【ドイツ語】接続法II式《現在》(その3)
こんにちは!
今回も接続法II式の話をします。
ちょっと間が空いてしまってすみません。
作り方の話はしたので、次に用法の話を…と思ったのですが、ちょっと今回は「雑談回」にします。
「接続法」をこれから学ぶ方、学んだけれど苦手な方に、知っておいていただきたいことを書こうと思います。
そもそも「『接続』法」って?
そもそもの話をします。
「接続法」というネーミングの意味から。
「接続法」はドイツ語で「コニュンクティーフ(Konjunktiv)」と、カタカナで書くとコンニャクみたいな名前で呼ばれます。
「Konjunk-」のところは英語の「conjunction(接続詞、結合、連結)」と同じです。
なぜ「『接続』法」なのかと言うと、接続詞の後に使われることが多いからです。
Wenn ich reich wäre, würde ich mir ein großes Haus kaufen.
Er spricht Japanisch, als ob er Japaner wäre. / als wäre er Japaner.
Er kaufte das Auto, ohne dass seine Frau etwas davon gewusst hätte.
(最後の文だけ借りものです。➡
Satzverbindung: ohne dass/zu - Deutsche Grammatik 2.0 (deutschegrammatik20.de))
こんな感じで、「wenn」や「als ob」「ohne dass」などの接続詞の後に使われる動詞の形だから、「『接続』法」なのです。
ただ、これはあくまで「目安」。接続詞の後ではない文、つまり主文でも使われるので、このネーミングに完全に頼りきらないよう、要注意です。
そもそも「接続『法』」って?
次に後半の「法」について話します。
この「法」は「法律」とか「方法」という時の「法」ではありません。
普段私たちが日常的に使う「法」とは全くかけ離れた意味を持つ文法用語です。
「法」はドイツ語で「Modus」と言います。
意味はやっぱり「方法」「手段」なのですが、
ここではカタカナ言葉の「モード」が一番イメージに合うと思います。
「機内モード」「低電力モード」などの「モード」です。
文法で言う「モード」とは、
話し手(書き手)が、自分の発言に対して取っている態度のことです。
自分の発言に対して取っている態度???
「カイは日本語を話します」
「カイは日本語を話すかもしれない」
「カイは日本語を話すに違いない」
「カイが日本語を話すはずがない」
「カイが日本語を話せたらなあ」
「あたかもカイが日本語を話すかのように」
このように、日本語では、助詞や様々なフレーズを用いて、
「カイは日本語を話します」という発言にグラデーションを添えます。
注目していただきたいのは、日本語では「話す」という動詞の部分には変化がないことです。
これがドイツ語の場合は、動詞を変化させることで表現し分けるのです。
「話法の助動詞」という単語を前回使ったことがありますが、この「話法」も、「話術」という意味ではなく、「義務モード」「可能モード」「推量モード」といった「モード」のことを意味していたのです。
では、「接続法」ってどんな「モード」なんでしょう?
私個人の言葉を使うと、「妄想モード」です。
「接続法」を使う時、話し手は、自分の発言内容について「事実だと思っていない」あるいは「事実かどうか疑っている/確信がない」という態度をとっています。
昔に書いた記事で「接続法は距離感法」と表現したことがあるのですが、要は同じことです。
事実と距離を取っているのが「接続法」です。
この真逆とも言える法が、「直説法」です。「直接」じゃなく、「直説」。事実を「直に」「説明する」から、「直説法」。ドイツ語ではインディカティーフ(Indikativ)と言います。
僕の言葉を使えば「事実モード」です。
注意していただきたいのは、事実かどうかの判定はあくまで話し手の主観ということです。
客観的に正しいかどうかではなくて、話し手が主観的に「これは事実だ」と思っていれば、直説法になるんです。
難しく考えず、「接続法と命令文以外はみんな直説法」と思っていただければ大丈夫です。
さらっと「命令文」を入れましたが、これも独立した「命令法」という法なのです。別名「命令モード」。これはすぐにイメージできそうです。
さて、接続法が「丁寧な表現」として使われるのも、「妄想モード」と繋がっています。
Ich hätte gerne einen Kaffee.
とお店で注文する時、
「私にコーヒーがあったら嬉しいのになあ…なんて」
という風に話した方が、現実と距離が生まれ、押しつけがましく聞こえないためです。
なお、先ほど触れた「話法の助動詞」は、直接法と接続法のどちらでも使えます。
「事実と思うか否か」というのが大きな基準で、「義務モード」「可能モード」などはその下のカテゴリーというわけです。
「事実か否か」ではありません。「事実『と思うか』否か」。
あくまでも、話し手の客観的な事実判定に基づいているわけです。
そもそも「接続法『現在』」とは?
既にかなりスクロールが下がってきてしまって申し訳ありませんが、最後に1つ、本当は一番書きたかったことを書きます。
接続法II式《現在》と、僕が記事の中で敢えて括弧書きで書いているのには理由があります。
というのは、接続法には時制の概念がないからです。
これ、ものすごく重要な接続法の特徴なんです。
こんな最後に書くべき話ではないのですが。
時制の概念がない?
なかなか直ぐにはピンと来ないのですが、
ドイツ語の世界の「現在」「過去」「未来」という時制の概念は、「発言内容が事実だ」という大前提のもとに立っているんです。
つまり、時制は「事実『だと思う』モード」である直説法の守備範囲。
事実「だと思う」からこそ、その出来事がいつ起きたか(いつ起きるか)を、ちゃんと時間軸に沿って説明することができるわけです。
これが「妄想モード」になるとどうなるか。
事実ではない(と思っている)出来事の話をするので、それが具体的にいつの話なのかを特定することができません。実現していませんからね。
ここで首を傾げる方もいるかもしれません。
例えば、
「来年、スペインに行けたら良いのになあ」
(Es wäre schön, wenn ich nächstes Jahr nach Spanien fliegen könnte)
という文は接続法で書けるが、「来年」という言葉があるではないかと。
これに対する答えは、
ドイツ語の時制は、「妄想の中の時間」は考慮に入れない。
ということです。
あくまで事実だと思っている(←そろそろしつこいですかね)ことにしか、時制の概念は成立しません。
どうして?と思うかもしれませんが、ここは「そういう風に『法』の概念を作った」と、基本ルールとして納得してください(要は詰め込み…)。
そのため、接続法の動詞は、主文と時制の一致をしません。
時制がそもそも存在していないので。
……まあ、ドイツ語の場合は、そもそも「時制の一致」の概念がないので、ここは余計な話です。
ただ、英語の仮定法やフランス語の接続法を学ぶ際は、ここが大きなポイントになります。
こう考えて見ると、「接続法II式『現在』」って誤解を呼ぶ名前なんです。
活用形は(直説法)過去形に似ていて、
でも現在の話をしていると言われたのに、
時制は現在じゃないなんて……。
そう言えば、接続法II式「過去」っていう用語もありますよね。
この違いは何なのでしょう?
接続法には時制はありませんが、「前後関係」の概念は存在します。
つまり、主文よりも前に起きたことなら「過去」、
同時、あるいは少し先の未来に起きることなら「現在」、という感じに。
日本ではほぼ学びませんが、接続法「未来」というのも存在する模様。
とはいえ身構える必要はありません。直説法の未来時制の「werden」を「würden」に変えるだけで完成です。
つまり、接続法には、「前 - 同時 - 後」という、時制にとても良く似た、でも時制ではない前後関係の概念が存在しているのです。
このように、「接続法II式『現在』」と言う時に、「現在時制」という言い方をしないのには、理由があったのです。
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長文にお付き合いいただきありがとうございました。
いかがでしたでしょうか?
情報量が満載になってしまってすみません……。
少しでもこの記事が参考になれば幸いです。
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