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ヨハネによる福音(ヨハネ1:29~34)シェガレ神父の説教

A 年間第2主日 ヨハネ1,29−34 神の小羊 2023 前橋教会 

 今日の福音の箇所に、洗礼者ヨハネは現れたイエスを紹介し、イエスの上に聖霊が降った証しをすると、二つの役を果たします。まずイエスの紹介です。ヨハネはイエスを指し示しながら「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と述べます。
 私たちはミサの間に何回も「神の小羊、世の罪を取り除く主よ」というヨハネの言葉を、意味がわからないまま唱えたりするかもしれません。神の羊ってなんでしょう。十数年前東京で聖書学を大学で教えていたが、ある時授業のテーマは聖書の中の動物でした。絵を見せた方がわかりやすいと思って、ホワイトボードに馬、牛、蛇、雄鶏、鳩、小羊、聖書によく出る動物の絵を貼って、各々動物について浮かぶイメージを学生たちに書かせました。ほとんどの学生は、馬のイメージは勇敢、牛はおとなしさ、蛇は賢さ、雄鶏はたくましさ、鳩は平和と書いたが、小羊だけはイメージが浮かばず、ある学生はニューゼランド、もう一人はジンギスカンと答え、がっかりした覚えがあります。日本は動物園意外に小羊に会えないからだったでしょうか。しかし他の国、特にアラブ系の国の人にとっては、肉と乳を供給する小羊が馴染み深い動物です。また生贄の儀式に利用されるのはよく知られています。古代の中東アジアでは小羊に類する山羊の「追い出し式」「スケープゴート」の儀式が行われていました。これは村の人々が一年に一度共同体に溜まったストレスを一匹のヤギに背負わせ、荒野に追い出すことによって、村の再生を目指します。日本の村八分やいじめの仕組みに似ています。平和を取り戻すために集団に溜まった暴力や憎悪の責任を一人の人に被らせて、グループから排除したり、いじめたりします。一人に対する集中的ないじめによってグループの一致が強化され、集団が抱える矛盾やストレスが緩和されます。だが暴力と憎悪の悪循環は決して簡単に解決されません。だからいつも新たなスケープゴートを作り出さす必要があります。多少の意味が違うが旧約聖書にも山羊に似た小羊の生贄が年に一度行われていました。皆の罪が背負わされ、民の身代わりになった小羊が殺され、共同体の安定が取り戻されていました。しかし新約になると神の小羊に喩えられるイエスの生贄の意味が違います。イエスは自ら進んで皆の罪を背負い、十字架に向かっていき、屠られた小羊のように殺され、暴力と憎悪の連鎖を断ち切り、人類に平和と和解の道を切り開くわけです。
 洗礼ヨハネのもう一つの役は、先に述べたように、証しです。聖書がいう証しは誰かが他の人に見えない事実を明らかにするわざです。ヨハネは洗礼の水から上がってきたイエスの上に、神の霊が鳩のように降った出来事を証しています。鳩はノアの時代に起こった洪水の後に、オリーブの葉をくちばしに加えて地球に戻り、聖霊と平和を告知する神の使者です。ヨハネは聖霊が鳩のように降り、イエスを満たし、人類に平和をもたらした良き知らせを証ししています。
 イエスと同様に水と聖霊の洗礼を受けた私たちは、イエスに倣って、イエスとともに人々の痛みを共有しながら、暴力の悪循環を断ち切り、平和をもたらす福音の証をするように招かれています。去年はウクライナの軍事侵攻、イランの女性運動とミャンマークーデタ反対デモの鎮圧、憎悪と暴力に満ちた一年でした。社会の浄化の名のもとに故郷から追い出される無実の人々は、現代のスケープゴートといってもいいでしょう。難民となり豊の国に流れてくる彼らはトラブルメーカーなどと見なされたり、冷たい目で見られたりするが、私たちはどんな立場に立っているでしょうか。私たちは暴力や差別の仕組みに加担していないでしょうか。あるいは他の人の苦しみとは自分が関係ないというかもしれません。私たちは心にある冷たさや無関心に気づき、ゆるしを願い、イエスとともに憎悪と暴力の連鎖を断ち切り、愛と平和の道を歩めたら幸いと言われます。

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