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私を構成する10冊の本①

 これまでの人生で、いくつかの本を読んできました。

 この一冊で人生が変わった、ということは、一度もありません。しかし、これまで読んだ本(それからそれ以外のコンテンツたち)が少しずつ蓄積して、固まって、今の自分があることも、事実だと思います。

 そろそろ良い年齢になり、例えば地層のように、これらの蓄積してきたものたちを観察できるようになってきたと感じましたので、備忘を兼ねて、ここに残したいと思います。

 そこで、ここでは、これまで読んできた本の中から、この記事を書いたタイミングで頭によぎった本(フィクションに限らない)を10冊、あげてみようかなと思います。

 ちなみに、本の表紙画像を無断で記載するのは著作権法違反なので、タイトルや著者名くらいにとどめ、感想をメインに書いていきたいと思います。

 以下の順番は、単に思いついたものの順番になります。思ったよりも長くなってしまったので、半分は②にしたいと思います。

No.1 「ファイナルファンタジーVIII アルティマニア」

スタジオベントスタッフ編集、1999年発行

 いきなりゲームの攻略本? と思われる方もおられるかもしれません。しかし、間違いなく、私の人生で一番読んだ本です。当時、まだ小学生でした。思い出深く、地元を離れて就職する時にも、結婚した時も、この本は持ってきました。今でも本棚にあり、時々読みます。読み物としても優れていると思います。

 ゲームの内容の説明は、他に多くの解説があると思いますので、ここでは割愛したいと思います。

 私の極めて狭い範囲での観察によれば、それまでのゲームの攻略本というのは、例えばコースが書いてあって、ここにアイテムがある、と言った情報がほとんどだったように思います。

 ところが、この本はまったく違いました。通常では無関係のように思われるパラメータ、イベント、そうしたもののすべてが網羅されていました。私が最も惹かれたのは、このマニアックさに他なりません。辞書のように分厚いながらも、フォントは小さく、「これでも足りない」と言わんばかりです。

 スタッフのインタビューが掲載されているところも、非常に面白かったです。製作者が密かに追加した部分を語り合うような場のように感じられたのが、構成として素晴らしかった。初めてのアルティマニアということで、製作者側にも気合が入っていたのかもしれません。

 一方で、以降のアルティマニアや類似の攻略本では、データ量の増加に伴い、内容は原点に戻っているような気がします。分厚い割には、心が躍るような情報がありません(これももちろん、極めて狭い範囲での観察ですが)。

 この一冊は、それほど奇跡的だったのではないでしょうか。

 ちなみに、私の最も読んだページは、カード「Triple Triad」関連です(みんなもそうですよね??)。


No.2 「すべてがFになる THE PERFECT INSIDER」

森博嗣著、1996年発行

 ようやく小説の登場です。これはミステリィにあたり、当時は、理系ミステリィと呼ばれていたようです。

 それまで私が読んでいたのは、友人の勧めで読んだホームズや浅見光彦といった、正当的なミステリィでした。また、江戸川乱歩や初期の宮部みゆきなども読んでいました。それより何より、小説よりもマンガを読み漁っていました。

 この本は、当時中学生くらいだったと思いますが、文庫で読みました。父が持っていたのを借りたのです。

 それまで読んできた本とは、大きく異なりました。それは、「映像的」「少女マンガ的」と言えるかもしれません。特に素晴らしかったのが、会話です。非常にお洒落で、リアリティのある飛躍の仕方をしていました。思えば、この本の表紙に引用されている印象的な文章も、会話からでした(今の版ではなくなっているかもしれません)。

 理系と言われる所以は、私にはわかりませんでした。単に、主人公の職業なのか、あるいは登場人物たちがそうなのか。私が思うに、主人公の事件への介入の仕方と、動機への興味のなさが、そう言わせていたのではないか、と思います。まさか、コンピュータ用語が頻出するくらいで、理系ミステリィと呼ばれるほど、単純ではないでしょう・・・。

 その後、数十年に渡り、森博嗣の作品は読み漁りました。「スカイ・クロラシリーズ」や「百年シリーズ」は、自身の読解力がもう少し上がってから読もうと思い、まだとってあります。今では、もしかしたら卒業したかもしれません(森博嗣をではなく、読書を)。

 今回は、4周ほどした「犀川&萌絵シリーズ」の第1作(執筆順は第4作)としました。最も好きな作品はまた別にあります。シリーズで言えば、「ISEEシリーズ」が最高傑作だと思います。

 このシリーズと、父の仕事が、私の理系志望を決めた、とも言えます。恥ずかしいですね・・・。


No.3 「フィッツジェラルドをめざした男」

デイヴィッド・ハンドラー著、河野万里子訳、1992年発行(日本版)

 森博嗣が、「森博嗣のミステリィ工作室」という本の中で、100冊の本を紹介するコーナがありました。本についてどのように出会うかは、書店を巡る以外には、「名探偵コナン」のカバー折り返しの名探偵紹介を見るか、父の本棚を覗くか、この本を読むか、しかありませんでした。特筆すべきは、小説に限らず、様々なジャンルが紹介されていること、そして、決して押し付けがましくないことでした。

 この本も、その中で読みました。今にして思えば、「犀川&萌絵シリーズ」に酷似しています。当時はもちろん、それがわかりませんでした。例えば、事件への介入の仕方、会話などが顕著に思います。具体的にというわけではありません。言うなれば、雰囲気、ということになってしまうのですが・・・。同じ原石を磨いて、違う形に仕上げた、とでも言うのでしょうか。

 微妙に会話が噛み合っていなかったり、主人公とその元妻との距離感といったところが、リアリティがあり面白いのです。事件そのものなんてどうでも良い、とさえ感じます。これは、「犀川&萌絵シリーズ」でも同様でした。両者とも、少女マンガ的、と言えば、もしかしたら伝わるでしょうか(無理かもしれません・・・)。

 とうの昔に完結したと思っていましたが、ある時ふと、作者のページを見ると、なんと続編が書かれているではありませんか! 当然ながら英語なのですが、どこかの出版社が翻訳してくれないだろうか、とずっと思っています。自分ですれば良いのですが・・・。


No.4 「ジャッカルの日」

フレデリック・フォーサイス著、篠原慎訳、1979年発行(日本版)

 この本も、「森博嗣のミステリィ工作室」で知りました。影響を受け過ぎて恥ずかしいですが、それほど最適なブックガイドだった、ということで・・・。

 この本は、今まで読んだ本の中でもトップです。今思えば、これに匹敵する本を探してきたとも言えます。それほど素晴らしかった。

 ジャッカルが、むちゃくちゃ格好良いのです。これに尽きます(尽きてはダメです・・・)。あとは、歴史的事実としてありそうなリアリティ。もしかしたら、モキュメンタリィの走りでは? 「タローマン」にもこの種の執念を感じますから。

 終盤にルベル警視が、味方のはずの関係者に仕掛けた罠など、見事としか言いようがありません。要所で、最高レベルのトリックがさらっと出てきます。そして、歴史に残る完璧なラストシーン・・・。今でも溜息が出ます。

 「羊たちの沈黙」も「深夜プラス1」も、同様の素晴らしさがありました。私にとっては、ほとんど同じジャンルに入ります。いずれも、硬質の文体、ハードボイルド要素、息詰まる知能戦などなど、最高の作品たちです。

 この本は、本屋で見つけることができませんでした。結局、ネットで購入した記憶があります。フィジカルの書店に限界を感じたのは、この時がきっかけです。今では、子どもの本を探しに行く時くらいしか行かなくなりました。以前は、毎週本屋を巡っていたものですが・・・。

 この種の本を読むと、創作意欲が失われます。これよりも良いものが作れるはずがないからです。 


No.5 「犯罪」

フェルディナント・フォン・シーラッハ著、酒寄進一訳、2015年発行(日本版)

 こうしてみると、ミステリィが好きなのでしょう。この作品は、就職してから読んだ記憶があります。ただ、ミステリィと言って良いのかどうか。わかりやすい起承転結もなければ、絶対的な悪がいるわけでもない。単に、事件が起こり、犯人が捕まる、ということくらいしか、ミステリィとしての共通点はないように思えます。そもそも、ジャンル分け自体が不毛でしょう。

 この作品は、非常に怖かった。これ以上のリアリティはないでしょう。感情や意見を排斥した文体は印象的でした。隣の部屋で行われているような怖さがあります。お化け屋敷やジェットコースタなら、近づかなければすみます。世の多くの本は、こうした装飾が施されているでしょう。しかしこれは、読んでみなければわからなかったし、読んでからしばらくして感じる恐怖、とでも言うのでしょうか。

 この文体は、大江健三郎を初めて読んだ時に、似ているな、と感じました。一方で、文章を短く区切るというスタイルは斬新で、まるで報告書を読んでいるような格式を感じます。何よりも、とても読みやすい。短編集ですが、一つの作品としても読むことができる。個々の作品に、それほど独立性を感じないのは、やはりこの文体のせいかもしれません。

 文体というのは、骨格にはなり得ない、と私は思います。それでも、外見のようなもので、一番わかりやすいものの一つでしょう。話題にしやすい、とも言えます。優れた作品は、優れた文体を持つのも、また事実です。しかし、結局は、骨格を何にするのか、というところでほとんどが決まるのではないかと思います。この作品は、やはり骨格が素晴らしいです。骨格に沿った文体だった、というのが正確でしょう。

 この作者の作品は、これ以外に読んでいません。それは、前述した怖さのためです。基本的に、怖いものからは遠ざかりたいので・・・。

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