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元祖平壌冷麺屋note(18)

娘の終業式。初めてもらってきた通知簿が、パーフェクトだった。

自分が子供のころ、終業式の日は、そのまま学校から冷麺屋へ直行し、通知簿はまず親に見せ(クラスの子たちと見せ合うのはもっての外)、それから冷麺屋の親族に見せるというのが、習慣だった。

忘れられないのは30年前。弟と妹と3人でお店へ通知簿を持って行き、(冷麺屋の隣の)マンションのチャグンハラボジ(祖父の弟)に見せた。弟妹の通知簿は、オール5(朝鮮学校は絶対評価の10段階なので、正しくはオール10)、いわゆるパーフェクトだった。

一方、自分はほとんどオール10だったけど、ひとつふたつ「9」や「8」があった気がする。マンションのハラボジは、南大門の阿形のような形相で叱ったのだった。

オール10の、弟と、妹を。

「勉強ばっかりして、良い点数を取るだけが学生ちゃう。兄を見習いなさい。少しは遊びのあるのがええんや!人間的とはそういうことや」

と、お小遣いを自分にだけくれた。その時は、叱られるのは自分だと覚悟していたのに、正反対のことが起こったので、きょとんした。それから、通知簿の数字の呪縛から逃れ、適度に遊ぶことの大切さを覚えてしまったのだった。

封建的な祖父母の時代の習わしで、長男の長男の長男を、弟妹の前で叱ることはいけないという配慮だったのかも知れない。いつも自分を可愛がってくれて、小1の時に有馬温泉で詰め将棋を、中学に入ってからは囲碁の打ち方を教えてくれ、神戸デパートで野球グローブや自転車を買ってくれた。

マンションのハラボジに、あの時の真意を、訊いてみることは、今ではもう叶わないけど。

かつて冷麺屋の裏のマンションの一階に、地域住民のふれあいスペースがあり、老人たちが囲碁や将棋を楽しんでいた。たまに、学校帰りに立ち寄っては、ハラボジに囲碁を教わった。

ある夏休み。東京の従兄弟とそこを訪ねたら、ハラボジと3人で須磨海岸へ行くことになった。ハラボジは砂浜に落ちていた鍵を拾い、ぼくたちにこう訊ねたのだった。

「この鍵をどうするのが、文化的かな?」

ぼくは「交番に届ける」と答え、ひとつ下の従兄弟は「海に向かって放り投げる」とイタズラっぽく答えた。

ハラボジは大笑いした後に、従兄弟を褒めた。褒められようとして正しい答えを答えるのでなく、間違っていても自分の気持ちを正直に答える人間が、一番信頼できるんだよ。

なぜか、自分はとても恥ずかしかった。嘘を見透かされたような気がして。

そして、ハラボジは、「でも交番に行くことはできなくても、こうやって、ここに見つけやすいように移動するのは、気軽にできるなあ」と、もともとは砂浜に埋もれそうだった鍵を、石の腰掛けの上に載せたのだった。

娘のパーフェクトな通知簿を見た自分が、娘にできることは何だろう。明日の朝、何と言って褒めよう。気持ち良さそうに寝ている娘の寝顔を眺めながら、おでこにそっとおやすみのキスをした。





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