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『黒ヘル戦記』の背景について

 『黒ヘル戦記』は、季刊誌『情況』の2020年冬号(1月号)から2022年夏号(7月号)に渡って掲載された連作小説である。

 『情況』は1968年創刊の老舗雑誌。表紙には「変革のための総合誌」と書いてあるが、ようは、革命的左翼の業界誌である。読者は活動家と公安関係者、各国の情報部員。
 『情況』はそのような媒体なので、この小説もその道のプロのために書かれている。そのため、革命的左翼とは縁のない一般の方々にはなんだかわからないところもあると思うので、少し解説しておく。
 まずは、外堀大学のモデルである。この大学は東京のど真ん中にキャンパスを持つとされているが、モデルは私の母校の一つである法政大学である(私にはもう一つ、レニングラード大学という母校があるのだが、この話をすると長くなるので、ここでは触れない)。
 日本の学生運動は、全国の大学で「全共闘」が結成された1960年代の後半がピークで、70年代に入ると失速し、80年代には消滅したとされている。
 全体的に見ればその通りである。が、80年代に入っても学生運動が残っていた大学も少なからず存在した。とはいえ、80年代の運動にかつての勢いはなく、ほんの数人(多くても十数人)の活動家が細々と活動を続けているだけで、「左翼伝統芸能保存会」と揶揄されるような存在だった。
 しかし、例外もあり、80年代に入っても学生がそれなりの力をもっていた大学もわずかながら存在した。
 法政大学はその一つだった。この大学では1978年まで全共闘が存在し、80年代に入っても学生運動の火が消えることはなく、90年代に入っても全学ストライキが行われていた。法政大学はダーウィンの進化論で有名なガラパゴス諸島と同じように、全国の大学とは違う進化の道を歩んでいたのだ。
 私が法政大学に入学したのは1985年だが、その年にも全学ストライキがあった。300名近くの学生がヘルメットをかぶってキャンパスを行進する光景を目の当たりにしたときは、「いったい何が起きたのか」とうろたえたものである。だから、「80年代の学生運動」と聞いて不思議そうな顔をする人の気持ちはわかる。しかし、現実にそういう世界があったのだ。
 法政大学の学生運動について詳しく知りたい方には、外山恒一氏との共著『ポスト学生運動史・法大黒ヘル編』(彩流社刊)を読んでもらいたい。哲学会、学術行動委員会(GK)など、この物語に出てくる学生団体も、すべて法政大学にあった学生団体がモデルである。

 もう一つ。この小説にはノンセクトの黒ヘルの敵役として白ヘルをかぶるセクト、マルゲリ(マルクス主義者同盟ゲリラ戦貫徹派)が登場するが、このセクトのモデルは中核派である。法政大学には中核派もいたのだ。
 今の中核派が何をやっているかは知らないが、80年代の中核派はロケット弾を飛ばしたり、駅舎を焼き討ちしたり、ゲリラ戦を繰り返していた。
 白ヘルの中核派も黒ヘルのノンセクトも国家権力の打倒を目指している。そういう意味では白と黒は仲間のはずだが、両者が共闘することは滅多になかった。むしろ、いつもいがみ合い、激しく対立していた。法大学生運動の歴史は白ヘルと黒ヘルの抗争の歴史と言っても過言ではない。権力との戦いで倒れた者よりも、白と黒の抗争の中で倒れた者の方がはるかに多い。
 なぜ、そんなことになったのか。これには歴史的経緯や感情的なこじれなどいろいろあるのだが、一言で言えば宿命である。
 そもそも黒ヘルの運動は全共闘運動から始まっている。全共闘はそれまでのセクトのあり方に疑問をもつ者たちが作ったもので、全共闘運動の原点にはセクト批判がある。だから、黒ヘルがセクトである中核派を批判するのは当たり前。セクト批判は黒ヘルの原点であり、アイデンティティなのだ。
 中核派の立場から見れば、そんな黒ヘルを認めるわけにはいかない。黒ヘルを認めることは中核派を否定することになる。だから、中核派にとって黒ヘルとの戦いはアイデンティティをかけた戦いになる。
 第三者から見れば白ヘルも黒ヘルも「ヘルメットをかぶった変な人たち」でしかない。しかし、当事者にとって白と黒の違いは生き方に関わる重要な問題だった。だからこそ、白ヘルと黒ヘルの恋は「禁断の恋」となる。このことを踏まえると、この物語はより味わい深いものになると思う。
 
 さて、この物語は架空の大学である外堀大学を舞台としたフィクションである。が、法政大学にいた人が読めばわかることだが、法政大学で実際に起きた事件をベースにしている部分も少なくない。それで、「昔のことをよく覚えているな」と言われることがあるが、「よく覚えている」というのは誤解である。私自身は、ほどよく記憶が薄れたからこそ書けたと思っている。
 そんなわけで、記憶はかなり怪しくなっている。だから、事実として書いた部分も事実とは違うかもしれないし、フィクションとして書いたところが事実ということもある。

kindle版は第1話から第6話まで収載。

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『情況』(変革のための総合誌)に掲載された連作小説。 一九八〇年代から九〇年代にかけて、首都のど真ん中にキャンパスを持つ外堀大学はたびたび…

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