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「英語ができない」の再生産を防ぐために

たとえばAmazonで「英語教育」をキーワードにして検索すると、相当な数の書籍がヒットする。
当たり前だが、そのほとんどは「英語を教える側」の人が書いたものだ。

学ぶ側が書いた本もなくはないが、そういう本を書く人はたいてい「英語ができる」ようになった人なので、英語が苦手・できない人から見れば「あちら側の人」である。
(成毛眞氏の「日本人の9割に英語はいらない」あたりが数少ない例外だろうか)

現在のところ、日本人の大半は「英語ができない」人たちである。
「できない側」にとって、英語学習・教育についての「できる側」の話は非常にわかりにくい。
わかりにくい、と言うよりも、ある意味「別世界」の話のように聞こえているんじゃなかろうか。

そのもっとも大きな要因は、「できる側」が「できない側」の感じていることを想像できていない点にあると思われる。

Twitterで「自分は英語ができなかったけど、これこれこういう勉強をしてできるようになった」みたいなことを言う人が時々いる。
で、そういう人の「できなかった」がどれくらいのレベルだったかというと、「高校受験レベル」だったりする。
高校受験レベルだと英検3級より少し上くらい。

いやいや、世間的に見れば十分以上に「できる」レベルだよ!?

世間の「英語できない」は、ホントに掛け値なしの「できない」。
ヘタをすると挨拶程度もあやしく、文法に至っては「なんか聞いたような覚えがある」だったらマシな方。

これが大部分の人、と言うのが実情。

「できる側」が話をするときに「前提として知っておいて当然」だと考えてすっ飛ばす部分は、「できない側」のアタマの中には入っていない。
この状態だと、「できる側」が言う「英語ができるようになるためには、こういうことをやれば良い」って話も初手から通じない。
「できない側」からすると、かなり先にいった地点から話が始まっているワケだから当然だが。

私はこのギャップ、ものすごく深刻なことだと考えている。
特にマズいな、と思うのは、これから英語を学んでいく子どもたちの親が、大部分この(できない側)にいること。

このままだと、「英語できない」層が世代を越えて再生産されてしまう。

現状の(特に学校での)英語教育については、多くの専門家が優れた論考を書いている。
たとえばメディアへの露出も多い鳥飼玖美子先生は、読みやすい新書で何冊もの本を出している。
その気になれば、学校での英語教育の問題点を調べ、それぞれにできる対策をとる、ということもできなくはない。

しかし、「できない側」の親にとって、それはムリな注文である。

念のために言っておくが、私はここで「英語ができない大人・親」を非難したい訳ではない。
「英語できない側」が「できない」原因の大部分は、この国の学校教育の失敗にあるからだ。

ただ、日本の英語教育を根本的なところから改善していこうと考えるなら、この「英語できない大人・親」に「正しい英語(外国語)の学び方」を少しでも知ってもらう努力が必要になる。

一応は「英語ができる側」にいる1人として、そのための努力をしていきたいと思う。

コミュニケーション・デザイナー。実態は翻訳とか通訳とか(英⇔日)。 外国語学習についてあれこれ書いていきます。 https://office-unite.com/