How Crazy 1986 ver-わかったように話すのは止めてよ-
私は、1986年の5月生まれだ。
1986年4月26日未明、旧ソ連ウクライナ共和国の町チェルノブイリにある原子力発電所第4号炉が大爆発を起こしたとき、私は胎内にいた。
「わかったようようにわたしのことを話すのは止めてよ。」
原発の知識が乱雑&権力に依る歪みから、「死の灰」は不妊に悩んでいた私の母にも不安感を与えたに違いない。……(原子)炉から放出された大量の放射性物質による甚大な被害が欧州の広範囲に及んだといわれる。被爆は約500万人といわれている。
阪神淡路大震災のとき私は、小学生だった。
おじ家族の生死がわらかない。
苦しくて、苦しい。
数分の違いで生きていたおじに感謝した。
だから、読んだ、読んだ。「たけし死ぬための生き方」、「教祖誕生」and「あのひと」等々。文学や芸術に傾倒していったのはその頃である
(→続く)スマホ1つでこんなことになると
※(直後の原子炉後始末に旧ソ連で60万人、ロシア一国でも30万人が駆り出された。ロシアの30万人のうちすでに8,000人の死亡が数年前の統計で公表されている。)
北と東の風に乗った原発事故の「死の灰」の多くは、隣国のベラルーシに降り注ぎ国土を汚染、しばらくしてベラルーシの子どもたちの甲状腺にがんの異常発生が確認されてきた。
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