これこそ最も短絡的であり、理解に難くない答えである。しかし、魚類学者であるプロサンタ・チャクラバーティはこの問いに対し「人類は魚から進化した」と答えるvii。一見理解に苦しむこの言葉は、多細胞生物の中で一番初めに背骨を持ったのは魚であり、それゆえに脊椎動物は全て魚から始まったということを意味している。さらに同氏は、そもそも生命は進化しつつ絶滅していくため、大半の種の存続期間は数百万年に過ぎず、人類もほぼ同じ存続期間であると主張する。それにもかかわらず私たち人間は人間中心主義のもとに存在しており、他の生物に比べてほんの少し新種なだけである人類のことを特別な存在であると考えているのだ。しかし、生物の進化過程において私たちはあくまで中間種であり、最終地点ではない。人類は、数十億年の生物の歴史のほんの一部分に存在しているに過ぎず、その時代における「適応力」viiiがあるに過ぎないのだ。まさに現在進行形で発生している COVID-19 のような強大な感染症も、人類の適応力を試しているのではないか。近年急速に進みつつある社会のグローバル化も相まって、感染症はますます広がっている。とはいえ、近々にはワクチンの開発によって人類のこの時代に対する適応力はまだ衰えていないということが証明されるであろう。しかし、こういった予期せぬ事態が何度も人類を襲って来るにつれて、次第に人間よりも AI の方が適応力を発揮するもしれない。そうなると、今後もし AI に意識が宿り、自ら思考し、ある種の生物のようになってしまったら、もはや人間は淘汰されていくだろう。そうならないためにも、シンギュラリティが到来した社会においても適応できる能力を磨く必要がある。

3.人類の存在意義
なぜ人類が存在するのか。なぜ AI に取って代わられることは望ましくないことなのか。これを単なる人間中心主義という言葉で片付けてしまって良いのだろうか。私はそうは思わない。私は人類の存在意義はそれほど単純なものではなく、もっと深いものだと考えている。人間にしか果たせない、ある「使命」があるのではないかということだ。そして私は、それはいわゆる「予定不調和」の産物であると信じている。シンギュラリティはいずれ訪れるのかもしれない。現時点で存在する AI は単純な情報処理能力において既に人類に勝っている。さらにはいずれ開発されるであろう意識が宿り、自ら思考出来る AI は、思考力、主観性といった現在では人間独自とされている諸能力さえも奪ってしまうだろう。シンギュラリティによる人類の必要性が危ぶまれている今日だからこそ、一度立ち止まって人類の存在意義について再考してみようと思う。私はある 1 つの「可能性」に辿り着いた。それは人類の持つ「予定不調和」である。「予定不調和」は生物の進化にも関係している。例えば、人類がなぜ有性生殖を行い発達してきたのか。通常、オスもメスもない無性生殖を行う生物は、有性生殖を行う生物の 2 倍の速さで増殖できるため、多くの子孫を残す上で有利であると考えられている。それにもかかわらず、なぜ有性生殖の人間がここまでの繁栄を続けられているのだろうか。その理由こそまさしく、有性生殖独自の
「予定不調和」にある。有性生殖においては交配を通じて様々な遺伝的組み換えが起こり、多様な子孫が生まれる。その中では、少なからずは「予期していなかった変異」が起こり、その思いもよらない変異が現在の私たちのような適応力のある生き物を形成しているのだ。この現象について、基礎生物学研究所教授の長谷部光泰は、進化の源泉はある集団内の 1 つの突然変異であり、それを起こした遺伝子を増加させる原動力として 2 つの力が考えられると述べているix。1 つは適応力のある特定の性質が徐々に増加していく「自然選択」であるが、もう 1 つ重要な原動力は「遺伝的浮動」であるとしている。遺伝的浮動とは小集団に起こりうる「偶然性」によってある遺伝子が集団に広まる現象のことであり、まさしく予期していなかった変異、すなわちある種の予定不調和であると言える。これにより人類は、誕生してから現在に至るまでの時代における適応力を獲得するべく、予期せぬ進化を可能にし大規模な繁栄を実現したのだ。「予定不調和」こそが、AI に対する人類の存在意義であると述べたが、「予定不調和」だけで人類が進化してきたわけではない。人類と他の生物の決定的な違いは文明や科学の発達を導き出したことである。いわば、人類は「予定不調和=失敗」から大きな発見や創造をしてきたと言える。例えば、2002 年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一は、間違った試料を混ぜてしまったが、捨てるのは勿体ないと思いテストをしたことによって、目的であったタンパク質の質量解析を実現できたのだ。この他にも白川英樹、江崎玲於奈、ジョン・バーディーンなど、当初は失敗であった方法によって思いもよらない予定不調和的な大発見をした事例は、枚挙にいとまがない。特に、社会に大きなイノベーションを起こした発見や発明は往々にして常識から外れた馬鹿げた発想から生まれている点も大切である。「ポケットに入る小さなパソコン」という当時では非常識とも言える発想からスティーブジョブズは iPhone を創り出した。このように非常識とも思える馬鹿げた発想が人類の存在にとって重要な鍵概念となるはずだ。慶應義塾大学教授でありながらヤフー株式会社 CSO も務める安宅和人が指摘するように、AI 時代においてこそ「妄想力」は欠かせない力となるはずだx。ほとんど予定調和的である AI が台頭する時代において、人間独自の「予定不調和」やそれを生かした「妄想力」はかなり有効であると言えるだろう。AI はある意味で完璧な存在である。ミスもなく、正確に正解を導き出してくれる。しかし、人間はミスを犯し、時に馬鹿げた不可解な発想をしてしまう。しかし、人間のそのような弱さこそが AI に対する人間の強みであり、人類をこのように発展させてきた原動力なのである。Society5.0 社会に向けて、「AI 化」「個別最適化」という流れをもはや止めることはできない。しかし、人間は AI が導き出す予定調和的な結論に頼り切ってしまってはいけない。ミスを犯し、馬鹿げた発想をし予定不調和創り出すことが重要だ。さらに、それが 1人ではなくチームとなれば、多くの予定不調和が生まれ、人類の大きな進歩につながるはずである。シンギュラリティという脅威が迫る未来に向けて大切なことは、AI という正確で予定調和的・個別的なシステムを進めていくことだけでなく、その一方で不正確で予定不調和的・集団的なシステムをも両立させることではないだろうか。

4.「共育」の必要性
学びにおいてはピア・ラーニング、つまり学友と共に学ぶという観点も重要である。学習指導要領に「対話」「協働」という文言が多くみられるように、ピア・ラーニング(「共育」)がこれからの教育には欠かせないものである。慶應義塾大学教授である鈴木寛は、アクティブ・ラーニングの必要性を説いているxi。PISA の調査によると、2012 年時点での日本の 15 歳の学力は OECD 加盟国の中で総合 1 位であったxii。ただ、日本は学ぶ意欲という基準においては 34 ヶ国中 33 位と低い。これに対して同氏はこのままでは学ばない大人ができてしまい、そこが最大の課題であるとしている。そこで示されたのが「高大接続改革」である。アクティブラーナーを増やす。これが高校大学年代において実現出来れば、行き先不透明な新しい時代にも対応出来る。同氏は、そのためには現行の学習指導要領をも凌駕するほどの影響力を持つ、大学入学試験を変えなければならないと述べる。具体的には、3年間の活動実績の積極的活用及びマークシート形式(マルチプルチョイス型試験)の再考である。このように「共育」の必要性はすでにこの数年指摘されている通りであるが、先程述べた「予定不調和」や「妄想力」も「共育」によって様々に形作られるものだと考えられる。つまり、予定不調和な人間が多く集まれば集まるほど、より多くの予定不調和や妄想が生じるのではないかということである。しかし、現実問題として実社会で予定不調和が多発してしまうと社会は大きな混乱を引き起こしてしまうだろう。安心して予定不調和を起こすことができる場、それこそが学校であり、学校での「共育」なのである。

5.「ACE」のすすめ
本来、学びに正解は存在しない。教育とは、発見である。引き出す側の学友によって、ある生徒から発生する革命的なミラクルが汲み取られ、体系化され、新たなツールに落とし込まれる。あるいはその生徒自身で落とし込む。このように教育とは、言わばインタラクティブな発見ツールなのである。だからこそ、その発見をより円滑で効果的なものにするためには「予定不調和を生み出す共育」が必要なのだ。そのために私は「ACE(Adaptive Collaborative Education)」という新しい教育形態を提案する。まず形態としては、現在の通信制高等学校をベースとする。通信制高等学校は卒業するための必要単位数が少なく、全日制に比べ自由なカリキュラムを組みやすい。そして、さらなる生徒個人の意思の尊重のために、学習制度は単位制である。それによって、学問間における興味の移り変わりに対応できると共に、分野横断的な学び、発見が可能となる。また、ACE では「個人の AI コンサルタント」を実施する。AI が生徒一人ひとりをコンサルティングし、個々に最適化された分野のオンラインコミュニティをいくつか提示する。全国には多種多様な考えや興味関心を持った生徒が多くいる。そこで、最後は生徒自身が自分に個別最適化した分野を見つけて、そのコミュニティに参加するのである。AI から人間への役割の受け渡しによって、自分にとって個別最適化された分野のスムーズな発見を可能にするのだ。学習する内容も一新しなければならない。現在の教育は英語・数学・国語・理科・社会という 5 教科を中心に教育がなされているのが、新しい時代の教育は新しい教科の枠組みが求められる。IT・経済・環境問題・宇宙・数学・語学などと言った新しい学習分野の設定も必要だろう。もちろん専門的な学びばかりで基礎学力については大丈夫なのかという指摘もあるだろう。また、通信制でも必修科目がある上に、大学進学率が50%を超えている今日xiiiにおいて、5 教科を重視しないのは理想論に過ぎないのではないかという指摘も考えられるだからこそ、すぐに全てを新しい学習分野での「共育」だけで実施するわけではない。従来型の 5 教科に対応した最低限の学びの習得を着実に担保することもはじめのうちは大切かもしれない。いかにして「予定不調和」を引き起こしつつ、最低限の学びの習得を着実に担保するのか。それに関しても正解製造機ともいえる AI を用いるのが有効だ。具体的には、選択分野ごとの生徒一人ひとりに最適化された「正解が存在するテスト」を AIが作成し、それを解かせる。しかし、学びの大部分は生徒自身が様々なツールを用いて主体的に行っていく。だからこそ思いもよらない間違いから探求が始まることもあり、新たな可能性を見いだせる。これらによって主体的探求学習といわゆる学力の 2 種類の評価の付与が可能となるのだ。しかし、実際のところ「確固とした基礎学力」というものは本当に存在するのだろうか。西川純は、高等学校の各教科の内容は現実の社会生活・家庭生活とは乖離していると指摘している。特に同氏らが行った調査xivでは、数学や理科に関しては半数以上の人が社会生活・家庭生活に深く関係しないという結果となった。5 教科の基礎学力が大切だと言われ続けているが、実際のところ本当に 5 教科すべての基礎学力が必要だと感じている人が少数なのも事実である。これからの社会に適した基礎学力が求められるべきであり、これからの社会では基礎学力の定義も個別最適化されるべきではないか。もはや従来の基礎学力などに価値はなくなり、新しい学問分野へと移行していくはずだ。では、AI による個別最適化を図りながら、「共育」をどのように可能にするのか。一部には「通学コース」を設けている通信制の学校もある。現在、N 高で言えば国内に 19 カ所ほど校舎が設置されているxvため、全国的に展開されたキャンパスに通うことで、ディスカッショントレーニングなども含めたいわゆるアクティブ・ラーニングは可能となるのかもしれない。しかし、そこでの学びは個別最適化されていない。なぜなら、グルーピングを「通学したい生徒」で行っているからだ。それでは学びたい分野が合うはずもない。また、校舎から遠距離の地域に住む生徒は通学をすることができないという地理的な問題もある。ここで活用するべきものこそ、次世代のインターネット環境なのだ。今年はCOVID-19の世界的な感染により社会が大きく変化した。瞬く間に普及したもの、それこそ Zoom に代表されるオンライン会議システムである。株式会社Synamon によるとxvi、ビデオ会議が浸透していなかった状況で VR 会議を提案しても「まだ早い」などと一足先のサービスのように思われていたが、今ではビデオ会議を利用する人が増え、遠隔コミュニケーションへの心理的抵抗や価値観が大きく変わっているとのことだ。またこれが普及したことにより、オンライン上での仲間との仕事が可能となったのみならず、ありとあらゆることがオンライン化したのだ。一部の大学では、これからも Zoom で授業をすることが囁かれており、賛否両論の意見が飛び交っている。これを利用しない手はない。このようなシステムが急激に普及したことにより、たとえ場所が北海道と沖縄だったとしても、同じ分野を学びたい生徒たち同士で、個別最適化された共育が実現できるのである。また、この半年間で教育界では様々なオンライン教育の手法が生み出され始め、この動きはますます加速するだろう。
しかしながら、現状の Zoom では画面を介して話すことしかできず、少し物足りない。ここで生きてくるのが、収穫加速の法則で近年目覚ましい発展を見せているテクノロジーの力である。先程あげた株式会社Synamon はデジタルとアナログが融合した世界の実現を目指す IT 企業である。同社によるとxvii、これからのテクノロジーは空中に文字や図を書き、それを任意の場所に移動することもできるため、空間全てがホワイトボードのようなものとなり、ある意味実際の会議室を超える機能を備えているとのことである。そういった、これからのテクノロジーを以てすると、遠くにいながらもヴァーチャル空間を介してより効果的なコミュニケーションを図れることは必然的である。また、教員はどうなるのか。私は、学校教員という職業がなくなるということは考えにくいと思っている。ただ、その役割は大幅に変化する。従来であれば教員の役割は「正解を教えること」であった。しかしここにおいては、その役割は AI が担う。従って、教員には ACE の共育を促進し、活発にするファシリテーター的な役割が求められるのだ。この教育形態においても、学校教員の存在は重要となるだろう。

6.個別最適化共育を全国に
この数年は「主体的・協働的な学び」「大学入試改革」など教育改革がトップダウン方式で変わっている。確かに、その方が安定した確実的な改革が行えるのかもしれない。しかし、果たしてこのまま改革を公的機関に委ねていて良いのだろうか。文部科学省や都道府県教育委員会は、現状の教育に責任を負っており、従来型の基礎的・基本的学力を子どもや保護者に保証しなければならない。そういった状況下において、本当の意味で改革的な政策を行うことはできるのだろうか。また、大企業は生産ラインが固定化しているため、イノベーションには不向きであり、そういった点においてベンチャー企業は小回りが利くためイノベーションに適しているという主張は至る所でなされている。その点において文部科学省は巨大組織であり、改革には鈍重である。また、世界的ジャーナリストであるトーマス・フリードマンは 2007 年以降を「加速の時代」と位置付け、世界がいかに劇的に変化してきたかを主張したxviii。このような時代において、改革に鈍重なトップダウン方式を採用するのはあまりに不合理な方法ではないだろうか。民間で改革し、後発的に公的機関が合わせていくというボトムアップ方式を採用するべきだと考えている。イノベーター理論の観点からすると当初の目標は 50 万人の高校生に「ACE」を広げることが目標である。イノベーター理論とは スタンフォード大学教授のエベレット・M・ロジャーが提唱したイノベーションの普及に関する理論であり、普及率 16%の論理ともいうxix。商品普及の最大のポイントはアーリー・マジョリティに行き着くまでの普及率が 16%を下回っている段階であり、この 16%さえ超えることが出来ればその後は急激に普及し始めるという理論である。16%という溝は大きいものであるように思えるかもしれないが、既に述べたように現在高校生約 320 万人のうち約 20 万人が既に通信制高校に通っており、全体の 16%の約 50 万人に着実に迫ってきている。だからこそ、通信制教育が一般化するのは遠い未来ではないはずだ。また、現行の大学入試制度の改革も個別最適化共育を後押しするはずだ。さらに近年、総合型選抜(旧 AO 入試)による大学受験が徐々に拡大しているため、5 教科の学力によらず個々の取り組みを重視した受験に対応した教育が大いに求められるはずだ。以上のことを踏まえても、これからの ACE の需要の拡大は至って現実的・必然的なものであると言えるだろう。

おわりに
収穫加速の法則を考慮すると、シンギュラリティが訪れる可能性は十分にある。人類がAI の脅威に晒される前に、人間は AI よりも優れた能力を強化していくべきである。安宅和人は AI に足りないものは「妄想力」であるとしており、また、福沢諭吉は人間独自の特徴のうちの 1 つに「欲」を挙げているxx。先にも述べたように私は、人類の可能性は「予定不調和」やそれを生かす「妄想力」にこそあると思っている。これからの時代においては欲があり、妄想力のある人間だからこそ思いつくことのできる、ある種の馬鹿げた妄想が価値を生み出す。例えば、「田舎にある老舗企業の伝統工芸品を宇宙人に売りたい!」という妄想を AI がするとは到底思えない。ドラえもんや鉄腕アトムを本気で実現させたいと思う、そういった妄想を実現することのできる社会、そしてその基盤となる教育システムの構築が急務である。そのためには、1 人の教師がトーク&チョークの授業で多数の生徒に知識を享受するという従来型の画一的な教育では実現はできない。極端な例えかもしれないが、あのアインシュタインやスティーブジョブズを一つの教室に集め、議論をさせ、
妄想を深め合わせることができれば、AI では思いつかなかいような発想が生まれるはずだ。それを可能にする教育が「ACE」なのだと確信している。


i 西川純『人生百年時代を生き抜く子を育てる! 個別最適化の教育』学陽書房,2019
ii ピーター・ドラッカー(訳: 上田惇生・佐々木実智男・林正・田代正美)『すでに起こった
未来 変化を読む眼』ダイヤモンド社,1994
iii 文部科学省 2020 年度学校基本調査「高等学校(通信制)の学校数・生徒数及び教職員
数」
https://www.e-stat.go.jp/stat-
search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00400001&tstat=000001011528&cycle=0&tclass1=000001143426&tclass2=000001143434&tclass3=000001143435&tclass4=0000011
43443
iv レイ・カーツワイル(訳: 小野木明恵・野中香方子・福田実)『シンギュラリティは近い
〔エッセンス版〕:人類が生命を超越するとき』NHK 出版,2016
v ロジャー・ペンローズ(訳:林一)『皇帝の新しい心: コンピュータ・心・物理法則』みす
ず書房,1994
vi チャールズ・ダーウィン(訳:渡辺政隆)『種の起源(上・下)』光文社,2009
vii プロサンタ・チャクラバーティ「TED:40 億 年 の 進 化 を 6 分 で 説 明 」 TEDTalks
https://digitalcast.jp/v/26866/
viii チャールズ・ダーウィン・上掲書
ix 長谷部光泰「見えてきた!生命の謎 生物はどこからきてどこに行くのか」(立花隆『見
えてきた!宇宙の謎。生命の謎。脳の謎。:科学者が語る科学最前線』クバプロ,2008)
x 安宅和人『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成』
NewsPicks,2020
xi 鈴木寛「MANABI MIRAI MEETING 2017 文部科学省 教育改革の基調講演」
https://teachers.studysapuri.jp/seminar/report/detail/882/
xii 「OECD 生徒の学習到達度調査」(PISA2012)
なお、最新版である「OECD 生徒の学習到達度調査」(PISA2018)では、「読解力」が加盟
国中 11 位と低いが、「数学的リテラシー」と「科学的リテラシー」は世界トップレベルで
ある。 https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/#PISA2012
xiii 文部科学省 2020 年度学校基本調査 「大学の都道府県別学校数及び学生数」
https://www.e-stat.go.jp/stat-
search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00400001&tstat=000001011528&cycle=0&tc
lass1=000001143426&tclass2=000001143427&tclass3=000001143428&tclass4=000001143
430&stat_infid=000031973355
xiv 西川純、新井邦男、熊谷光一、田部俊充、松本修「生涯教育から見た各科教育」(日本教
育学会『学校教育研究 12』,1997)
xv N 高等学校ホームページ https://nnn.ed.jp/
xvi 事業構想大学院大学「未来のオフィスはバーチャル空間? ビジネスVRの新市場を狙う」
https://www.projectdesign.jp/202006/working-change-future/007855.php
xvii 武井 勇樹・上掲サイト
xviii トーマス・フリードマン(訳:伏見威蕃)『遅刻してくれてありがとう(上)常識が通じ
ない時代の生き方』日経 BP,2018
xix エベレット・M・ロジャー(訳:三藤利雄)『イノベーションの普及』翔泳社,2007
xx 福沢諭吉『学問のすゝめ』岩波文庫,1978

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?