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「歴史戦」とか「歴史修正主義」とか

NHKのニュースで「歴史戦チーム」という呼称が使われたとかなんとか、どこぞの歴史学者が歴史修正主義者だからハブるとかオープンレターとか。

 歴史戦ねえ・・・。そもそも、歴史で「戦い」なんて起きるの?と。議論は起きるだろうけれど、「戦い」ってなんじゃらほい、と。戦いという以上敵がおるのだろう。その敵に対して言説において有利な地位を占めて、敵の意見を破砕することを目的とする戦いみたいな感じなの?よく知らんけど。それを【目標】とした「戦い」なら、戦いの【目的】は何?と。国家あるいは民族の威信うんちゃら?自分の思う方向に世の中を導くため?自分と異なる意見を周辺化するため?だとすればそりゃ学問でもなんでもなく、ただの「政治」だろ?クソ下らないプロパガンダ合戦?くっだらねー。勝手にやってろよ。慰安婦像なんてあんなもの「反応を引き出すための嫌がらせ」に過ぎないので、放置してりゃいいものをバカ騒ぎして、向こうの狙い通りの行動をして大量発生させるとか、バカかアホかと。「最終的不可逆的に解決済み」の一言で黙殺してりゃいいのよ。あんなもん。時間の神様がちゃちゃっと片づけてくれるわ。(大笑い

 歴史修正主義?現在の定説や通説を変更するのは歴史修正主義?ふうん・・・。別によくね?新しい何らかの史料や証拠が出てきたら定説とか通説と言われるものが覆るなんて当たり前すぎて、「歴史修正主義」?何なんすかそれ?でしかない。別の畑のティラノサウルスの復元図は何回変わったと思ってるんだと。
 たとえば、南京事件、所謂「南京大虐殺」と言われているアレ。お姉さんは日中双方の記録が散逸していたり、そもそも記録がとられていなかったりで、詳細な状況は未来永劫わからんのだろうなとは思っている。その中で犠牲者数がやれ0だの1万~5万だの30万だのとギャースカやってる(わかるわけねえだろ・・・)んだけれど、被害者数を30万より低く見積もる者を「歴修正主義者」と呼ぶ人々は、仮に「被害者数は30万を超え50万に達する可能性がある」と主張する人が出た場合、それを「歴史修正主義」として攻撃するかというと、多分違うんじゃないかな?とは思っている。だとすれば、彼らの言う「定説」とか「正しい歴史」って何なの?と。つまるところ、これも学問とか歴史でなく「政治」なのよ。

 歴史は往々に「神話」「物語」として政治に利用されるのだけれど、それはそれとして、学問レベルで淡々と「ホントのところはどうなの?」という議論はなされるべきであり、その切り分けをできるのは研究者だと思うのだけれど、昨今のオープンレター騒動を見るに、一研究者の個人的中傷(個人間で解決すればいい話)を奇貨として、一気に数を頼りに政治的主導権を握ろうとしたなんともまあ雑な怪文書を見るに、そんなことは欠片ほども期待できそうにもなく暗澹たる思いがする。研究とか以前に一般社会常識のラインからやり直さなくちゃいけないレベルなんで、もうなんというか。ただ、件のオープンレター所謂「ヴォルデモート書簡」について、あれを起案、公開した者、署名した研究者、それを真に受けた組織に批判が集まっていたり、「私は賛同していない側だ」と主張する歴史系の人や社会学系の人もいるけれど、あれほど社会常識に欠ける者を今の今まで容認しつづけていた斯界全体の問題として考えるべきなんじゃないの?という気がしている。

 なんていうか、自分は戦わないでファンネルみたいな帯を何本も出して帯に戦わせている「姫」と、その姫が泣きわめいたら出てくる「お兄ちゃん」のアニメまがいのムーブがあるけど、そういうのは鬼滅の刃だけでいいよ、みたいな。あんなものに関わらずに淡々と学問しろよ、とは思う。じゃないと人文系、ほんとにダメになる気がするよね。もうダメかも知れんね。

 そういえば、17年前の今頃、せっせと「オープンレター」を作っていたな、と。で、受取人のれきしがくしゃから「この文書は私を失脚させようという意図がある!」って言われてたりしたな。でも、それに言及しても「べんごしからのおてがみ」なんかしなかったんだよ?ふと思い出した。(大笑い

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