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たぶん、まちがっている『松本人志』と『ながい坂』

松本人志さんの悪行が話題になっていますね。
人によっては、日本版MeeToo運動とも言います。
松本さんは、文春に書かれた記事の内容を認めていないようですが、数々の証言が上がっていることから、見解の相違はあるにしても、事実そのものはあったのではないかと思われます。
少し前に、園子温監督の、似たような悪行も話題をさらいました。
園監督の映画が好きだっただけに、とても残念に思うと同時に、映画の内容を考えると、「さもありなん」とも思いました。
どうも、こういう事件は芸能界にはありがちのようですね。
どうして、こうなってしまうのか。
松本人志さんや、園子温さんは、たしかに有名人ですし、お金持ちでしょう。
業界内の権力も絶大と思われます。
でも、同じくらいか、それ以上の金と権力を持っている芸能人でも、あんな事件を起こさないマトモな人は大勢いるでしょう。(表沙汰になっていないだけかもしれませんが)
誤解を恐れずに言えば、ぼくはどうしても、そこに出自の低さを見てしまうのです。
庶民の出で、したいこともできずに育った幼少時代を持つと、大成してから夢を叶えようとして、ああなってしまうのではないか。
単純すぎるかもしれませんが、そのように思いました。
思い切り無理なほどに敷衍してみれば、世間による虐待を受けていたトラウマが、そうさせているとも言えるのではないか。
反対に、子供の頃から裕福で、何不自由なく暮らしていた人が、大人になって才能が開花して、芸能人になったとしても、あまり逸脱行為はないのではないか。
逸脱しなくても不満はないのか、そもそも一般人からすれば逸脱した人生を歩んでいるのかは分かりませんが。
こんなことをふと考えたキッカケは、山本周五郎の『ながい坂』を読んだからです。
本作は山本周五郎の最後の長編であり、『樅ノ木は残った』『虚空遍歴』と並ぶ、後期三大代表作と呼ぶ人もあります。
ストーリーは、平侍から出て、地道な努力を積み重ねて異例の出世を遂げる三浦主水正が、ある藩の陰謀を打ち崩してゆくというものです。
本作の中で、主人公はたびたび一人で悩むシーンがあります。
小雨の中、濡れながら歩き廻って、ずぶ濡れで帰ってきます。
奥さんに「どうしたんですか」と聞かれても、「話しても理解できない
」と冷たい返事をします。
こういったシーンが少なくとも3回は繰り返されるのです。
最後まで理由は明かされないのですが、途中でぼくは気付きました。
「あれ? これって、もしかして山本周五郎自身について語っている?」
山本周五郎は、貧乏な山梨の農家の生まれで、子供がたくさんいたので、横浜の質屋に丁稚に出された人です。
丁稚に出た先の質屋が山本周五郎商店という名で、主人の氏名が山本周五郎だったのです。
主人はとても立派な方だったらしく、丁稚で預かった子供たちを学校に通わて、育ててくれたそうです。
貧乏な人には、1円まで(当時)なら無担保で貸したりと、いわゆる冷血な質屋とは正反対の人だった。
そんな山本周五郎氏を尊敬して、作家としてデビューした時に、その名をもらったというわけです。
しかし、文壇は昔から(現在でも)一部のエリートのものです。
山本周五郎は、さいしょは講談本といって、子供向けの冒険活劇しか書かせてもらえませんでした。
今で言うラノベですね。周五郎はラノベ作家だったのです。
戦後になって、少しずつ大人向けの小説を書かせてもらえるようになり、人気作家となりました。
が、有名な直木賞拒否事件が起こります。
日本でただ一人、直木賞に選ばれたのに、拒否してもらわなかった人です。
ひねくれてますよねー。
だって、ノミネートされたら連絡くらい来ますよね。
そしたら、その時点で断ればいいのに、わざわざ受賞が決まってから断りの新聞記事を発表するという・・・。
晩年の写真をみると、温厚そうなおじさんに見えますが、若い頃は酒三昧、喧嘩三昧の日々だったようで、そういうところがどうも臭い。
女関係の乱脈ぶりは伝わってきませんが、書いている作品の内容を読むと、若い頃にそうとう遊んだんじゃないかと思えてきます。
そんなこんなを夢想して、『ながい坂』を読み終わり、解説を読んだら、案の定!
周五郎と親交のあった評論家が
「最後に自叙伝を書くつもりで『ながい坂』を書く、と周五郎が漏らした」と証言していたそうです。
『ながい坂』では、主人公は一切、逸脱行為をおこないません。
下戸だし、女には潔白だし、仕事一徹でつまらない人間です。
その分、苦しむ。
一人で部屋の中で、手の甲を噛んで、声を押し殺して泣いたりする。
トラウマの顕れ方はさまざまで、周五郎の場合には、こんな感じだったのかもしれませんね。
本作では、主人公は、自分の実家の家族を冷酷に切り捨てています。
偉い家柄の養子に入ると、昔の家の両親も、弟も一切顧みません。
彼らは貧乏になり、働けなくなって落ちてゆくのですが、主人公は一切助けない。
この辺りの冷酷さは、実家のことを一切語らずに、丁稚先の質屋の主人を慕う山本周五郎の性格を物語って、背筋がぞっとする思いがします。
また、山本周五郎は葬式に参列しないことで有名だったみたいです。
なんと、ペンネームにするくらいに慕っていた山本周五郎さんの葬式にも行かなかったそうです。
そのことも、『ながい坂』には書かれています。
主人公は、恩師が「ひとめ会いたい」と病床で語っても、会いに行かないし、葬式にも出ません。
なんとも冷たい人だな、と思いますが、逆に自分自身をモデルに書いている凄みみたいなものを感じます。
品行方正で、妻に優しく、まじめで、有能で、剣の腕も天下一品の主人公なのに、その冷たさ。人工的に作り出した主人公では、なかなかこうはいかないでしょう。
松本人志さんと、山本周五郎を並べて論じては、怒られるかもしれませんが、「たぶん、まちがっています」から、気にしないでください。

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