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池田伸哉写真集「ソビエト社会主義共和国連邦の冬」

池田の写真集に書いた「解説」の入稿原稿が出て来た。池田の誕生日を記念してアップする。

池田写真集 解説

今はなき祖国ソ連邦の思い出

「天才」と呼ばれる写真家との出会い

 池田伸哉と一緒にソ連を回ったのは1986年の12月から1987年の1月。12月の20日頃、新潟空港からハバロフスクに飛び、シベリア鉄道でイルクーツクに行き、そこから飛行機で中央アジアのサマルカンドへ飛び、そこからまた飛行機でアゼルバイジャンのバクーに飛び、そこからまた飛行機でキエフに飛び、キエフからは夜行列車でレニングラードへ行き、レニングラードからは夜行列車でバルト三国の一つラトビアのリガへ行き、そこからまた夜行列車に乗ってモスクワへ行った。そして、モスクワから一気にハバロフスクに飛び、そこから新潟空港に帰ったと記憶している。ちなみに、新潟に着いたのは1月の10日あたりだった。
 とにかく、落ち着かない旅だった。このツアーは日ソツーリストビューロの主催する「ソ連一周ツアー」というものだったのだが、22泊23日だかで世界一の大国、地上の6分の1を国土とするソ連邦を一周するというのは無茶な話だ。たしかに、シベリア、中央アジア、コーカサス、ヨーロッパ、バルトと一通り回ったが、移動、移動の連続で観光などほとんどできなかった。
 同室者にも問題があった。ヤマグチゲンという男だ。日ソツーリストビューロがこの男を私の同室者に選んだのだが、これは不運としか思えなかった。この男は体重100kgを超す巨漢で、荷物もやたらと多い。だから、部屋のスペースの3分の2はつねに彼の制圧下。私は肩身が狭かった。
 彼の趣味も問題だった。彼は「人の背中のニキビをつぶす」という妙な趣味の持ち主で、私が風呂から出てくつろいでいると100kgを超す巨体でのしかかってきて、私の背中のニキビをつぶすのである。
 ニキビがつぶれる瞬間というのはたしかに気持ちがいい。が、それも時と場合によるし、なによりもつぶしてくれる相手による。私はあるとき耐えきれなくなり、悲鳴を上げて隣の部屋に駆け込んだ。
 池田伸哉はそこにいた。彼は当時、武蔵野美術大学の学生で、ムサ美の学友の岡部裕介と、岡部の友人のヤマグチゲンと一緒にこのツアーに参加していたのだ。
 そして、池田と岡部は私にヤマグチゲンの正体を教えてくれた。
「ゲンちゃんは日本写真家協会新人賞を最年少(23歳)で受賞した天才なんだ」
 その頃の私は日本写真家協会新人賞がどれくらいすごい賞で、それを最年少で受賞することがどれくらいすごいことなのかわからなかったが、天才ならしょうがない、と彼の奇行が許せるようになった。
 そんなことがあって私は三人の仲間になり、一緒に旅を続けることになったのだが、たしかバイカル湖の湖畔をうろついていたときだったと思う。ローライフレックスを三脚に固定し、じっと沖のほうに目をやっている池田のそばに行くと、彼は私にこう言った。
「ゲンちゃんは天才だ。だけど、実はおれも天才なんだ。みんな、そういう。実をいうと、おれのほうがすごい天才なんじゃないかと自分でも思っているんだ」
 これが天才写真家、池田伸哉と私の出会いである。

「社会主義ってかっこいいな」

 そんなわけで私は池田ら三人と一緒にソ連を回ったのだが、彼らと話をしていてとにかく驚いたのは、社会主義に対する偏見というものが、彼らにまったくなかったことだ。
 彼らもソ連が「悪の帝国」と呼ばれていることは知っていた。社会主義が抑圧的な体制で、言論の自由がないこと、多くの芸術家が迫害されたことも知っていた。その頃、ソ連軍がアフガニスタンで戦争をしていることも、数ヶ月前、チェルノブイリで原発が爆発したことも知っていた。
 が、彼らはそんなことなどまったく気にしていなかった。彼らは純粋にソ連という「未知の世界」を楽しんでいた。
 そして、共産党のポスターを見る度に「社会主義ってかっこいいな」と喜び、軍人の姿を見ると「国家っていいな」と感心していた。
 私は共産主義者の家に生まれ、「首都は東京ではない。労働者の首都はモスクワだ」と教えられて育った人間である。モスクワの革命博物館(今もあるのかどうかは知らないが)には、戦前、祖父が非合法出版したマルクス、レーニンの邦訳版が飾られている、という血統書付きのアカである。
 簡単に言えば、ソ連は私の祖国だ。だけど、彼らは西側文化にどっぷり浸かって育った人間である。マルクスを読んでいる気配もない。
 にもかかわらず、彼らはソ連を褒め称えた。

普通の人たちが普通に暮らす国

 たしかに、この頃のソ連には希望があった。ペレストロイカという希望だ。シベリア鉄道で出会った人も、モスクワのホテルで知り合った人も、「これからよくなる」と言い切っていた。
 が、ペレストロイカという「建て直し」が必要なほどソ連の体制が痛んでいたのも事実であり、それはあちこちで見ることができた。
 いったいソ連の何が彼らの心を捉えたのか、私にはよくわからなかった。
 が、あるとき私は理解した。池田がこう言ったのだ。
「どこの町にも川があって、どこの町の公園にもカップルがいる。人間はどこでも同じなんだな」
 天才と呼ばれる写真家はそういう目でソ連を見ていたのだ。彼は社会主義に感動していたのではなく、社会主義体制下にも人間がいて、普通に暮らしているという事実に感動していたのである。
 だから、彼の写真には普通の人しか写っていない。どこの国にもいそうなおじさん、おばさん、お姉ちゃん、お兄ちゃん、そして、ガキしか写っていない。

 レーニンが池田の写真を見たら喜ぶと思う。ああ、ロシアは普通の人たちが普通に暮らす国になったんだ、社会主義は成功したんだと感動すると思う。

2011年10月
中川文人



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