昭和なアパートの生活
30歳前後に、大分の実家を離れて一人暮らしをしました。
ある会社に、入社したんです。
(バブルが弾けてあおりを受けました)
田舎に引っ越したので、アパートを探すも大変!
台風が来た後だったので、どこもブルーシートが屋根に掛かっていて、ボロいアパートだらけでした。
綺麗なアパートは、値段が高くて借りれなくて
安いところを見つけました。
古くて、昭和を感じるアパート(多分築30年は経っていたと思います)ですが、ブルーシートは掛かってなくて、丈夫さが魅力的でした。
二階建てのアパートは、一階が無くて、下は、木材置き場になっていました。
そう、大家は材木店で、台風の後、いち早く修理が出来ていたのです。
ですから、大家が頼もしくて決めました。
間取りは6畳2部屋に2畳ほどの台所、室内ガス釜で、水を入れた後沸かすタイプでシャワー無しのまたぐのに苦労するほど高い浴槽のお風呂、水洗ながら、和式のトイレがあり、一応、室内に洗濯機置き場はありました。
階段登ってすぐの部屋で、奥にあと二件ありました。
セキュリティも、無くて、ドアをコンコンと叩いての訪問方法、奥の住民や郵便屋さんなど階段を使う人がいるとカンカンカンと、鉄階段の音が響く、昭和なアパートでした。
階段の下には駐車場があって、とても安いアパートだったと思います。
部屋は広いのですが、ベランダが無くて、洗濯物は部屋干しで、部屋にローブを張り巡らせ洗濯物だらけになって部屋が埋まり、洗濯部屋に!
いつもは、もう一部屋で生活していました。
夏は窓を開けると風が入ってきて涼しく、過ごしやすかったのですが、冬は、床下が、材木置き場で吹き抜けの為、ジンジンするほど足元が寒くなり、ホットカーペットを購入したほどです。
エアコンも付いていなかったので、ストーブで暖を取っていました。
そこへは、実家暮らしの多い、会社の女の子達がよくやって来て、ご飯を食べたり、おしゃべりしたりと、2年ちょっとですが、楽しい一人暮らしを満喫しました。
今では懐かしい昭和を過ごしました。
ある秋の日、飲み会があり、アパートに車を置いて、ジャケットを羽織り、歩いてお店まで行きました。
お店まで2km程だったと思います。
交差点で、信号待ちをしていると、なんと無く視線を感じていたのですが、何かわかりません。
ショーウィンドウに姿を映して見るも、顔に何か付いている様には見えません。
そうしていたらお店に着いて、皆んなと合流しました。20人ほどいたと覚えています。
お店の奥の座敷に陣取り、ジャケットを脱いで飲み会の始まりです。
いいくらい酔いも回って来た頃、二次会に行こうとなりました。
ジャケットを着て、座敷を後にしようとした時、誰かが、
「嫌だー!、ストッキングがここに落ちてるーーーー❗️」
の声で皆んな振り返り、それぞれに酔いもあってか、言いたい放題!
私も、
「えーー❗️、なんでストッキング落ちてるの⁉️恥ずかしいーーー❗️」と皆んなと一緒に笑って過ごしました。
その夜、家に帰ると、洗濯物を干している部屋に、ストッキングが一枚ありません❗️
そうです。出かける時にジャケットを着た際、襟に引っ掛けて、ましてや、そのストッキングを襟からぶら下げて街中を歩いていたのです💧
周りの人の、変な視線はこれだったのか、、、
後ろに垂れていたのでショーウィンドウにも映らなかったのでした💦
恥ずかしさMAXでした。
次の日、会社では、まだストッキングの話が回っていました💦
最後まで、みんなの話に相槌を打って、嘘を突き通したのはもちろんです❗️
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