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田舎の新興住宅地

私が三歳の時、大分郊外の新興住宅地に、両親が建売住宅を購入して、引っ越しをしました。
昭和40年です。
20件余りの建売住宅で、田んぼの広がるだだっ広い平地のど真ん中の住宅地です。
購入した人達は、両親と同じくらい年齢で、高度成長期真っ只中。
私と同じくらいの子供達が多くて、賑やかな住宅地でした。
男の子が多くて、近くの農家の子も含め、遊びは田んぼの中での藁を掘った秘密基地や、田んぼ周りの水路で、ゲンゴロウやヤゴ捕り(虫は、無限大)
近くの山に登っては、竹を取って来て水鉄炮を作ってくれるお兄さんなど、毎日のように泥だらけになって帰っては、祖母に叱られていました。

家は、木造平屋建てで、4K。
引っ越しの時、洗濯機を買いました。
今のとは全然違う、洗濯槽とローラーが付いた
洗濯機です。
一様、生まれた時には、テレビと、冷蔵庫はもうありました。
これで、昭和の三種の神器が揃ったのです。
洗濯機のローラーで、押し花を作ったりしたのを覚えています。

玄関脇に3畳の部屋がありました。
そこが私の部屋で、大学生になっても使っていました。
大学生の頃の生活は、
3畳のスペースにベッド、小さなこたつ兼テーブル、本棚、タンス、押し入れにミニコンポーネント(昔はミニコンポーネントと言って、アンプ、デッキ、チューナーが重ねられるようになっていて、それにプレーヤーと、スピーカーが付いていたのです。あくまでミニでした。)
ポチポチ増やしたレコードと、漫画本を入れ込んでいました。
座ったまま、手が届く生活ですね😅

庭が広くて色んな果物の木を植えていました。
祖母の趣味ですが、柿、栗、桃、ぶどう、八朔、さくらんぼ、バナナ。
祖母が良く世話していたのでどれも美味しく食べました。
バナナも食べられました。 

で、一番は「ブランコ」
「ブランコ」があったんです。
家を購入したお祝いに、鉄工所勤めの叔父さんが作ってくれた「ブランコ」です。
近所に公園も無かった所です。
嬉しくて、よく乗っていました。
楽しい思い出で、今でも実家にあります。

現在は、まだ田んぼはあるものの近くに大きなショッピングモールもあり、バス停もすぐ近くにできており、便利の良い所になりました。
絵本に「ちいさいおうち」というのがありますが、どんどん周りが都会になっていき、そこだけ変わらない。そんな地域になりました。

もちろん、周りの家も、我が家も建て替えて、最初の家の雰囲気を残す家は、一軒しかありませんし、住んでいる人も、変わってしまった家もあれば、最初からいる人もその子達へと世帯主が変わってしまっています。
私の家も、私が嫁に行き、両親も亡くなり、
今は空き家です。
たまに、法事で行くだけになりました。
中々整理が出来なくて、そのままになっていますが、処分してしまうと大分との縁が切れてしまうかと思うと、今はまだ出来ないでいます。

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