ノンバイナリージェンダーとは。

今の自分が自認するジェンダーに関してまとめる。

今、私が自認しているのはノンバイナリージェンダーといって女性男性といった性二元論の枠組みに当てはまらないジェンダーだ。

作家をはじめたころ、肩書きのような意味でノンバイナリージェンダーアーティストだったりプロフィールに書いたりしていた時期があった。
その後、女性や男性を自認している人たちが自分は「女性」のふるやみかですなどわざわざ言わないわけだし、性自認を言うことで逆にその枠組みの人という捉え方をされるのが作品を観る上で邪魔になることを恐れて表記することはやめた。作家をはじめたての頃は「ジェンダー問題だけ」を表現しているアーティストと思われるのを故意に阻止していた。

しかし、SOTAIのモチーフを説明する過程で必ず私のアイデンティティを表明する必要がある。しかも「ノンバイナリー」など聞いたことがない方が大半。(9割以上だと思う)
私は自分の「ノンバイナリー」について話さなければいけないとわかった。

私自身について。(すべて私の経験則での話なので、学術的になにか間違っていたらすみません。)

私は女性っぽい見た目・洋服が嫌で、高校くらいから身体に違和感はあったけれど、特に女性らしい身体つきでもなかったので日々我慢というか仕方ないことだと思って過ごしてきた。

その頃、ネット社会になっていき掲示板ができて、検索するとトランスジェンダーだったりXジェンダーといった言葉がでてきた。私と同じような人もいるのかもしれないと思ったが、実際そういうコミュニティに行くことは怖くてしなかった。
幸い、高校時代〜社会人はじめの頃は大多数の人にあだ名で呼ばれていたので「みか」さんにならずにすみ、自分が確立できるコミュニティがあったことは強かったと思う。(今は「みか」呼び大丈夫!🙆)

大学で学び、卒業制作を制作する上で自分自身と深く向き合うことでかなり悩んだ。ジェンダーの悩みはおそらく小学校からあったが、心身をきたすほど悩んだのはこの時。大学の図書館でジェンダーに対する本や心理学の本、哲学書をかなり読み、自分のジェンダー(その時はXジェンダーを自認していた)は社会的に人として認められている存在なのか、自分はなんなのかを文献で探ろうとした。
しかし人は本の外で生きている。私は次第に学校や生活の中でトイレの記号が目に入るようになっていった。私はどっちなのか?

女性であることを脱却するために、まずジェンダークリニックに行き、カウンセリング後診断をもらい、1年間だけ男性ホルモン注射を打った。注射を打ちはじめて三ヶ月ほどたつと筋肉が付き声が低くなっていき、男性に見られることが多くなった。それは違う。そう感じ注射をやめた。女性からは脱却できた気がする。それだけで救いだった。

今も見た目は男性っぽいと思う。ただもう注射は打っていないので、筋肉質だった身体は次第に元の女性っぽい脂肪が多い身体に戻った。声だけは戻らない。子宮摘出も胸オペもしていない私は、身体的な特徴だけでいうと声が低い女性。戸籍も女性なので社会的なサービスだったり、会社での規律などで女性として扱われる。そこに性別っている?ってことは多い。不便な中で生活をしているけれど不便すぎてもはやこれが当たり前になってしまっている。

時が経ち、第三の性であるXやノンバイナリーは海外ではパスポートに表記できるほど社会的認知が広まっている。トイレにしてもそうだ。
日本人の気質も理解している。私も日本人なので。
しかしジェンダーに関して「知らない」こと、それをマイノリティが「言えない」ことであることも「わからない」ことは想像に乏しいのではないかと思う。

これは持論だけれど、ジェンダーは流動的なものだと思う。
私は私自身の身体の変化(女子〜女性〜男性〜加齢等)と、社会的な性の価値観の変化(女性はこうあるべき等)が天秤のようなバランスで、自分の中でストレスのないところに収まっているのが一番自分に合っているジェンダーだと思っている。(それに名前がついているような感じ)

これってノンバイナリーだからとか関係ないような気がして、人である以上年老いていくしホルモンバランスも変わっていく。バランスをとるという意味で一緒なんじゃないかと考えている。トランスジェンダーなどは目に見えて変化がわかりやすいだけで根本はみんな一緒じゃない?
その時の自分が心地よければいい。

ジェンダーに限らずさまざまなマイノリティはいる。
根本の気持ちは一緒だと思っている。
自分の作品が、マイノリティの主張にならない作品になる世の中になるように、私は作品を作っていきたいと思う。