月が眠るまで 第2話

第2話 「職探しと満月」

目覚めると体をずっとうずめていたくなるような温かさの布団の中にいた。
隣で穏やかに眠る少年は、昨晩の情事などまるで知らないような顔だった。
雪のような肌に絹のような髪。
これはまるで、

「天使みたいだな。」

「魔女だよ。」

サクが照れ隠しに笑う。
改めて思うが妙なやつに拾われたものだ。

「待っててねアイリ。今朝食を用意するから。」

「待て、俺も手伝う。」

改めてキッチンを見るとやはり見たことがないもので溢れていた。
人間の指や食用花入りのジャム。水晶のような色の木の実。おまけに砂糖入れの中はピンクの粉であふれかえっていた。

「変なモン食わせんなよな。」

「心配しないでアイリ。味は人間のものと一緒だよ。」

「ん?どうかした?」

サクの面を見る度、潤った柔らかな唇の感覚が思い出される。

「ちょっと黙ってろ。」

顔を近づけるとサクはぎゅっと目を閉じた。耳まで真っ赤になっている。
思わず小さく笑ってしまった。

ちゅ…
心地のいい水音を立てて、水面に朱色が広がる。

水鳥のいない静かな水面と対照的に火照った岸辺に手を添える。

この世界の魔女は時々人間を誘惑するというが、こいつの場合はその美しい姿に魅了された人間(おれ)が我を失っているようなもんだ。

子猫にするような柔らかいキスを何度かしていると、焦げたような香りが鼻をかすめた。

そのことに気づき、間抜けな声で驚いたのはサクだった。

「あーっ!もうアイリ!!目玉焼き焦げちゃったじゃん…」

サクが半ギレで言う。まだ、耳は赤い。

可愛いなこいつと思っていると、フライパンの中身に驚いたのは俺だった。

「うおっ、おい、これ目玉じゃねえか。」

「そうだよ。夏至生まれの子猫の目玉。」

「やっぱ、可愛くねえわこいつ。」

「何言ってんのアイリ。僕のこと可愛いと思うからちゅーしたいんでしょ?」

「お前、悪魔っぽい。」

「えー?天使って言ったくせに。」

微笑むサクは手際よく料理を作っていった。

人間が到底食わなそうなものがあくまでも人間の家庭料理のように並んでいくテーブルを呆然と眺めているしかなかった。

かくいう俺もまともな朝食なんてとったことはなかったから最早やけくそだった。
朝食を食べ終えた俺にサクは言った。

「そういえばアイリ、この町で職探ししたら?君が元居た町とだいぶ離れているから仕事も穏やかなものに就けると思うよ。」

「血統書の無え犬は傭兵でもするしかねえさ。害獣駆除には俺みたいなやつがいれば十分だろ。」

「それとも風俗店でもいいかなあ。」

笑いを取ろうとした一言でサクとの空気が凍った。

「本気で言ってんの?アイリ。」

冷たい視線が送られる。こいつこんな顔も出来るんだ。

何か癪に障ったようだった。

ごまかしの常とう句を述べて、俺はスープをすくった。

凍った空気に包まれているせいで、豆のスープの味がしなかった。

結局その後街に出て職探しをしたところ、運動能力と剣術を買われて、志願兵で構成される王宮の部隊の端くれに入ることができた。

案外飛び出してみれば世界は広くて生きやすいのかもしれない。

歓迎の酒を奢ってもらい昼間から贅沢に肉が食えた。
テーブルいっぱいの家庭料理は母にさえも作ってもらったことがない俺にとっては最高のごちそうだった。

その後、凍えた夕暮れの空気が鼻先をなでて、雪が舞い降りてきた。

帰らなきゃ、魔女が家で待っている。

野良猫の足跡を追って家路につくと、魔女は難しそうな本を読んでいた。
「おい、何読んでんだ。」

「ああ、アイリ。これはね、お姫様と騎士の恋の物語だよ。きゅんきゅんしちゃう。」

何だ。女々しい奴だな。と思ったが言わないでおく。
それにしても、恋愛小説にしては表紙がまがまがしかった。

「ねえ、アイリは字は読める?」

「学院生が学ぶような高等なものは出来ないけどな。本くらいは読めるぜ。」

「すごいじゃん。どうやって覚えたの?」

本当は売春と雇われ兵士で稼いだ金でぼろぼろの本を譲ってもらっていた。
なんて言うと、こいつはまたキレるから胸の内に秘めておく。

繊細で夢見がちなやつにこれ以上俺の過去を晒すのは何だか嫌な気分だった。

「アイリ、これを見てよ。」

読書に飽きたのか、いつの間にかサクは新聞を読んでいた。

「この記事、とんでもないことが起こるよ。」

何事かと思って新聞をのぞき込むと明日は満月だという記事だった。
これのどこがとんでもないのだろうか。

「お前、満月見たことないの?」

「アイリこそ。」

妙な返事を返されて、会話に飽きた俺は自分の床(とこ)に入った。

いつの間にかサクが用意してくれていた部屋は、サクの兄貴のものだったらしい。

サクいわく、兄は最近事故で亡くなったらしい。

縁起が悪い部屋だが俺にとってはあったかいベッドが何よりの幸福だ。

俺は明日からの任務に備え眠りにつく。

満月の日なんてどうでもよかった。

今日までは。

(続く)

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