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あくたんの卒業について〈V屋のひとりごと〉 #5


 V広場へようこそ。管理人のMottyです。
 今回は、一昨日(2024/08/28)に正式にホロライブを卒業した2期生の湊あくあさんについて、少しお話したいと思います。


 本日のお品書きは以下のようになっています。



卒業発表を聞いて


 卒業発表の生配信「大切なお知らせ(残念なほう)があったのは2024/08/06のこと。その日、私はちょうどバイトが入っており、お恥ずかしながら配信があることも全く知りませんでした。ただ、あくたん推しの友人から「今日の生配信見れなそうで泣きそう」という話を聞き、「今日そんな大事な配信があるんかあ」とテキトーに受け流していた記憶はあります。

 そして、その事実を知ったのは仕事が終わった後。ちょうど配信が終わったくらいの時間でした。

 バイト先の階段を降りている間、なんとなくラインを見てみると、その友人から「泣きそう」というラインが来ていました。
 私はてっきり配信を見れなかったのかと思い、「今ラインできてるんやったら、配信みれたんちゃうん?」と返信。しかし、「見れたから泣きそうなんだよ」という返信が返ってきて、不思議に思った私は配信の内容を確認。

 そうして、事の顛末を知ったのでした。

 私はこのブログを作るにあたり、様々なVtuberさんの配信を見ています。その中には登録者数があまり多くない方もおられ、そういった方は残念ながら活動休止や卒業をされてしまうということも多いです。
 Xでそういう報告を見ることも多く、その度に「あぁ…」という、寂しさのような、儚さのような、それでいて妙に納得したような、そんな何とも言えない感情になっていました。
 悲しくないというわけでは全くないのですが、心のどこかで予期していたような気もしていました。だからこそ、なんとも言えない複雑な感情になっていたのです。

 しかし、今回は事情が違います。私は、あくたんが、というより、ホロライブメンバーが卒業するとは思いもしていませんでした。
 よくよく考えてみれば、ホロメンだってVtuberなわけで、一生Vtuberをやっているということはないだろう、というのは当たり前、そう、当たり前の話なのですが、それでも「あと3、4年は大丈夫だろう」となんとなく高をくくっていた部分がありました。

 ですので、今回の卒業発表を聞いた時に最初に抱いた感情は困惑でした。悲しさや寂しさより困惑が先に出ました。
 「えっ、なんで?なんで卒業?」
 卒業という大きすぎる事実を、ちゃんと飲み込むことができませんでした。

 結局、その日は自分の中でも上手く折り合いをつけることができないままに終わってしまいました。



意外な共感


 しかし、卒業発表配信をじっくり最後まで見たことで、私の中で少し気持ちの変化がありました。
 配信の中で、あくたんは卒業理由を「会社との方向性の違い」と話していました。小さい規模から始まったホロライブが大きくなるにつれて、色々とズレが出てきた、と。
 それに関して、私は少し共感できるところがありました。

【※ここからは私自身の考えになりますのでご注意ください。】

 ホロライブは今やVtuber界のトップオブトップで、配信だけでなく、ライブやグッズなど様々な形でファンを喜ばせてくれるようになっています。それは我々ファンにとってはすごく嬉しいことで、やっぱり推していて楽しいなと感じることは多々あると思います。

 でもやっぱり、ライブやグッズなどの大きな喜びと引き換えに、なんというか、Vtuberらしさという小さな喜びを失っているような感じがするんです。

 そもそものVtuberの魅力って、やっぱり距離の近さだと私は思っています。3次元のアイドルがライブなどの限られた場面でしか会えない中、Vtuberはかなりの高頻度で会うことができますし、コメントがちゃんと拾ってもらえます。3次元のアイドルだと中々知れないようなリアルな話も聞くことができる。
 これがVtuberらしさというものだと思いますし、私はそれに惹かれてVtuberにハマりました。


 しかし、ホロライブは今や沢山のファンを抱えるようになりました。世間からの認知度も高くなり、外部の仕事が増えたり、資金の増加で大規模な還元ができたりするようになりました。それはファンとしては喜ばしい一方で、距離感が遠くなってしまったという問題も生まれてしまったように思います。
 これは、誰が悪いというものでもなく、ただ結果として起こってしまったものだと思います。カバーだって会社なわけですから、利益を増やすためにそういった大規模なコンテンツに舵を切るというのは何ら間違ったことではないと思いますし。
 でも、結果として、そうしたVtuberらしさが失われてしまった。Vtuberへの典型的な悪口として、「大量の金を払ってスパチャしてるのに、一瞬読まれただけで終わりじゃん」みたいなものがあります。それを真に受ける必要はないと思いますが、一方で距離感が遠くなってしまったことの弊害の一つとして、それは確かにあるものだと思います。

 繰返しですが、これはあくまで私個人の感想で、あくたんの気持ちがこれと一致しているのかは私には分かりません。そのことだけはご了承ください。
 ですが、私はあくたんの話を聞いて「それが原因なのかなあ」と漠然と思ったまでです。Vオタのテキトーな妄想だと思ってください。


「あくたん」という人


 今回の件で、私は「あくたん」という人に触れたような気がします。これまでのアバターを介してのあくたんではなく、人としてのあくたんです。彼女が一人で考え、悩み、泣きそうになりながらも卒業を決断した姿は、Vtuberではなく、人のそれなんだと思います。

 だからこそ、私は少し人としてのあくたんに触れられたことに嬉しさを感じました。これまであくたんが「Vtuber」として、あるいは「アイドル」として活動するためにつけていた鎧が、少し剥がれたのかな、と。
 それは彼女にとってとても大きな出来事だったと思います。今後彼女が湊あくあの鎧を脱いだときに、一人の人間としてのびのびと生きてほしい。あるいは、別の鎧を着ることになったとしても。
 それが、私の切なる願いです。



卒業ライブ


 そして迎えた2024/08/28の卒業ライブ。あくたんが終始ポジティブに振る舞っていたのが印象的でした。それがファンにとっては一番だと思います。本当に。

 悲しく終わるのではなく、明るい気持ちで卒業するというのがあくたんらしいと思いました。そして、それを暖かく送り出すあくあクルーもすごく良かったと思います。

 あくたんが明るく卒業を迎えると決めたのだから、それを悲しむのはやめよう。そういう結束感のようなものがあったように思います。私も最後は明るく見守ることができました。

 今回の卒業ライブは、Vtuber史上最も同接数が多かったらしく、70万人を超えていたそうです。70万人を超える人が、あくたんという一人の「人」を見つめ、その背中を押している。素敵なことだと思います。

 以前Motty爺シリーズで話した通り、私が初めて知ったVtuberはあくたんでした。


 Vtuberがどういうものかを私に教えてくれたのは他でもないあくたんです。ありがとう。そして、お疲れ様です。
 これからも元気で過ごしてくれたら嬉しいです。


 おつあくあ~。


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