サガン鳥栖歴代レンタル加入者一覧(2006-2015)【後編】

■水沼宏太(2012-2016)

ご存知水沼パパの息子。
パパとは異なり、ドリブルよりもクロスやSBの裏への飛び出しを得意とするサイドアタッカー。
サガン鳥栖の中で数少ない精度の高いミドルを打てた選手でもある。
J2サポ(当時)としてはレンタル元のマリノスよりも栃木のイメージが強く、2010年の最終戦のアウェイ栃木戦では、裏への飛び出しからのミドルで逆転負けした(現地にいた)こともあり、印象に残っていたプレイヤーでもある。
J1昇格した2011年に右サイド不動のレギュラーであった早坂良太がグロインペインで出遅れたこともあり、開幕からスタメンに抜擢。
右サイドでの飛び出す動きによるライン下げ、精度の高いクロスなど、豊田を生かせる長所を持ち合わせ、何より豊富な運動量と気持ち全開で攻守に走る姿が鳥栖サポのハートをがっちり掴み、愛されるプレイヤーとなった。
自身のJ1初ゴールはレンタル元のマリノス相手にぶち込んだミドルシュート。
この頃からレンタル元との試合には出場不可の契約をすることが一般的だったのだが、なぜか水沼はその契約がなく、マリノスサポが「なんで出場不可の契約してねーんだよ!」とすごく言ってた気がする。
※この試合に同じくレンタル加入のキム・クナンは出場不可だった
その後もコンスタントに活躍し、2015年には最多の7得点を記録。
途中から3-4-2-1のシャドーとなり、慣れないポジションで大変だったと思うが、よー頑張ったよ。
2016年はFC東京に移籍したが、翌年にはユン・ジョンファン監督が就任したセレッソへ。
FC東京っぽい選手じゃないからね、仕方ないね。
セレッソでは2冠に貢献し、ユン監督退任後もレギュラー格として活躍している。
A代表歴はなく、成績的には招集されてもおかしくないのだが、A代表が裏への飛び出しとかクロスをサイドに求めてないから仕方がない。時代が悪い。
サガン鳥栖の右サイドでは歴代No.1の日本人と言って差し支えないだろう。
あと、過去のレンタル選手の中で、レンタル元のサポから「お前ら借りパクすんなよ」と歴代最多言われた選手な気がする。


■金井貢史(2013-2014)

水沼を借りパク発表したシーズンオフにマリノスから借りてきたユーティリティプレイヤー。
めちゃくちゃマリノスサポから「お前ら金井も借りパクする気だろ!」と言われた気がするし、まぁ実際のところ2013年のオフに借りパクした。
前評判は攻撃的SBで中盤も含めて何でもできるよ!だったが、SBで使ったところ思った以上に攻撃的で驚いた。
得意なプレイはセットプレー時のヘディング。もちろん攻撃時におけるセットプレーであり、2点くらい取ってる。
いやいや、もうちょい守備にパラメーターを振ってよ!
2013年は攻撃のスイッチを入れる際などに起用されたが、2014年は左SBに安田理大がレギュラーとして定着したこともあり、両SBを攻撃的にするリスクは避けたことで出場機会が減少。
2015年は千葉へ完全移籍し、35試合で5得点を上げた。
なんでSBなのにそんなに取るんだよw
2016年からはマリノスに戻り、準レギュラー的な立ち位置になったが、たぶん2018年からのアラバロール(偽SB)的な先述へのミスマッチとか名古屋からの熱烈オファーとかで名古屋へ移籍。
それでも2018年はリーグ戦でマリノスで6試合2得点、名古屋で15試合4得点と記録しており、どう考えてもSB登録としてはおかしい数字を記録。
得点力とユーティリティさのある良いプレイヤーなのだが、良くも悪くも適正なポジションが今も分からない。
自慢の得点力を生かして今後も頑張ってほしい。

■播戸竜二(2013.7-2014)

関西からやってきた浪速の点取り屋。
レンタル元はセレッソなのだが、その前に神戸、ガンバと渡ってきており、見ていた時代によって所属クラブのイメージが異なる選手なのではないか。
残念ながら鳥栖では1年半でリーグ戦11試合0得点と数字上の結果を残すことができず、最大の印象は安田理大とめっちゃ仲が良かったということ。
それでも熱くはありつつも感情をそれほど表に出さない選手が多かった中で、前線でとにかく走り、熱量を上げてくれた選手でもある。年中半袖だったし。
2013年の躓いていた時期の加入選手としては適切だったのではないかと思う。
その後は大宮、琉球と渡り、現在は無所属。
本人曰わく、「休止中であり、一生現役は引退しない」らしいので、今後どこかで熱く戦っている姿を見ることがあるかもしれない。
安田理大が加入した某クラブとか。

■菊地直哉(2013.7-2017)

新潟からやってきたCB兼ボランチ。
いろいろあって磐田、ドイツ、大分、新潟と経由して鳥栖に加入。
毎試合必ず失点するという崩壊したディフェンスラインを立て直してくれた助っ人1号。
めちゃくちゃ大分方面から「菊地は凄い」という太鼓判が届いていたが、その前評判に違わぬ実力を見せてくれた。
元々は前目の選手だったということもあり、視野が広い上につなぎが上手く、最終ラインからボランチへの縦パスをガンガン通してくれた。
ちょいちょいリスクのあるパス出して奪われたのはご愛嬌。
カバーリングやボール奪取にも秀でており、涼しげな顔による激しいボディコンタクトからのマイボールという光景を何度見たことだろう。
2013年の関東でのファン感でサインをもらいに行った際に「あざーす」と全てのファンに等しく棒読みで対応していたのが印象的。
笑顔をあまり見せない気難しい武闘派タイプの選手だったが、静かな闘志で勝利にこだわり戦っていた選手だと思う。
フィッカデンティ監督の就任後、リスクのあるパスを選択するあたりが噛み合わなかったのか出場機会が減少し、札幌へ移籍。
現在は福岡に所属しているが、現時点で出場機会はない様子。
サガン鳥栖の応援を始めてから良いCBは多く見てきたが、ワクワクさせてくれるCBは初めてだった。
新天地でもレギュラーを掴み、ワクワクさせてくれる選手としてサポーターにその姿を刻んでほしい。
なお、選手紹介の写真で固い笑顔を見せており、「おお、笑顔だ!」とちょっとほっこりした。

■林彰洋(2013.8-2016)

清水からやってきた195cmを誇る大型GK。
毎試合必ず失点するという崩壊したディフェンスラインを立て直してくれた助っ人2号。
キム・クナン退団により露呈していたハイボールへの対応を解決し、最終ラインに安定感と安心感をもたらした。
「GKは補強の即効性期待できる」「J2は規格外のFWとGKがいないと厳しい」といったGKにまつわるエトセトラを思い出し、GKってすげぇと思った記憶がある。
2013年オフは西川の浦和移籍に伴うGK玉突きが発生し、林もその去就が噂に上がるが鳥栖に残留。
https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/12/21/kiji/K20131221007239650.html
2016年まで鳥栖の守護神として安定したパフォーマンスを見せ、時折日本代表にも招集された。
2017年はFC東京に移籍。シーズン開幕直前、知り合いのFC東京サポと飲んだ際、権田の件もあって「林良い選手ですよね。サイズもキックの精度もあるし。」とやたらGKネタで絡まれたが、開幕数試合後に「林のキック、精度イマイチっすね……」というメッセージが届いたので、「飛距離は出ますから、飛距離は」とフォローしておいた。
サガン鳥栖を出たら金髪にするというサガン鳥栖退団あるあるの例に漏れず、金髪でFC東京で今も活躍中。
シュミットダニエルが招集されている昨今、A代表への返り咲きはあるだろうか。
なお、毎試合凄いプレイをしてくれたこともあり、プレイより印象に残っているのは移籍時にごく一部で流行った以下のコピペである。

【林加入コピペ】
清水「やあ鳥栖君、何か用かな?」 
鳥栖「実はキーパーに困ってまして…、貸していただけないかなと」 
清水「ああそうなの?大変だねぇ君達も。高原君っていうなかなか優秀なGKがいるのだけど・・」 
鳥栖「林・・」 
清水「え?」 
鳥栖「林君が欲しいです」 
清水「林って・・ちょっと君ねぇ、うちの背番号1だよ?それはさすがに・・。豊田君を断っておいてなかなか言ってくれるじゃないの」 
鳥栖「磐田」 
清水「え?」 
鳥栖「磐田をJ2に落とす」 
清水「とりあえずレンタルでいいかな?」 

そして・・・、鳥栖磐田直接対戦で林ビッグセーブ!


■菅沼実(2014-2015)

磐田からやってきたミノルーニー。
2006年にJ2愛媛で、2008年にJ1柏でブイブイ言わせた後はなかなかレギュラーに定着できず、もう一花咲かせるために鳥栖にやってきた左サイドMF。
カットインからの右足が武器だったと思うのだが、鳥栖ではリーグ戦わずか2試合の出場に終わる。
サガン鳥栖を応援し始めた2006年に見た半端ないプレイの再来を期待したが、その夢は儚く散った。
その後、最近の鳥栖の流行りである熊本ラインを使って熊本へ移籍。
少ない出場機会ながらも得点を決めている。2017オフに引退し、九州産業大学のコーチを経て現在は柏U-12のコーチを勤める。
後身の育成頑張れ!

■谷口博之(2014-現在)

柏から来たセンターラインのユーティリティプレイヤー。
川崎時代にボランチで2桁得点を2度記録している点の取れるボランチでもあり、北京五輪唯一の得点をアシストした選手でもある。
本人はボランチやる気満々で、来た当初はボランチで起用されていたものの、スピードや運動量のあるタイプではなく、カバー範囲の狭さから徐々に運動量に定評のある……というかスタミナお化けの高橋義希にスタメンを譲っていくことになる。
ただ、ボールを収める能力や対人、高さには秀でたものがあったため、ビハインド時のパワープレー、リード時の5バック+3センターという逃げ切り策のアンカー要員として投入され始め、その後CBに落ち着いた。
本当にCBで使うのが適切なのかは分からないが、安定感のあるプレイを見せており、2014年半ばからいろいろな変遷があった中で最終ラインを引っ張ってくれた。
2017年に大きな怪我をし、現在もまだリハビリ中であるが、サガン鳥栖に在籍を続けているあたり、サポーターだけではなくフロントも信頼を置いている選手と言える。
奥様が女優ということもありめちゃくちゃ綺麗。
職業柄佐賀に住んで大丈夫なの!?とか妙な方向で心配されるも、いろいろあって今は佐賀に住んでいらっしゃるそうです。
引っ越しに関する奥様のブログを読んでたら同じく子どもを持つ立場としていろいろ共感してしまった。
谷口、復帰待ってるぞ!
https://ameblo.jp/matsuki-rina/comment-12449794346/

■田村亮介(2015)

京都から来た韋駄天FWかMF。
高卒2年目で鳥栖に武者修行にやってきた。のだが、時期が悪かった。
2015年はグダグダしていた年であり、その中で若干19歳の若者に何かを成し遂げろというのはなかなか厳しい。
2014年にユン監督を切り、2015年は現有戦力の維持に予算を回したためか、2014年に比べて補強も小規模になっており、監督もJ1最安値で連れてきた様子である。
そんなこんなでフロントも「有望な若手貸して!」とやった結果、田村が来たんだろうと勝手に推測している。
田村が悪いわけじゃない。J1から来る?と言われたら誰でもとりあえず行きたくなるだろう。未来ある若手なら尚更ね。
鳥栖ではリーグ戦1試合に止まり、京都復帰後もほぼ出場機会は得られず、今年からJ3福島でプレイしている。
福島ではレギュラーを掴んでおり、すでに2得点も上げている。
24歳とまだ若いので、上のカテゴリへ這い上がってきてほしい。
頑張れ!

■あとがき

薄々感じていたことだが、レンタル加入選手に対する愛やロマンはJ2時代の頃が大きいなと感じた。
当時のチームレベルでは保有できない選手や、お互いにJ2という戦場でしのぎを削りあった好敵手が加入したり、そして活躍後の別れがあったりした。
J1でレンタル加入した選手も中心選手として活躍し、その後に主力として長くプレイしてくれている選手も多く、敬意の念も感謝の気持ちも持っている。
何が違うのかというと、自分がサガン鳥栖に注いでいた熱量なのだと思う。

初めて昇格争いをした2006年。
岸野政権3年目で様々な選手が加入し、2度目の昇格争いからの岸野氏の乱が発生した2009年。
大きく入れ替わった選手たちが結束し、J1昇格という夢を実現した2011年。
そして2012年のJ1初年度の戦い。
この時期が泣き、笑い、そして勝利への意欲が強かった時期で、その分だけ選手たちへの執着も強くなってしまっている。

最近は個人から発信できる場も多いので、いろいろな人が過去の在籍選手を熱量を持って語ってほしいなと思う。
自分も、自分以外の人が見てきた当時の選手たちの話を見て、昔の思い出に浸りたいのだ。

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