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戦い続けるのは、何のためか

コーカサスの小さな国ジョージアを舞台に、伝統舞踊のプロの踊り手を目指す二人の若者、メラブ(写真右)とイラクリ(同左)を描いた映画『ダンサー そして私たちは踊った』を少し前に観ました。

簡単に紹介すると、ジョージアのこの伝統舞踊団でプロとなり1部チームに入ることは、世界中を踊りながら旅をし、安定した生活が保証されることの条件なんだそうです。ある日、2部チームで踊るメラブに、1部チームに1人分の空きができたのでオーディションをするという話が舞い込んできます。

当然メラブも、その1枠をかけて練習に勤しみますが、ある時自分よりも上手で男らしい踊り手イラクリが新しくチームに入ってきます。ライバルとして彼と共に練習するうちに、お互いに気持ちが芽生えてきてしまうという話です。

正直ストーリーは、ゲイが主人公の映画にわりとありがちなものかなと思いました。

①人知れずゲイである主人公が、新しく来た男らしいイケメンに恋に落ちる
②イケメンは彼女がいるらしい
③でもいつしかお互いに惹かれ、ある日一線を超えてしまう
④二人の関係が周りにバレてしまい、主人公は全てを失う
⑤それでも強く生きていく姿。先への希望。

こういう流れのやつ。

でも舞台となる街の光や、郊外の風景の映像が非常に美しく、ジョージアという国にある伝統的な考え方と、そんな中で揺れる若者たちの葛藤が力強く描かれている映画だと思いました。

伝統舞踊で男に求められているのは「強さ」だとか、1部チームに空きが出た理由は、一人の男性ダンサーが海外ツアー中に男と寝ているのが見つかって半殺しにされたから、とか、いわゆる「古い」価値観が、ゲイが主人公になっている映画には、多く見られます。

そんな映画を見るたびに、こういう価値観に縛られるのって正直めんどくさいなーって思います。ちょっと語弊のある言い方かもしれませんが、「辛い」とかじゃなくて「面倒臭い」。自分の生き方が、そういう価値観に沿っていない理由の説明をいちいち求められるのが。だから、つい嘘をついてしまう。

だから早く、そんな価値観から、たくさんの辛い思いをしている人が解き放たれれば良い。

でも人間は言葉を使えるし、この映画のように映像も作ることができる。だから僕らは表現をすることで、相手にわかってもらえるまで伝えるしかないのです。

誰の価値観が間違っていて、誰が正しいという議論ではなく、単純に彼らと違う生き方をする人がいて、それは認められて然るべきである、ということを。彼らが認める権利を持っていて、僕らが認めて「もらう」立場にあるわけでは、決してないということを。

*最初のアップ時から少しだけ追記修正しました。大筋の趣旨を変えたわけではありませんが、若干表現を変えました。このnote全体について、本当はもっとヘラヘラと肩の力が抜けた感じにするつもりでいたのですが、なんかシリアスなトーンになってしまいました。でもたまには良いか。

#LGBT #LGBTQ #ゲイ #ゲイ映画


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