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クリスマスが年ごと質素になっている理由

メリークリスマス!

2022年は23日(金)・24日(土)・25日(日)と、見事にクリスマスが週末にまとまっていますね。この3日間、SNSで流れてくる投稿やストーリーがどれもこれも華やかでした。

でもこれって、みんながみんなクリスマスを華やかに過ごしてるって錯覚しそうだけど、そんなわけないんですよね。そもそも華やかに過ごさない人は、わざわざSNSに投稿しない。仕事だったとか、特に何もしなかったとか、いつもと変わらない1日を過ごしただとか。

かくいう私も、24日と25日でインスタグラムのストーリーにあげた投稿はこの1つだけでした。

突然思い立ちノートの整理を始める午後9時

「クリスマスだから、何か特別なことしなくちゃ!!」
「クリスマスだから、恋人あるいは友達または家族で過ごさなくちゃ!!」

って思ってません?
極め付けは

「クリスマスにぼっち=寂しい人」

って思ってません?

私、宮崎に帰ってきてから3回目のクリスマスを迎えましたが、過ごし方が年々質素になってきています。去年はまさに「ぼっち」で、真昼間から映画『クリスマス・キャロル』を観てワイン1本空けました。

夫は仕事、息子はばぁばの家。こんな静かなクリスマスは初めてで、正直…ぜんぜんアリって思っちゃった。

クリスマスを口実に、恋人や友達、家族と集まるのも楽しいし、1人で過ごすこともぜんぜんアリ。そこに特別感があっても無くてもいい。

私は一応ライト層のクリスチャン家庭だから、クリスマスに集まったり、集まらなかったりする。集まらなかったとしても、クリスマスのメッセージは送り合います。その程度でいいんじゃないの〜って思うんですけどね…。

そして今年も息子はばぁばと旅行中。夫は休みで、娘と3人で家にいますが、特に予定はなし。何なら、夫はまだ夢の中だしね。

「ぼっち」じゃなくてもこんなクリスマスの日もあるわけで、「クリスマスだから何か特別な演出を…」とか思う必要なし。今年はツリーすら出してない。罪悪感は、一切ないです。

以前は、クリスマスのために毎年気合を入れていたこともありました。

でも正直、しんどかった。
クリスマスの家族の予定を把握・調整して、計画を立てて、ツリー出して、メニューを考えて、買い物して、プレゼント用意して、ケーキ予約して、飾り付けして、セッティングして、写真撮って、SNSにアップして。で、パーティが終わったら後片付けして元に戻して。

それ全部、私1人でやってました。
「妻だから、母親だから、こういうイベント事はやってね」みたいな圧力。「みんなを喜ばせなくちゃ」みたいな重い使命感。

誰かと一緒にワイワイ準備してたらまた違ったかもしれない。夫も一緒になって準備していたら「また来年もやろう」と思えたかもしれない。でもそんなのは一切無かった。

子供が喜んでくれたのは私も嬉しかったけど、この重労働の対価には見合わないです。私は、そこまで献身的で自己犠牲的な母親じゃない。喜ばせるならもっと他にラクな方法があっただろう。マックを食べるとか。

クリスマスはもちろん素敵なホリデーで大好きだけど、年が経つごとに質素になっている理由がこれです。しんどいから。ケア労働は重労働だから。

ただ、イベントを楽しんだり、誰かにギフトを贈ったりするのは大好きです。その重荷を1人で背負うのが、ただただ孤独でしんどいだけ。やってられっかよ。

今日は息子が帰ってきたら生協で注文した小さなケーキを食べて、プレゼントを渡します。夜は久しぶりに絵本を読んで、ぎゅーってして、ささやかな温もりを感じながら寝る。それでおしまい。

私はたまたま家族がいたけど、今日を1人で過ごす人へ、個人的におすすめの過ごし方は映画を見ながら真昼間からお酒を飲むことです。あるいはゲームしたり、読書したり、勉強したり、「今自分がやりたいこと」をやればいい。

最後に大切なリマインダーを。


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