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祈りを信じたい夜更け

私は日本に一時的に帰り、今日は昔からの地元の友人と会う約束をしていた。
私が出かける前、風呂に入っている間に家の車を使われていてしまい、彼女の家まで迎えに行く約束をしていたのだがいつになるかわからないので彼女に車で迎えに来てもらうことになった。
同居している母親と話していて、「全く彼女らしいねw」と談笑をしていたらしい。
私はそんなに長く会話したこともない彼女の母親にもそう思われていたのか、挨拶はきちんとできる子なのに、、、とちょっとしょんぼりしたが、本題はそこではない。

私が久しぶりに会ったのにどうしても優しくできない母親への愚痴や分かり合えないせつなさ、うまくいかない最近の事など聞かれるままにあふれ出し話していて、
(彼女は全く聞き上手だ。しかも昔からの実績と信頼があるので私も心を開いて何でも話せる)
ああ、なんか自分の話ばっかになってる、と気づき話題を変えて、ブラジルから持って来たお土産を渡すと彼女はとても喜んで見せてくれた。
その代わりというわけではないだろうが、彼女はひとつの小冊子を私にくれた。
彼女は昔から敬虔なクリスチャンで、昔から悩める私にそれに基づいたいくつもの素敵な言葉をくれていた。

私も彼女のように、激しさを持ちながらでもそれを持て余さないで穏やかに生きられるのなら、神様を信じたいと思った。

彼女は当時、何よりもっと私に信仰をください、と神に祈ると言っていた。
彼女はもともとは繊細さと激しさを持ち合わせている人だと思う。

ある時から彼女と一緒にご飯を食べる前には一緒にお祈りをするようになっている。
私はこの時間が嫌いではない。
心が洗われるような気分になれるからだ。

私は今のところ、神様を信じたいとは思うけれど、世界には人間には関与できないような神聖で不思議な領域はあるようには思うけれど、何かの神様ひとつを信じるということはできないでいる。

信じるということは信じようとして信じるのではなく、ただただ信じてしまうだけのもののように思っているからだ。
だから縁あってその時が来たらありがたくどんな神様でも信じたい、心の底から信じられる神様にもし波長が合ってそれに気づけたらきっととても幸せだろう、と思う。

帰り際にあなたのためにいつも祈っているから、と彼女は言った。

家に帰って眠れぬままその小冊子を読んだら、やっぱりまだ何かひとつの神様を信じるモードにはなれなかったのだけど、

少なくともその神様を信じる彼女は信じられるんだよな、と思った。

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