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いい意味でレベル低く、ここまで降りたらもう下がない『コンピュータ、どうやってつくったんですか?』(川添愛著)

リスキリング?いやいや違う

今年、取り組もうと思っていることのひとつに、コンピュータの原理と歴史についての勉強がある。本当なら、自作のコンピュータをつくるところまでできればかっこいいだろうが、それは数年かかってしまうだろう。

冷蔵庫やテレビ、洗濯機の原理と歴史について学ぼうとは思わないが、コンピュータは違う。スマホを含め、何しろ、日々何度も触れるものだし、PCという形で私の商売道具でもあり、これからますますその発達が予想されるAIのことまで視野に入れると、その原理や歴史を知っておくことは、何らかの仕事に結びつけばラッキーだが、結びつかなかったとしても、私の頭のバージョンアップにはなるだろう。

そう書くと、いま流行の「リスキリング」だね、とおっしゃる人がいるかもしれないが、私はこのリスキリングという言葉がどうも好きになれない。積極的に使いたくない。

リスキリングを日本語にすると、「学び直し」になるだろうが、学びというのは「直す」ものなのか。そうでなく、学んだことという土台があって、そこに新しく積み重ねていくものではないのか、という感がぬぐえないなのである。無理やり英語にすれば、Add (アッド:付け加える)スキリング。それならば、しっくりくる。

古書なのに新書、からチャレンジ開始!

古いことを知るには、それなりの古い本のほうが好都合になることが多い。そこであたってみたのが、岩波新書『電子計算機』(坂井利之著)と中公新書『電子計算機の誕生』(高橋秀俊著)という2冊の新書である。前者の刊行が1968年、後者のそれは1972年である。どちらも半世紀以前に刊行された本だ。

2冊とも、大外れだった。坂井さんは京都大学教授で髙橋さんは東京大学教授、どちらも華々しいご経歴だし、単なる机上のアカデミシャンではなく、電子計算機(コンピュータ)をつくったり、活用したりといった実践派でもある。

それなのに、いやそれだからか

それなのに、それなのに、それなのに、いや、それだからか、それだからか、それだからか、綴られる内容と文章が初心者に不親切なのだ。
たとえば、いきなり専門用語が出てくる、あっちいったりこっちいったりして議論の筋が見えない、文章ではなく小見出しで話題の転換を計ろうとするから読者がついていけない、日本語にはなっているが結局何が言いたいのかわからない文章が多い等々。最近はそうでもなくなったが、家電製品についてくる分厚い仕様マニュアル、あれとそっくりなのだ。
もともと、ある程度の知識を既にもっている読者向けに書かれたのかもしれないし、当時の新書を読む読者は相当高度な知性を持っていたのかもしれない。でもね、200ページ強の新書にしては、やっぱり2冊とも内容を織り込み過ぎなんだよ。編集者も悪いんだと思う。

ヘンテコな妖精と理系男子による、実りある対論

そこで、古いもの信仰は捨て去り、次に手に取ったのが、2018年刊行『コンピュータ、どうやってつくったんですか?』川添愛著、東京書籍)。
これは当たりだった。

へんてこな妖精(NOT人間)と理系男子(こっちは人間)がコンピュータの歴史と仕組みについて対話を繰り広げる。妖精が聞き役、理系男子が答え役で、イラストや図がふんだんに使われ、数字、それも二進法数字による情報の表現が可能になったこと、論理学と数学、論理学と工学という二つの出会いにより電気で計算を表わすことが可能になったこと、この2つがコンピュータ成立の大きな土台であることを明確に、「これでもわからぬか?」というまでのレベルにまで降りてきて、説明してくれる。

コンピュータの心臓部、CPUの機能を、演算装置、制御装置、クロックの3つから説明してくれる箇所は圧巻のわかりやすさ!リレー(電磁石を利用して自動的にスイッチを入れたり切ったりする装置)から真空管、半導体へ、電気回路を構成する物質が変貌していった理由もよくわかった。
体裁は絵本のようだけれど、内容は深く、かゆいところに手に届く良書。
次はこの本の巻末に紹介されている文献に手を伸ばしてみることにする。

『コンピュータ、どうやってつくったんですか?』(川添愛著、東京書籍、2018年9月刊)

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