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語学学習とは、結局

語学が好きでもう20年以上外国語を勉強してきまして、
最近「語学学習ってこういうのかな」という形が何となく見えてきました。
耳の痛い話もありますが、書いていこうと思います。

今回の話は2点あります。
まず、1点目。

本当にある言語を高いレベルに持って行くためには、
その言語の話している場所に行くのがほぼ不可欠。

何なら、母国だけで完結する語学学習は、無意味ですらある。

前半のほうは当たり前の話と捉えられるかと思います。
後半のほうは過激ですね・・・。

前提を揃えるとすると、
私の話す語学学習は、
聴く・話す・読む・書くの4技能のバランスがよく取れて、
かつ、外国語での会話や媒体の鑑賞に支障がないレベルを目指す、
つまりはC2を目指すことを目的に行う学習のことです。

旅行で少しコミュニケーションをしたい場合や、
読んでみたかった本を辞書を片手に読んでみたいといった場合は
ここでは除外します。

これを前提にした上で、話を続けます。

母国で語学学習をするのは意味がないと言ったところで、
じゃあ留学すれば語学力が上がるのかというと、それは別の話です。

現地に行くことが語学力を上げる大前提にあるということです。
現地に行ったからといって語学力が上がるとは限らないけれど、
語学力が上がった人はみんな現地に行った人
だ、という感じ。

現地に行かずに語学を極めた人は確かに存在します。
ただ、とても少数派。

YouTuberのYYYOKOOOさんやMatt vs Japanさんのように、自国から出ないで目標言語である英語や日本語を非常に高いレベルまで持っていった人もいますが、2人の学習への没頭ぶりを見ると、あまり再現性の高いものではないと思います。少なくとも、私は真似できません。

そういうことができる人も中にはいるけれど、みんなができるわけではない。

いやむしろ、自国でそれだけ高いレベルに達成できるのなら、その人たちが現地に行っていたなら、さらに高いレベルに行っていたかもしれません。

また、現地での語学学習に意味があると私が思うのは、「受動的な学習」が重要だと思うようになったためです。

英語を勉強するには英語をとにかくたくさん読んで聴いて、ということがよく言われます。

それは確かにそうなのですが、これについては少し考える必要があります。

ドラマを見るのも、本を読むのも、全部自分の意志がないと続かず、能動的に取り組まないといけません。

すると、自分の伸びの遅さや、理解のできなさに苛立ったり落胆したりして、やる気すらもなくしてしまうかもしれません。

一方で、漫然とテレビのチャンネルをいじったり、街のお店やスーパーでぼんやりと棚の物を見たり周りの人の会話を聴いたりしていると、自分が関心を持っていないこと、能動的な学習では学ばない表現も自然と入ってきます。

こちらのほうが大事なのではないかと思い始めたのです。

しかも、本やドラマで出てくる表現も、フィクションの世界では自然だけれども現実では不自然、書き言葉の文体なら違和感はないけれど口から出てくると違和感、というものも多く、実際の場の空気に触れてみないと本当のニュアンスを理解できないことは多々あります。

そして、受動的な学習では、こういう「空気感」も学ぶことができます。

学習言語が飛び交っている環境に身を置いたほうが、机に向かって勉強したり鑑賞したりしているよりもずっとインプット量は増える。

となると、やはり学習言語を話している国に行って住んだほうが良い。

そして、語学好きの私としてはずっと認めるのに抵抗していたこと、

母国での語学勉強はあまり効率的ではない。

これを認めざるを得なくなりました。

私は今、ドイツで英語を使う仕事をしています。ドイツは私の母国ではありませんが、英語圏でない場所で英語を使うという意味では、非英語圏の母国で英語を使う仕事をする状況と似てなくもありません。

この仕事は、英語圏で長期滞在の経験があり、そこで培った高い英語力のある人なら問題ない仕事だと思いますが、
英語力を上げるためにこの仕事につくと、効率が本当に悪いです。

同僚は皆さん流暢な英語を話しますが、ネイティブは殆どいないので、やはり変な癖をお互いにつけ合ってしまいます。

ここで3年頑張るよりも、3年アメリカで働いたほうが多分伸びるなと。
ドラマや本を同じくらいたくさん読んだとしても、モチベーションの高さが同じだしても、やはり伸びは違うと思うのです。

とすると、「何でこんなに頑張っているんだ?」と思えてきてしまうのです。

もちろん、自国での語学学習を完全には否定しません。
矛盾しますが、留学や海外就職するなら、その前に語学力を高いところまで持っていったほうが楽なので、むしろ自国で語学学習はすべきです。

が、自国で語学学習が完結してはいけないのです。

留学や海外就職は、むしろ自分の身に着けた不自然な外国語を、現地の自然な外国語と照らし合わせて、少しずつ修正していく場として活用すべきです。

だから、ゼロのままで行くと辛いし、
自国にいたままでも不十分なんです。

これを悟ってしまったので、
学習言語を話す以外の国で語学学習をするのは辞めたほうが良いのではないかとさえ思い始めてしまったのでした・・・。

日本で外国語を学ぶのって、
陸の上で水泳を練習するのと似ています。

それでもある程度上手くなるかもしれませんが、
同じだけの熱量と時間をプールの中での練習に費やしたほうが、
ずっと高いレベルに持っていけます。

※※※

長くなりましたが、悟ったことはもう1つあります。

複数の言語を高いレベルで使いこなせるようになることはあまり期待しないほうが良いということです。

これも、当たり前じゃないか、と聞こえるかもしれません。

人間、そんなにたくさんの国に長期間住めることがないのと、
どこかの国である言語を集中的に使うと、
別言語の能力が(一時的に)落ちてしまうからです。

誤解がないように言うと、複数言語を「ある程度」上手くすることはできるんです。
YouTubeで登場するポリグロット(多言語話者)の人も、話す言語はどれも「ある程度」は上手です。

でも、恐らく、言語がメインの仕事には殆ど就けないと思います。

それは、高い語学力を手にしようと思ったら、
相当多くのインプットと、相当多くのアウトプットと、
相当長い現地での人生経験が必要になるからです

ポリグロットの方はこの点を自覚している方が決して少なくないイメージです。

例えば、話す言語全てがB2以上ならポリグロットを名乗れるとしたら、ポリグロットのハードルってそれほど高くないですよね。

B2は決して低いレベルではないですが、高くもない、中の上です。
この資格があれば例えば国連で働いたり大学に出願したりすることはできるのですが、
いざ通訳のように言語をメインに生きていこうとすると、
最低ラインがC2、とかになります(私の印象です)。

ポリグロットの方の存在は、
むしろ、複数の言語を高いレベルに持って行くのが難しいことの証左でもあります。

そのため、将来言語を武器にして働きたいと思っている人ほど、
逆に他言語へと手を広げないほうが安全です。
言語を仕事にしたい人はもともと語学が大好きな人が多いと思うので、
様々な言語に興味がある人も少なくないと思います。
ですが、その中のどの言語を自分の武器に選ぶのか、苦渋の決断をして、
他の言語については高いレベルに達することができないことを甘んじて受け入れるしかありません。

現地に行って学んだほうが語学は効率よく上達する。
複数言語を高いレベルに持って行くことはできない。


つまるところ、すごく当たり前の結論に落ち着くわけですね。。。

でも、そもそもなぜ高いレベルに持って行こうとするのでしょう。
向上心があるのは良いことです。
ただ、それが自分を苦しめることになっては逆効果です。

本当は、「語『楽』」を目指すべきなのだと思います。
語学勉強を楽しむという意味ではなく、
何かを楽しむために語学を学ぶという意味で使ってみます。

語学のためだけの語学勉強は、いつか自分を潰します。
でも、主目的は別のところにあり、語学はあくまでもサブという立ち位置であれば、ずっと楽しく語学を学んでいけると思います。

そして、そう言う人の中からこそ、
ものすごく語学が上手な人が出てきたりするんですよね。

長く重い話になりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました!