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ふしぎなできごと

これはぼくが、むかしアルバイトをしていた警備会社でのできごとです。
警備員には、いくつかの種類があります。
工事現場の警備員もいれば、要人警護なんていう煌びやかな仕事もあります。
ぼくがやっていたのは施設警備でした。
24時間張り付いて、廃墟になったホテルを見張るのです。
倒産したホテルに、一年契約して宿泊料を先払いしている住民がいました。
ホテルは倒産したので、宿泊料を返せません。
しかし住民は納得がいかないので、自分の泊まっていた部屋にそのまま居座ったのです。
ホテルの経営者はどこかへ消えてしまいましたが、困ったのはホテルの建っている土地を持っている会社です。
ホテルの持ち主が消えただけでも損したのに、建物を自由に使えないのです。
いや、そうとう老朽化したホテルだったので、土地の持ち主はホテルを取り壊して別の建物を建てようと考えました。
しかし居座っている住民がいます。
居座っている人は、だいたい七人ほどいて、半分は部屋を借りた本人ですが、半分は権利を買い取ったやくざです。
何をするか分かりませんから、法律的な手続きが終わるまで、警備員に見張らせようという話です。
24時間警備の仕事なので、朝10時に前の人と交代します。
その日は班長が決めた組み合わせで、二人一組で行動します。
交代して休憩をとるので、一日の警備は4人で当たります。
12時か13時に昼食の休憩があり、17時か18時に夕食の休憩があります。
その後、夜中の0時か4時に仮眠時間をとります。睡眠時間は4時間です。
むかしの話なので、細かい時刻は正確ではないかもしれませんが、概ねこんな感じだったと思います。
休憩の間の時間は、ずっと立ちっぱなしです。
夜中は、詰所があって、そこで座って相棒と会話しています。
詰所にはノートがあって、人の出入りを記録しているのです。
ふしぎなできごとは、ある日曜日に起きました。
ぼくがホテル前の広場に立っていると、大きな黒塗りのベンツが入って来たのです。
自動車の入口には、門などの遮蔽物はありませんが、警備員が一人立っています。
ぼくは無線で、相棒に連絡しました。
ちょうど相棒は、自動車通路の坂をゆっくりと登ってきたところでした。
「いや~、止めようとしたんですけど、むりやり入って来ちゃったんですよ」
ぼくは、休憩中の班長に無線を入れました。
班長が事務所から下りてくる間に、ベンツからやけに威勢のいいおじさんが飛び出してきました。
そして、ぶつぶつ言いながら、立ションを始めたのです。
「ちょっと、あなた、いけませんよ。立ション禁止ですよ」
ぼくは叫びましたが、おじさんは聞く耳を持ちません。
ふだん接しているから分かるのですが、その態度は明らかに下級のやくざという感じでした。
あからさまに恐い、という風ではないですが、基本的に人を人とも思わないというか、警備員なんて、歯牙にも掛けないといった態度。
かちん、ときましたが、何をされるか分からないので、何も言えません。
ベンツの窓はすべてがスモークシールドで中が見えません。
いったい誰がいるのでしょうか。
班長がやってきました。
小太りの班長は、元は大きなレストランの雇われ店長をしていましたが、女絡みでクビになって、流れ流れて警備会社に就職した人物。
ふだんからスケベな話ばかりして、女は得意ですが、男は苦手だと思います。
強面対応ができるはずもなく、にこにこと笑って近づいていきました。
「何か御用でしょうか。こちらは〇〇地所の持ち物ですから、現在は立ち入り禁止となっています」
ありきたりな対応に、威勢おじさんは言いました。
「昨晩0時に、狐が動いた。方位を探ったら、ここが分かった。どこかに鳥居があるはずだから、お参りしないと、日本が大変なことになる」
このおじさんは何を言っているんだ、と思いました。
藪から棒、というふだんは絶対に使わない言葉は、こういう時のためにあるのだ、と思いました。
班長もぽかんと口を開けています。
信じられない気持ちで見守っていると、ベンツの後部座席のドアが開きました。
中から出てきたのは、立派な袈裟を身にまとったお坊さん。
50代くらいの人で、背が異様に高く、立派な体つきをしていました。
威勢おじさんとは対照的に、お坊さんは全然しゃべりません。
ただ、専門の道具を持って、辺りに睨みを利かせると、勝手にホテルの中に入って行きました。
「あ、せんせーい。待ってくださーい」
威勢おじさんが、慌てて後を追います。
班長はぼくに耳打ちしました。
「〇〇地所に連絡とるから、それまで従いていって、見張っておいて」
こわいけど、勇気を振り絞って、ぼくも後を追いました。
ホテルは、ほとんど廃墟と化していました。
電灯は点かないので、中は真っ暗です。
威勢おじさんが、ぼくを怒鳴ります。
「お前、気の利かん奴だな。懐中電灯くらい持ってないのか」
懐中電灯なら、詰所にありますが、ぼくには彼らを見張るという任務があるので、取りに引き返すことはできません。
あいまいに首を傾げてごまかしました。
むかしから、ぼくは、どこかボーッとした印象がありましたから、この手のおじさんなら、「どんくさい奴」と思って、それ以上、追究しません。
まあ、本当にどんくさいんですけど。
どんどん先へ行くと、ありました!
江戸時代の建物にありがちな、中庭みたいな場所に、小さな鳥居が。
お坊さんは、迷わず鳥居に近づいて行って、読経を始めます。
彼らは知っていたのでしょうか。
こんなところに鳥居があるなんて。
毎日、施設内巡回をしている我々も知りませんでした。
おまじないで探り出したというのは、本当なんでしょうか。
彼らは、数分間、お参りをして、それが済むとおとなしく帰って行きました。
他に目的はなかったようです。
本当に、お参りに来ただけだったみたい。
「お参りしないと、日本が大変なことになる」
威勢おじさんは確かにそう言いました。
すると、お参りをしたので、日本の惨事は回避されたことになります。
一体、どんな大変なことが起こるはずだったのでしょうか。
事件が起きれば分かりますが、未然に防がれちゃうと、本当のところは何も分かりませんね。
しかし、もしかしたら、あのお参りによって、国会が大爆発するとか、宇宙人が攻めてくるとか、惑星が衝突して日本が消し飛ぶとか、そういう大惨事から救われ、そのために死ぬ予定だった大勢の人が助かったのかもしれませんね。
ぼくも、あなたも、一命をとりとめたのかもしれません。
そう考えると、お坊さんに救ってもらった貴重な命です。
大切に生きなければならないなあ、と思いました。


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