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【Zatsu】笑いを売る喫茶店

かつて、山手線の某駅ちかくにひとつの喫茶店がありました。店の名前は「サンローゼ」。まだ大学生だった頃、この店はおれたちの溜まり場でした。
べつにコーヒーがうまいわけじゃない。雰囲気がおしゃれでもない。むしろ、飲食物はレーティング対象外、店内の雰囲気は安っぽいラブホテルを軽く下回り、料金体系は「理屈じゃないんだよ!」と言わんばかりの傲慢さ。なのにどうして「溜まり場」だったのか。

店を知ったのはまったくの偶然でした。学校帰りに友だち数名とお茶を飲んでいこうということになり、駅の近くで見つけた喫茶店。まず店頭のショーウィンドウを見ると、サバ寿司の模型が置いてある。シロウトはそれがチーズケーキだと気づくのに数秒必要です。ロウでできた模型の色が完全に変色しているんだな。まあ、たしかに「どう見てもチーズケーキじゃないですか」と言われればそうなんだけれど、シロウト目にはサバ寿司にしか見えない。となりのティーカップにはリプトンのティーバッグが、そのままねじ込まれていた。

恐るおそる店内に入ると、すぐさま2Fへ案内される。店内は思ったより広く、割とゆったりしている(他に客がいないからなんだけど)。さっそくメニューを見てみよう。

ブレンドコーヒー 700円
アメリカン 700円
ココア 700円
アイスコーヒー 700円
ホットティー 700円
ダージリン 700円
アールグレイ 700円
ホットミルク 700円
ジントニック 700円
ジンライム 700円
ソルティドッグ 700円
スクリュードライバー 700円
オリジナルチーズケーキ 700円
オリジナルショートケーキ 700円
カスタードプリン 700円
....…

廻る寿司屋かな? だいたい、ホットミルクと酒類が同額ってどういうことよ。滝沢じゃねぇんだから(なつかしす)。
見ると、メニューにはモーニングセットの案内も表記してある。

モーニング 9:00~18:30

ないわ。

でもまあ、おれたちはいつも学校帰りにこの店に立ち寄って2Fの窓際席でくつろいでいたのよ。なにしろ駅前一等地のくせに客がほとんどいないもんだから、ゆっくりできるわけです。オールバックに蝶ネクタイをつけて黒いモーニングスーツに身を包んだ髭の店員が、ていねいに注文をとりにきます。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

この調度品、このメニュー、この雰囲気を前にして、澄ました顔で「いらっしゃいませ」と抜かすこのおっさんに殴りかかりたくなる衝動を押さえるのに苦労する。それでもみんな、コーヒーや紅茶、オリジナルチーズケーキ、カスタードプリンなどを注文する。店員はいったん1Fに下がるんだけれど、しばらくすると、また階段を上っておれたちのほうにくる。
「お待たせいたしました」トレーにはおれたちが注文した商品ネタが乗っている。

「ブレンドでございます」
手を挙げると、薄っすい色のインスタントコーヒーがおれの前にうやうやしく置かれる。まるで貴重な高級コーヒーであるかのように。

「ホットティーでございます」
またもや、うやうやしく髭のおっさんはテーブルにティーカップを置く。カップにはお湯しか入っていない。しかし、わきにリプトンのティーバッグがそのまんま無造作に添えてある。

リプトン = 700円

「くっ」

それを目にしたおれたち全員の両肩が上がる。怒涛の笑いをこらえるため、いっせいに窓の外を見たり、用もないのに手帳をものすごい勢いでめくる。

「ホットティーでございますよ」

オヤジがこっちを見ながら繰り返す。いいから、早く行け! 頼む。行ってくれ。
そのあと、プリンとチーズケーキをおいて、ようやくオヤジはおれたちを解放してくれた。

コーヒーを口にする。激マズイ。
紅茶を飲んでみる。馴染みのあるリプトンティーの味がする(あたりまえだ)。
チーズケーキはなぜか背面が大きく反りあがっていた。もちろんゲロマズ。
カスタードプリンはどうみてもプッチンプリンにしか見えない。


カスタードプリン = プッチンプリン = 700円


おれたちは悟った。この店の代金にはお笑い代が含まれているんだと。お笑い代が込み込みの値段なんだと。
ゲラゲラ笑いながら飲食していると、めずらしいことに、別の客が店内に入ってきた。近くに座ったその客の注文をおれたちは聞きのがさなかった。

「えぇと、プリン・アラモードください」

プリン・アラモード: シロウトでこの名を聞いて適切なイメージを抱けるものは皆無に等しいであろう。事実、われわれ専門家のあいだでもそれは未知のメニューであった。今日おれたちはカスタードプリンを頼んだが、それはたんなるプッチンプリンに過ぎない。しかし、しかしだ、プリンアラモードとは(この店の場合)いかなるものなのか。未知の領域である。

(窓際席だけ異常に)緊張が高まるなか、プリン・アラモードなるものが運ばれてきた。

「お待たせいたしました。プリン・アラモードでございます」








プリン・アラモード

ホイップクリームが乗り、サクランボがついている。

おれたちは、急いでメニューを手にとった。

カスタード・プリン 700円
プリン・アラモード 900円


げらげらげら~ 900円~ 900円~


オヤジがものすごい形相でこっちを睨んでる。でも、関係ない。関係ないっすよ。ホイップクリームとサクランボで200円アップ。あんたスゴイよ。ああ~、200円の価値はある、いや、200円以上の笑いの価値がある。

こんなに楽しませてくれる喫茶店をおれは他に知りません。でも、残念なことにその後サンローゼは改築されてしまった。ショーウィンドウも新調してサバ寿司の見本は消え去り、リプトンがねじ込んであるティーカップも飾られることはなくなりました。それ以来お店に入っていないけれど、たぶんメニューも一新された可能性が高い。そして数年ののち、ひっそりとその姿を消しました。

この店、おそらくリピーターはおれたちだけだったんじゃないかな。しょっちゅう入り浸っていたから、結構な金をつぎ込んだよ。でも、まともな店になってしまっては、もはや行く価値もない。彼らは選択を誤ったね。まさに没個性です。残念な店をなくしたよ。まさに希代の名店だったのにね。