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他人の倫理問題に物申すのは得も徳もないという話

コロナで自宅自粛になってみんな暇なのか、めちゃくちゃどうでもいい炎上が巻き起こってますね。

某芸人こと岡村さんのラジオでの発言をめぐって色んな人が怒りまくってるわけです。


結論から言うと、取るに足らないようなどうでもいいことで世間が暇つぶししてるなと思ってるんですが、

今回に限らずこういう無駄な議論にTwitterで首を突っ込むのは消耗するだけですよってことを今日は書いていきます。

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実体のない炎上

某炎上の詳細などはここでは書かないので各自調べてもらえたらと思います。

要は「女性の不幸をゲスい喜び方をするなんてけしからん!」みたいに怒る人がいるらしいのです。

そこに反論があって、その反論に対して「擁護派キモイ!」みたいになって燃え上がった感じです。

この議論、実害を受けてる人いないんですよね。

例えば岡村さんが暴力事件を起こした、とかならまあ炎上はわからんでもないですが、ただ単に自分の妄想を話したら叩かれたわけです。

この炎上にはまるで中身がないわけで、中までチョコたっぷりなトッポと真逆です。誰が何のために物申してるのか意味が分からないですよね。

しいて言うなら叩かれた岡村さんが実害を被ってる感じですかね。


こんなことで炎上するなら星野源のラジオとかどうなんでしょう。有吉のラジオとかも、よっぽど酷いこと言ってます。

結局は何かにずっと怒っていたいフェミの人達が、いいサンドバッグを見つけて全力でストレス解消しているというところなんだと思います。

そこにちょうどいい反対勢力も現れて、いい具合にやりがいのあるゲームになってるんだと思います。

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倫理的正論パンチの快感に溺れる人

何かで読んだのですが、人は批判に関して倫理的なことで誰かを批判することに一番快感を感じるのだそうです。

倫理的に正とされていることに対して誰も否定はできないので、まあわかる気がします。自分が賢人にでもなった気になれるわけですから。

Twitterで倫理的な正論を言ってる風で他人をブッ叩いてる人達はまさに快感を味わってるのだと思います。

Twitterなんてめちゃくちゃお手軽なわけで、超お手軽に正論で殴れる快感が手に入るという。


昔ラットに対して行った実験で、スイッチを押すと脳の快楽を刺激する仕組みを作って、そのスイッチを自分で押せるようにして観察したそうです。

ラットは死ぬまでその快楽ボタンを押し続けたそうです。

なんか似てませんかね。

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自分の中で思っておけばいい

例えば自分がお金に困った女性で、本当に風俗で働くことになって辛い思いをしている時に、

自分に向かって「君みたいな綺麗な人がお金に困って風俗に来るのを待ってたんだよ」った言われたらそりゃ怒るのも無理はないと思います。

なんども言いますが今回は妄想の話であり、不快ならば「キモっ」て思って密かに岡村さんを嫌いになっておけばいいんですよ。


わざわざ物申すのは前述したように倫理的正論パンチを繰り出したいだけなのでは?と疑ってしまいます。

倫理観というのは個人の指標であって他人を裁くために使うものではないと思うのです。

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同じ土俵に上がるな

そして本題。

どうしても言いたい人、他人を叩きたい人はいます。

大事なのはその意見に感化されて自分も土俵に上がってしまわないことだと思います。

Twitterで倫理的な議論に参加したとして、得する人って誰もいないんですよね。

議論相手というものは絶対に自分の間違いを認めないものですし、仮に言いくるめることが出来たとしても、それに拍手するまともな人はいません。

まともな人は巻き込まれないように避けるし、拍手する人は同じ穴のムジナです。

そういう議論にTwitterで参加する事で、自分の周りには倫理的正論パンチを得意技にしている人しか集まらなくなってしまいます。

飲みの席とかで言うのは別にいいと思います。

ただTwitterや掲示板で倫理的な喧嘩をするのはマジで時間と精神の浪費でしかないと思います。

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そういう話だったっけ??問題

ちょっと脱線しますが、こういう炎上の時って必ずと言っていいほど「そういう話だったっけ??」問題が出てきますよね。

伝言ゲームが繰り返されていくうちに最初の論点と違うところで怒りだしてそっちが膨れ上がるみたいなやつです。


星野源の動画の安倍さん炎上の時もありましたね。

みんな金ないってヒーヒー言ってるのに、その政策を決定する立場の首相が優雅な金持ち感のあるムービーをさも庶民感覚に寄り添ってるように公開したことにみんな腹が立っていたのに、

いつの間にか「星野源に無断で使用しているとはけしからん!」みたいな人が出てきて、

それに対して「無断で使うのはいいだろwそういう企画じゃんw」みたいに反論してそっちの議論が激化するという。


これそういう話だっけ?って思いました。


100日後に死ぬワニもそうですよね。

みんな感動に水を差されたことが「ああもう!」ってなってただけなのに、「人の死を商売にするとは何事か」という議論が出てくる。

人の死を商売にしている作品なんてめちゃくちゃありますよね。


結局みんな、自分の感情をより高尚でロジカルで頭が良さそうなもので理由付けをしたがるのですが、

人の感情の動機なんてものはもっとシンプルです。

「キモイ!」とか「ムカつく!」とか「うざい!」とか「可愛い!」とか、そんなもんです。


理由付けによって余計なことを言うから、変なツッコミどころが出来ちゃって話がそれちゃう。


今回も似たような現象は結構起きてると思います。

単に「キモイ!」で済む話が小難しい議論になってる原因な気がします。

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というわけで、Twitterでの倫理的な議論に参加しない方がいいぜ、という話でした。

まあこういうnoteを書いてる僕もまた同じ穴のムジナなのかもしれませんね。精進します。


ゴールデンウィーク中に曲を出せればいいなと思ってます。

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