ハーロイの実験

は、神経質(医師曰く強迫性障がい)だ。これは、私の人生に+にも-にも働いた。大昔の受験の時には、センター試験で5教科7科目をあまり狂いなく塗らせてくれたので私立対策をサボってもセンター試験利用入試が使えて今がある。が、今でも、カギの確認から、電気コードまで確認するために何度も確認する超煩雑な行動に繋がっている。

なぜ、こんなことになったのかは、自分自身でよくわかっている。

最も大きな要因の1つは父親のことばと態度の暴力(幼少期を除き殴らないが)である。

したがって、思春期には身体にはあざはないがこころはあざだらけでだった。金銭的に強い立場でいつもキツいことばや態度で接する父に私(や母)の心身は自衛策をとることになるのだが、彼より強く≒偉く≒稼げるようになろうとして、ムリをし過ぎて、病(うつ病)をえた。病を治そうと多剤処方に頼りすぎて、そこから脱するのに離脱症状に苦心し、今はそれらの後遺症と前を向きながら伴走している。

私は、父親に対する関係性を考える際、ハーロイの実験を想い起こす。ハーロイの実験というと代理母実験を思い出されがちだが恐怖試験と絶望の淵についてもよく考える。

まず、代理母実験は、子ザルに対してミルクは出すが針金だらけの人形とミルクは出さないが柔らかい布地の人形を置き、子ザルがどのように行動するか調べるための実験が有名である。子ザルは、ミルクは針金だらけの人形から飲むものの、それ以外は柔らかい布地の人形にしがみつく、ということを繰り返していたようだ。食べ物と同じくらい大事なものがあると、ひいては、(勿論お金は大事だが)お金と同じくらい大切なものがある、と実験結果に言われている気が、私は勝手ながら、している。

つぎに、恐怖試験は、子ザルに対して柔らかい布地の人形たちが、振動で子ザルを振り落とそうとしたり、バネで弾き返したり、圧縮空気を噴射したり、針を出したりするとき子ザルがどう反応するか調べるための実験である。子ザルは柔らかい布地の人形が攻撃するものに変わっても何度もしがみつく。同じ構造が確かに人間でも在るのだと私は思う。「それでもしがみつ」き、信じ、そして頼ろうとする、こころの構造である、と、私は思う。

そして、絶望の淵は、子ザルに対して這い上がれる希望が視える高さにまで登れる壁がある穴に落とし這い上がれないことを知った時にどう行動するかを調べる実験である。何度も何度も挑戦した後子ザルはもはや壁を登らずに穴の中で動かなくなる。うつのある種の構造に似ていると私は考える。

これらの実験をした心理学者のハリー・ハーロイ自身、精神的に問題を抱えており、アル中などを治したく自ら電気ショックなどを試していたようである。ハーロイは恐怖試験を主としてまとめた論文に「愛の本質」と名付けている。そこが私にはいつも哀しく映ずる。

ここまで読んでくださりありがとうございます。長文なのにうれしいです。また、では、次回。

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