ドイツ語圏では無名の名作
「ドレミの歌」「私のお気に入り」「エーデルワイス」など、数々の名曲で知られるミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」。
「何を今さら」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
実はこの名作映画、舞台となったオーストリアや同じドイツ語圏のドイツでは、全くと言っていいほど無名なんです。
この映画は私がドイツ語を学ぶきっかけを与えてくれた映画ですが、
ドイツ人に話してもポカンとするばかり。
「あー、アメリカの映画ね…」と白けた反応をされるだけです。
かと言ってアメリカ映画がドイツで不人気なわけではありません。
むしろアメリカ文化はドイツにかなり入ってきています。
舞台のザルツブルクのサウンド・オブ・ミュージック・ツアーに参加すると、トラップ一家の邸宅やマリアが挙式したモントゼー教会、「ドレミの歌」の映像で出てくるミラベル庭園などを実際に見ることができます。
ただ、参加している観光客の殆どがアメリカ人だったり、日本人を始めとするアジア人。そこにドイツ人やオーストリア人の姿はほぼ見当たりません。
サウンド・オブ・ミュージックのドイツ語タイトルは「Meine Lieder, meine Träume (私の歌、私の夢)」。ただ、このタイトルを口にしたところで、ピンと来るドイツ人やオーストリア人は皆無でしょう。
これには色々理由があるようです。
そもそも、オーストリアでは20世紀中には一度も放映がされなかったそうです。そして、ドイツでは、同時期(1958年)に「サウンド・オブ・ミュージック」の主人公であるトラップ一家を題材にした「菩提樹」という映画が公開され、大ヒットを収めています(ドイツ語タイトルはその名も「トラップ一家(Die Trapp-Familie)」)。
こちらの成功の陰に隠れて、「サウンド・オブ・ミュージック」の興行は思わしくなく、失敗に終わったようです。
当時ドイツで流れた映画も、当初はナチスの描写を一切削除し、フィナーレもマリアの結婚で、その後の逃走劇については放映されなかったのだそう。
(同映画の製作年は1965年。アイヒマン裁判が行われアドルフ・アイヒマンが絞首刑になったのが1962年。ユダヤ人虐殺が一般に知られるようになったのは70年代、歴史家論争は80年代ですから、60年代当時はまだ「ナチス」を映画の題材に扱うこと自体がタブー視されていたのかもしれません。)
同映画のDVDがドイツ語圏で販売され始めたのは、なんと2005年。公開から40年も経った後です。それでもなお、オーストリア人でもこの映画については「聞いたことがある程度」とのこと。
(以上、ウィキペディア(日独)情報を一部参考にしています)
このように、日本人の多くには身近な存在である「サウンド・オブ・ミュージック」が実はドイツ語圏では無名であるという話でした。ドイツ語圏在住の方にとっては既にご存じの情報かもしれませんが、ここで改めて書かせていただきました。
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