【試訳】独島イン・ザ・ハーグ【19】

チーム・メンバーの紹介が終わると、アン課長が前に出て、訴訟の手続きを説明し始めた。

「国際司法裁判所にコンプロミー(compromis)を提出することで訴訟が始まります。

コンプロミーとは、英語でコンプロマイズ、つまり『妥協』という意味です。

両当事国がICJで裁判を受けると合意し、その意思を裁判所に表示することで、国内訴訟で言えば訴状のようなものです。

このコンプロミーをICJに提出すれば、裁判が始まります。

その後、我が国は臨時裁判官を指名しなければなり ません。

ICJ規程に則り、現在日本が自国籍の裁判官をICJに置いているため、そうではない我が国は我が国の国籍の臨時裁判官を選定することができるのです。

有能なカウンセルを雇用することも重要です。カウンセルとは、国内訴訟で言えば弁護士に当たり、主に著名な国際法の教授や弁護士が引き受けます。

ICJで弁論を何度かしてきたカウンセルは世界的にもせいぜい十数名程度 のため、良いカウンセルを日本よりも先に押さえようと思えば、今から一生懸命走り回らねばなりません。

ですが、何よりも重要なのは、我々チーム・メンバーが独島訴訟に関する争点を熟知することです。

カウンセルも、訴訟テクニックや適用される国際法の法理をよく知っ ているだけで、独島問題自体については我々よりもよく知っているわけではありません。

独島問題は、国際法や歴史学、地理学等が重なり合っているテーマです。ここには各分野の専門家の皆さまがお集まりですが、他の分野をよく理解していらっしゃらない場合もありますので、何度か内部でセミナーを行い、各自他の分野の争点や議論にも習熟していただきたく存じます」

政府が訴訟準備を始めたのとは裏腹に、世論では訴訟への反対の声が大きくなっていった。

相当数のメディアが、政府が訴訟を決定したことに関し、韓国領に侵入してきた強盗が領土の訴訟を提案したのをを受け入れる格好になる、政府が独島を巡って非常に危険な火遊びをしていると報じた。

あるメディアが実施した世論調査では、訴訟反対が68パーセントに達 した。

ネットでは、韓国が訴訟で決して勝てない理由が数十個ずつまとめて拡散されていた。

テレビの時事討論でも独島訴訟を巡って賛否の論争が繰り広げられていた。

訴訟反対のろうそくデモも始まった。光化門の外交部庁舎前のろうそくの数が、日本大使館前のろうそくの数よりも多くなった。

訴訟反対を党の方針と決めた野党は、コンプロミーを採択しようとする政府に対し、憲法に則り国会の動議を受けることを求めた。

大韓民国憲法第60条は、「主権の制約に関する条約」等を締結及び批准する場合には、国会の動議を受けるよう規定していた。 コンプロミーは独島を日本に渡してしまう可能性を孕んだ条約であるため、このような条約に該当するというのだった。

しかし、政府と与党は、コンプロミーは両国が訴訟をするという内容を盛り込んでいるだけで、独島領有権を日本に譲り渡したり制約したりするものではなく、ICJで領土訴訟を行った他国の場合でも、コンプロミーの締結時に国会の動議を得た前例はほぼないとして、国会の動議を受ける必要がないという立場を固守した。

このような状況の中で、政府内部で親日派が水面下で独島を日本に譲り渡そうと工作をしている、という陰謀論が広まり出した。

その渦中で、ソン実務チーム長が、ある放送局のニュース番組との生中継のインタビューで深刻なヘマをしでかした。

独島訴訟について、アナウンサーから、我々が日本の計略にはまってしまったと不安がる国民たちのために一言お願いしますと言われたとき、ソン・チーム長は、

「全く心配ご無用です。独島は歴史的、地理的、国際法的にも我々の領土ですので、訴訟でも当然我々が負けるわけがありません。どうか、年末までのご辛抱です」 と答えたのだった。

これに対してアナウンサーが、

「今、年末までの辛抱とおっしゃいましたが、ということは、年末までには訴訟に勝ち、独島から日本の海上自衛隊を追い出すことが出来るということでしょうか?」 と尋ね、ソン・チーム長は、

「ええ、年末までには勝訴するでしょうし、海上自衛隊を撤退させるのはそれよりもずっと早くなる可能性があります。コンプロミーの交渉の際に、我々が訴訟に応じることを条件に、日本の艦隊の早急な撤退を要求するつもりです」 と答えた。

オフィスで一緒にこの放送を見ていたドハをはじめとする職員たちは愕然とした。

実務チーム・メンバーと事前の調整を全くしていない発言だったからだ。

アン課長がトゲのある声で腹を立てて言った。

「年末までに訴訟を終わらせるなんて、不可能な話よ。訴訟は少なくとも3年はかかるのに、チーム長は何であんなことを? ペ次席、インタビューの発言応答要領を作ったのはあなたなの?」

「違いますよ、あれはチーム長のアドリブです。私があんなでたらめな応答要領を書くわけがありません。我々が拙速に訴訟を進めれば、準備万端の日本を喜ばせるだけなことくらい、ちゃんと分かっていますって」

ドハがもどかしそうに言った。

「海上自衛隊の撤退も、訴訟をすると宣言する際に主張しておくべきでしたが、訴訟宣言をした今となっては、 コンプロミーの締結条件として提示することは出来ないと思います」

ペ書記官は眉間にしわを寄せた。

「チーム長は、コンプロミーが何かさえもまだ理解されていないようだな」

ソン・チーム長の生半可な発言は、韓国はもちろん、日本のメディアでも大きく報じられた。

大統領府から自身の発言の背景について確認を求められると、ソン・チーム長は、実務チーム内で充分な議論を経て導き出した内容だと嘘の釈明までした。

しかし、 チーム・メンバーたちは、いざソン・チーム長を前にすると不安を容易に吐露することができなかった。外交部職員はなおさらだ。

ソン・チーム長が、大統領府のオ・ヒョノ外交安保首席秘書官と懇意である上に、自身に反旗を翻す者には必ず不利益を与える性格の人物として知られていたからだ。

すると、ウンソンが訴訟戦略会議でその問題を指摘した。

「チーム長、今年中に訴訟を終わらせるのは不可能です。この訴訟をしっかりと準備しようと思えば、少なくとも3年は必要です。 準備時間が短くなればなるほど日本を利するだけです。

手遅れになる前に記者会見をもう一度開いて、前回の発言は個人的な願望なだけで、実務チームの公式見解ではないと訂正してください」

「時間がどうしてそんなに大切なんですか? 皆がもう一歩更に走れば、克服することができることでしょう。私は真実の力を信じています。

独島が歴史的にも国際法的にも我々の領土だということは確かなのだから、我々は決して敗訴などしません。 時間の言い訳は無能な人間が言う言葉ですよ」

「訴訟準備に時間がどれだけ必要か、しっかりと判断することも能力です」

 ウンソンの言葉に、ソン・チーム長の顔が瞬く間に歪んだ。

「ちょっと、キム検事! 今、外で訴訟反対の世論が雪だるまのように大きくなってきているのをご存じないのですか? 

いずれにせよこの状況下で訴訟を長くすることなど出来ません。我々の国民の苛立ちがどれほど強いかご存じないのですな。

それでも訴訟を長く続ければ、この政権は終わりまで、いや、次の大統領選挙までも続いて守勢に追い込まれることになりますよ」

「今のソン・チーム長のお言葉は、与党の代表が党会議を主宰するときなどに言うものであり、政治的中立を守らねばならない公務員が言う言葉ではないと思います」

「全く、キム検事は、今我々が行おうとする訴訟が国内の刑事裁判だと錯覚しておられるようですが、この訴訟は国際裁判なのですよ。様々な政治的判断も同時にしなければならんのです。

他でもないキム検事がこうやってむやみやたらに揚げ足を取ろうとするから、親日派が独島を譲り渡そうと工作をしている、という噂が立っているのではないのですかな?」

ソン・チーム長は、守勢に追い込まれると、ウンソンの最も致命的な弱点を刺激したのだった。

論理的な反論には優れたウンソンだったが、「親日派の子孫」を掲げる攻撃の前では、感情が揺れ動き、言い返す言葉をなかなか見つけられなかった。

【20】へつづく


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