【日記】 21/9/27 人は皆独創的で、違いは動機の有無である
9/27
『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』を読んで実践して2週間が経ち、今までずっと感じていた不満にある程度整理がついて来たので日記にまとめます。
何が不満なのかというと、「クリエイターという立ち位置を第3次産業の限定された界隈が占めて名乗っていることが気に入らない」というものです。
以前も似たようなことを書きましたが、動機は同じです。
人間は生きていれば必ず創造性を発揮して仕事をしていて、それはクリエイティブの何物でも無いのに、なぜ連中が独占しているのか。人に当たり前に与えられたものをさも選ばれた者が持つかのような物言いを見かけてはイラついてました。
クリエイターを称する行為なぞ、幼児が「なにしてんの?」と訊かれ、「人間生活〜!」と屁理屈をこくのとなんら変わらないです。
しかし、”クリエイター”が”非クリエイター”、”非生産者”、”消費者”、"ファン"と称される人達と一線を画したがる心情にも賛成出来て、この話題を自ら挙げるたびに自己矛盾を抱えていました。
この議題について『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』の中で、直接的ではないけれども、整理するための手助けが多く載っていました。
整理した末の結論は、「画すべき一線は、クリエイティブであるかどうかではなく、その創造が動機的であるかどうか」だということでした。
本書では、「人は皆クリエイティブで、それを閉ざしてしまっているか否かである。皆、自らの中にあるアーティストを育むことが出来る。」という旨で話をしていて、まさに私が思っていた思想そのものだと感動しています。同時にこの思想を更に深めることが出来ました。
そして読んでいく中で、内なる創造性に正直になって創られたものが動機ある創作、そうでないものが動機なき創作なのだと気付くことが出来ました。
連中が一線を画し、仲間で囲いたくなるのは、動機ある創作をしている人でコミュニティーを築きたいという心境故なのだと整理出来ました。
だからといってやはり現時点での世界的な”クリエイター”と称する立ち位置には賛同しかねます。
尚更連中が「職業は人間です。」と言っているようにしか思えないです。
動機ある創作があまりにも多岐に渡るようになり、”クリエイター”という曖昧な存在にして解決させてしまう気持ちはわかりますが、
なおのこと自らが何に対して動機ある創作が出来るのかということを示すためにもアーティストなり、ミュージシャンなり、作家なり分野毎に堂々と自称して欲しいなと思いました。
今日の曲
『ずっとやりたかったこと〜』を実践していくなかで何度か幼少期を振り返ることがあって、そのたびにストーンズが頭の中にいました。私の原体験の1つなのだと改めて感じています。良くも悪くも独特で、貴重なものだと思っています。
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