サガン鳥栖歴代レンタル加入者一覧(2006-2015)【前編】

歴代の外国人選手の一覧を作っていたら当時の思い出がドバドバ溢れ出し、何かの括りでまた書いてみたいと考えた結果、期限付き移籍(通称レンタル移籍)での加入というテーマにすることにした。

このレンタル移籍に関してはカテゴリーによって捉え方がいろいろ違うものだと思うが、J2から這い上がる様を見届けた立場としては

分かるまい、J1を戦場にしているクラブのサポには、この「レンタル移籍加入」という言葉から溢れ出るワクワク感が!

と言いたい。

期待の若手、実績を持ったベテラン、片道切符の香りがする中堅など、様々な選手の加入があるが、加入のたびに活躍を期待し、実際に活躍すると「ああ、来年はうちに残らないな」と複雑な気持ちになり、シーズンオフにはいつ契約に関するリリースが出るかをそわそわする。
そしてレンタル元に戻ると「貧乏とJ2が全部悪いんや!」と叫ぶ。

そういうJ2時代の気持ちを思い出しながら、真面目に観戦していた2006年から2015年までの10年間の軌跡を綴ってみた。
結果、全然終わらないので前後編にした。
前編はJ2時代の加入者です。

流行ってるネタじゃないから全然見られないだろうけど、思い出があふれて書きたい衝動を抑えられないから書くよ!

外国人選手(在日枠含む)はこちらをどうぞ。

■濱田武(2005.9-2006)

当時鳥栖の司令塔として君臨していた宮原裕司を奪っていったセレッソ大阪から交換トレード的にやってきたパサー。
4-4-2の右サイドやボランチなどでプレイし、精度の高いパスで組み立てやチャンスメイクを行っていた。
宮原が抜けた穴を感じさせない働きで、帰るのかなと思ったら2006年もレンタル延長。
なお、交換トレード気味でセレッソに行った宮原もそのまま残留。なんかセレッソ移籍直後くらいに髪型をアフロにしてたのは何でなんだ、宮原。
さておき、ユン・ジョンファンの加入により攻撃の起点が増えたことでより輝き、4位フィニッシュに多大な貢献をしてくれた。
2005年に優勝争いしていたはずのセレッソはなぜか2006年にJ2降格。J1見てなかったけどマジで何で落ちたの。
濱田もセレッソに戻ることになり、J2で3シーズンに渡って対戦することになる。
その後は徳島に所属し、8シーズンを戦って引退。
J1昇格を含めて徳島に多大な貢献をした選手となった。
鳥栖サポよりも徳島サポが語るべき選手だと思う。
本当にお疲れ様でした。

■山城純也(2006-2008)

身長158cmのちびっ子ドリブラー。
テクニカルというよりはとにかくスピードでヨーイドンして抜くタイプ。
濱田の活躍の影響かどうかは分からないが、セレッソ大阪からやってきた。
2006年の昇格争いにおいて右サイドMFとしてサイドの推進力を担ってくれた。
ドリブルを仕掛けると、スタジアムでは「いけー!純也ー!」と女性から黄色い歓声が飛んでいた気がする。
2007年からはチーム力自体も落ちたこともあるが、なかなか活躍できない状態となった。
印象深いのは、当時湘南でブイブイ言わせていたアジエル対策として、岸野監督が山城をトップ下で起用し、アジエルマンマークという役割を担わせたこと。
山城は脚は速いのだが、別段守備に定評もなければマンマークが得意なわけでもなかったため機能せず、しまいには身長166cmのアジエルにマークについていたのにヘディングを決められてしまい負けるという結果に。
「岸野監督の奇策は失敗する」というエピソードの一角を担ってしまった。
2008年で鳥栖を退団し、長崎、金沢、ジャパンサッカーカレッジと流れ、現在は福井ユナイテッドFCでプレイしているようだ。
頑張れ純也!

■平林輝良寛(2006.9-2006.12)

2006年に突然加入したFWかMFの選手。
名前に特徴があるので覚えてはいるが、2試合にしか出てないので正直よく分からない。
J3に上がってきた山口の選手一覧を見た際にはビックリした。
山口がカテゴリを上げていく中でプレイしていたのため、鳥栖サポではなく山口サポが語るべき選手。
現在は鳥栖に移籍する前に所属していた名古屋でスクールコーチをしているそうだ。
元気そうで何より。

■柴小屋雄一(2007.4-2008)

大分からやってきた高さと強さを持つCB。
この時期の大分のCBはガッチガチだった気がするので、出場機会を求めての移籍だったもよう。
2006年に高さと強さ担当だったキム・ユジンが抜けた後の代役として加入した田中淳也(通称デカジュン)が安定感を欠き、どうしたもんかと思っていたところで加入。
J2水戸での実績とJ1での出場経験を持つCBとして最終ラインに安定感をもたらし、シーズン中盤からの巻き返しに貢献してくれた。
2008年は怪我の影響もあり出場機会も減り、退団。
愛媛、大分と渡り歩き、インドネシアへ。そして引退。
フットサル選手をやっているようだが、足下って上手かったっけ?
とりあえず元気そうでよかった!

■船谷圭祐(2008.8-12,2012-2013)

「優しく切り裂くその左足」がというキャッチフレーズで加入した磐田のレフティ。通称ニーニョ(だった気がする)
名波の後継者だか2世だか言われてた気もするが、そんな重いもの背負わせないで自由にさせてあげてと思った記憶がある。
2008年は加入も遅く12試合しか出なかったが、ユン・ジョンファン引退で慢性的なパサー不足に陥っていた鳥栖に再びパスの素晴らしさを教えてくれた選手でもある。
この年は天皇杯ベスト8まで進出したが、船谷不在ではなし得なかった快挙だ。
数字以上の活躍した船谷を磐田は当然のように回収。
磐田ではそこそこ使われたが、キックが武器の中盤の選手に求める理想と役割が多すぎたのか、ブレイクしきれなかった。
2012年、鳥栖のJ1昇格の際に今度は完全移籍で加入。
2012年の鳥栖は、船谷を含め、ブラジルに帰ったトジンや仙台旅行中だった高橋義希を呼び戻すなど、考えうる限りの「サガン鳥栖オールスターズ」な編成で、息の長いサポーターからするとまさにドリームチームだった。
ただ、船谷はそれほど出場機会を得られず2013年途中に水戸に移籍。
水戸の中心選手として活躍した後、現在はFCマルヤス岡崎に所属。
今もその左足とパスで観客を魅力してくれていると信じている。

■島田裕介(2009)

大宮からやってきた左利きの魔術師。左サイドMFを担い、セットプレーやクロスで多大な貢献をしてくれた。
イメージ的には完全にザスパの人で、都倉、熊林、松下、櫻田らとともに、2008年に非常にめんどくさいザスパを担っていた中の筆頭人物でもある。
加入が発表された際、妻に「島田と熊林の見分けが付かないんだけどどっち?」と聞かれたのは良い思い出。
トジンがそのふくよかさで出遅れ、前線にターゲットがなかった時期は苦戦したが、ハーフナー・マイク加入からは精度の高いクロスで猛威を振るった。
左足しか使えないみたいな情報とあり、概ねその通りだったが、ダイビングヘッドを決めてヒーローインタビューに答えていたのをよく覚えている。
50試合8得点という、左サイドのクロッサーとしては素晴らしい得点数もさることながら、50試合というえげつない出場数でチームを引っ張ってくれた。本当に感謝しかない。
昇格目指してお金をジャブジャブ使った結果、シーズンオフに当然のように退団。
入団から退団までの間、ずっとザスパサポーターから羨ましいと思われていた気がするが、島田はそんなザスパに行くこともレンタル元の大宮に帰ることもなく、徳島へ完全移籍した。
お金浪費してなきゃ完全で取れたんじゃないのか!?
その後は韓国に渡って引退。
現在は大宮のジュニアユースでコーチをしているらしい。
現役時代はずっとブログ見てたよ!本当にありがとう!


■市原大嗣(2009-2010)

覚えてないと思ったそこの君、先生怒らないから、本当に先生怒らないから正直に覚えてないって言いなさい。
さておき、大分から来たフィジカルに定評のあるFW。
エース藤田の大宮移籍を受け、日本人のFWの核になってほしいと期待され、背番号9を付けた。
当時から2ちゃんねるでは選手移籍の際には移籍元のサポから取説が届くことが多かったが、市原の取説は少なかった。3年で9試合しか出てないからね、仕方ないね。
博打みたいな補強に聞こえるが、ブラジル人FWのトジンも獲得しており、またこの頃は大卒生え抜きの選手がレギュラーの多くを占めており、育成にも定評があったことから、トジンを使いつつ、市原も後半に伸びてきてくれればという計算だったのかもしれない。
しかし、市原の名前がスタメンやベンチに並ぶ日は来なかった。
前年の後半に活躍したFW廣瀬が一人気を吐いても、トジンがふくよかで動きが悪くても、市原が出てくることはなかった。
気づけば秘密兵器、リーサルウェポンといういろいろ察してしまう称号を冠して呼ばれるようになり、練習場を見に行ったサポーターから「市原がCBやってたぞ……」という目撃談が相次いだ。
ついに出場したのは第50節の愛媛戦。昇格の夢は絶たれ、いわば消化試合のようなところでしかもCBで起用。
いろいろ申し訳ない気持ちになりながらシーズンを終えたところ、岸野氏の乱の後くらいに完全移籍で2010年も鳥栖でやることが発表された。
なお、ポジションはDF登録となり、背番号も4になった。
仙台から木谷、韓国からヨ・ソンへを補強したCB陣に食い込めることもなく、出場ゼロで退団。
当時中国リーグにいたレノファ山口に移籍し、17試合15得点と大暴れ。
ポジション? FWに決まってるじゃないか!
その後も讃岐、ホンダロックとJFLを舞台に戦い、2017年に引退。
そのままホンダロックのコーチになっているようだ。
鳥栖にいた時はいろいろ辛いところがあったと思うが、カテゴリは下げたものの、その後に活躍をしてくれて本当に良かった。
たぶん、ここを見てくれた数少ないディープなサポーターたちも安心してます。
お疲れ様でした!

■山瀬幸宏(2009.5-2011)

昇格ヤバいと判断した強化部が引っ張ってきたマリノス期待の若手にして、山瀬功治の弟。
2007年にJ1で30試合出場など、出場機会が減ったとはいえ、鳥栖に来るレベルの選手か!? お金大丈夫か!? と思った記憶がある。
左サイドには島田がいたため、2トップの一角またはトップ下気味に使われることが多かった。
ちょこちょこと猫背でやるドリブルでなんとなーくヌルヌル行くタイプのドリブラーで技術もあり、シュートレンジもそれなりに広かったが、エース候補を欲していた鳥栖の補強ポイントとしては違うよなぁ……と思っていたら後述のハーフナー・マイクがマリノスから加入した。
マリノスからのレンタル2トップのコンビネーションは何とも形容しがたい中途半端な印象だったが、それでも攻撃のアクセントとなって巻き返したチームのレギュラー格として活躍。
ゲーム大好き人間で、遠征の際はゲームボーイしてたり、フェリーでレトロなアーケードゲームをしたりと、ゲームに関する目撃談は多い。
年俸高いよなぁ、帰るよなぁと思っていたら2010年も残留した。契約切れだったのかなぁ。
J'sgoalの2010年開幕前キャンプのインタビュー動画で、リポーターから「今年の目標は?」と聞かれ、20秒くらい考えた後に「試合に……出る」と答えるという放送事故を起こした。
お前できるやつなんだからもっと高い目標言えよ!
なお、2010年の新加入選手たくさんのワチャワチャした環境に馴染めなかったのか、徐々に出場機会を減らし、J1昇格を果たした華やかなチームとは裏腹に退団。
富山、FC大阪と渡ったが、出場機会も多くなく、そのまま2014年に引退。
北海道の出身クラブのコーチに就任したらしいのだが、お前放送事故みたいなインタビュー対応なのに人に教えることできんのかよ!
完全インドア人間なので、検索しても現況が分からなかった。
ちゃんと頑張ってる? 結婚した?
二川を心配していた西野さんと同じくらい、ディープな鳥栖サポは君を心配してるぞ。

■ハーフナー・マイク(2009.5-2009.12)

日本代表まで登りつめたご存知長身FW。
ディド・ハーフナーの息子でもあり、血統的には完全にオランダ人だったりするが、Jリーグにおける国籍は日本扱い。
この頃はまだ細く、ヒゲもなかったので完全に好青年だった。
マリノスで結果を出せずにいたところを鳥栖が獲得。
2008年にはアビスパ福岡にいて26試合7得点と地味に活躍しているのだが、福岡方面からは「左サイドで起用されてた」というザワザワせざるを得ない情報と、「サイドから結構良いクロス上げてた」とそういう期待の仕方はしてないという喜んでいいかどうか分からない情報が流れてきた。
が、デビューできちんとFW起用されたのを見て安堵し、デビュー戦でゴールを決めたのを見てもっと安心した。
なお、スタミナは全然ないタイプだったのだが、岸野監督の「ハーフナーは絶対替えない」という厳しくも温かい親心もあり、ハーフナーが「もう無理っす……」とベンチを見ても交代させることはなかった。
その結果、フル出場する体力も備え、結果とともに付いて来た自信で名実ともにエースとなった。
その後、当然鳥栖を去り、甲府でJ1昇格と残留の立役者となり、海外へ。
日本代表としてもちょいちょい招集されるが、「自分たちのサッカー」に高さは不要とされ、代表から遠のいてしまった。
いろいろあって今はタイにいる様子。
長身FWは寿命が長い選手が多いので、引き続き頑張ってほしい。

■豊田陽平(2010-現在)

ご存知我らが大エース様。京都からのレンタルで加入。
エピソードを挙げるときりがないので、加入から定着までを掻い摘まんで書く。
「山形を昇格させた男」、「北京五輪代表の唯一の得点者」、「松井秀喜以上の身体能力」という触れ込み3拍子と、「山形時代に小林監督がポスト仕込もうとして断念した」、「京都では上手くいかなかった」という不安な声とともにやってきた。
同時期に北京五輪代表候補にも挙がっていた萬代が加入し、個人的には裏抜けタイプの萬代の方に期待したことを覚えている。
2010年は岸野氏の乱でチームがゼロクリアされた状態だったので、FWの組み合わせもとにかく試行錯誤だった。
FWの軸が豊田だと首脳陣やサポーターがどのタイミングで確信したのかは分からないが、自分は10/17の横浜FC戦で豊田に全幅の信頼を置くようになった。
岸野氏率いる横浜FCとの因縁の戦いで、アウェイは4-0で敗戦(現地にいた。絶望した)し、ホームでリベンジを誓っていた試合でもある。
前半で3-0とリードし、雪辱を晴らせると思った後半に4失点で逆転される。
テレビの前の私でさえ頭の血管がブチ切れそうになる中、後半終了間際にDFの裏に出たルーズなボールを豊田が追いかけ、去年まで鳥栖にいたSB柳沢をフィジカルでぶっ飛ばし、同点ゴールを決めた。
豊田も吠えたし、現地サポも吠えてたし、テレビの前で私も吠えた。
当時壁の薄いアパート住まいだったのにね、ごめんね、隣の住人さん。
ともかく、この時点で2桁ゴールを決めてなかった豊田を個人的にエース認定し、応援することに決めた。
その後の活躍はJリーグファンの知っての通りだ。
多くは語らないし、そもそも語りきれないが、とにかくありがとう。
本当にありがとう。

■田中輝和(2010.8-2011)

MF野崎が岸野氏率いる横浜FCに移籍するということで、交換トレード的にやってきたイケメンSB。
SBなら右も左もできたため、まだ決め切れていなかったSBにて右と左で適宜起用された。
どう見ても片道切符だったので2011年には当然のように完全移籍。
攻撃のスイッチを入れるSBとして期待したが、右SBは丹羽、左SBは磯崎でほぼ固定されたため、出場機会を大きく減らした。
シーズン終了前に契約満了を伝えられたようで、Twitterで「デデーン!田中、アウト~!」と呟く。たぶんクラブから叱られてるはず。
シーズン最終戦の熊本戦は20失点くらいして負けないと昇格失敗にならないためベンチ入りし、1-1で同点の後半15分から右SBで出場。
引き分けでも昇格だし的な現地の緩い雰囲気(私も現地にいた)の中で、右サイドをゴリゴリ突破し、「勝って昇格すんだろーが!」というメッセージをチームメイトや観客に対して送った。
ビハインドから追いついての2-2のドローに終わったが、後半負けられない、負けてはいけないという雰囲気を作ってくれた選手だと思う。
私もメインスタンドでゴリゴリ右サイドを上がる姿に「輝和ー!」と叫んでいたし、周りも叫んでいた。
その後はアメリカやタイ、マレーシアなどを渡って引退。
独特の雰囲気を持った選手なので、海外向きだったのかもしれない。
2011年のホーム最終戦で誰よりも戦ってた姿は忘れない。ありがとう。

■國吉貴博(2011-2012)

甲府から来た期待のホープ。加入が発表されてから、甲府方面からたくさんの取説とよろしくコメントが来たことを覚えている。
左サイドにはキム・ミヌがいたためレギュラーにはなれなかったが、スーパーサブとしてチームに貢献してくれた。
アウェイ千葉戦にて3-1のビハインドからの差を詰めるゴール、同点ゴールの起点となったシュートなど、國吉を語る上でアウェイ千葉戦は外せない。
逆に言うと、シーズン通して他の選手の貢献度が高すぎ、またスーパーサブで縁の下的な働きをしていた國吉の印象がどうしても薄くなり、記憶に残るプレイも少ないのだ。
だが、昇格記念DVDで選手たちが語ったり、多くのサポーターが話すように、このアウェイ千葉戦は鳥栖の関係者に昇格できると確信させた分岐点のような試合だった。
その試合で忘れられない活躍した國吉は、本当に持っている男だと思う。
2012年のJ1初年度は出場機会なく富山へ移籍し、レギュラーとして活躍した後に引退した。
現況はよく分からないが、サッカー関係の仕事のようだ。
引退後大変だと思うが、自分が経験したことを後世に伝えて欲しい。頑張れ!

■岡本知剛(2011-2012,2014-2016.7)

世代別代表にて「ファンタスティック・フォー」と評された選手の1人。ちなみに他の3人はジーニアス柿谷、水沼宏太、山田直輝。
広島のユース出身で、広島の分厚いボランチの壁に高卒加入から3年間幽閉された後、出場機会を求めて鳥栖に加入した。
足下の技術に裏打ちされたパスとトラップの正確性に加え、179cmと比較的大柄な体格で、ボランチの軸を探していたユン・ジョンファン監督によりレギュラーに抜擢。
大学時代のトップ下からボランチにようやく馴染み始めていた藤田直之とともに、ダブルボランチとして中盤に安定感をもたらした。
ゴールやアシストなど、得点に直結するプレイは少ないものの、中盤の舵取り役として欠かせない選手で、J1初年度の2012年もレンタル延長で残留。
仙台旅行帰りの高橋義希とボランチのレギュラー争いを繰り広げた。
2013年は広島に戻ったが、広島のボランチはいつの時代も分厚く2014年に再び鳥栖へ戻ってきた。
それ以降、ちょっとずつ傾いていくチームの中で出場機会も減り、湘南、松本と渡って現在はJ3の熊本にいる。
鳥栖の昇格戦士がすぐそこ(それなりに遠い)の熊本にいるのだから、鳥栖サポは隙あらば応援に行って欲しい。
まだギリギリ20代だぞ! 上のカテゴリで待ってるぞ!
頑張れ!岡本!


後編に続きます。後編はJ1昇格後の加入者たちです。
土日は家族サービスなので、後編は来週どっかです。
物好きな人はご期待ください。



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