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お金は何のためにあるのか??

お金の話をもっとした方が良い

 新NISAが始まりました。私はこれを、「国はもう面倒を見ないから、自分で何とかしなさい」という意味だ、と解釈し、少しずつ勉強を始めています。それが良い悪いかは自分で決める必要があるでしょう。そのため、まだしばらくは、勉強したいと思います。しないかもしれませんが、するかもしれません。いずれにしろ、自分で決めるのが肝要です。

 家族とも、お金に関する話は積極的にするようになり、これは、良い傾向だ、と思います。

 不思議なことですが、日本人は、お金の話を嫌う傾向にあるようです。これは非常に不思議なことです。皆さんが毎日仕事をしているのは、お金を稼ぐためであるにもかかわらず、です。

 一方で、自慢するようなことでもありません。それは、足が早いとか、ジャンプ力がある、ということと、どれくらいお金を稼ぐことができるのか、ということが似ているためだ、と思います。自慢することはできるでしょうが、「へえ・・・」というだけで終わるでしょう。

 例えば、子供は、(私の場合は)親の仕事のことをあまり知りません。ましてや、月にどれくらい稼いでいるのかも知らない。これは、ある一定の年齢になれば、共有してもいいのでは無いか、と思っています。というのも、子供が進路を決める指針の一つになるからです。

「どうして勉強しなければならないのか」という問いに対する答えの一つがこれだ、と私は思います。勉強をすることは、自身の選択肢を増やすことです。選択肢を増やすと言うことは、イコール、稼ぐ力を得る、と言うことに他なりません。

 そういった現実、あるいは当然の事実を教えることなく、子供たちは、突然、進路決定や受験というタイミングを迎えてしまいます。その場合、受験や就職活動というのは、短距離走的な力が求められるでしょう。

 しかし、長距離走が得意な子供もいるはずです。そうした子供は不利になり、いわゆる失敗、という状況になってしまいます。本来、失敗などというのは無いはずなのですが、それでも、自身が挫折感を覚えてしまうということは十分にあります。

 高校一年生の段階で、あるいはもっと前の段階で、こうした現実について知っていれば、自分がどのようなタイプなのか、どのような進路をとるのか、考える時間が増えます。それによって、攻略方法が変わってくるでしょう。そのためにも、お金の話はタブーだ、という風潮は、考えものだと思います。

私の金銭感覚はどうだったのか

 結婚生活を始めた時に、最もギャップがあったのが、金銭感覚でした。

 奥様(あえて敬称略)は、計算が苦手で、家計簿などつけられない、というタイプでした。そのため、一時期、私が家計簿をつけて、それから奥様に引き継いでもらう、というやり方を取りました。その間、私はできるだけ倹約するように努めましたし、それを相手にも強要しました。それが必要なことだ、と感じていたからです。

 前提として、私の家庭は、共働きではありません。奥様は専業主婦をしています。パートもしていましたが、子供が産まれてからは一度も働いていません。私は、自身の給料を全額奥様に公開していますし、へそくりもありません。

 ある時、奥様に、家計簿を見せてくれ、と言いました。すると奥様は、「もうつけていない」と言いました。私は愕然としました。家計簿もなしに、どうやってやりくりしているのか? そんなことが可能なのか?

 奥様は、口座をいくつかにわけて、給料日に代表口座からそれぞれに振り込み直している、と言いました。その中の一つに食費、光熱費といった生活費専用の口座があり、そこに毎月決まったお金を入れている。それ以外は貯金したり、プールしたりしている、ということでした。それぞれの口座の通帳もすべて見せてくれましたので、へそくりのようなものはないこともわかりました。

 奥様曰く、「細かすぎると精神がもたない」「お金は貯めるのも大事だが、使うのも大事」という話でした。若かった私は、それが理解できずにいましたが、家計を任せている以上、もう少し様子を見ることにしました。

 しばらくして、変化がありました。それまでほとんど行かなかった外食に行く回数が増えたり、小遣いを増やしてくれたりしたのです。どこにそんな余裕があるのかと尋ねると、毎月の給料で十分できている、ということでした。私は、一般的な会社員です。金持ちでは決してありません。

 不思議なことに、精神的にも変化が訪れました。倹約と豪勢な日を設けることで、それまでの倹約続きの生活よりも、日々の生活に潤いが生まれました。私も、与えられた小遣いの中で欲しい物を買うことができるようになったり、美容院でカット以外にもパーマなどを当てられるようになりました。

 貯金の増加は、瞬間的に緩やかになりましたが、今では、年間に100万円くらいは貯金できているはずです。もちろん、学費や旅行などに使うのですべてが貯金されるわけでは無いですが、それでも増加傾向にはあります。

 私の倹約には、一つ、大事なことが欠落していました。それは、「すぐにできる貯金はない」ということです。目の前の金額に考えが行きすぎていたわけです。その結果として、家族の中に不満が生まれていました。私のやり方は、少なくとも私の家族には間違っていたわけです。

 貯めることはもちろん大事で、続ける必要はあります。ですが、余剰をすべて貯金する必要があるかといえば、そんなことはなかったのです。

 車を買って、さて、どこに行くのか。パソコンを買って、何をするのか。これらと同じように、お金を貯めて、何をするのか。短期的なことよりも、長期的、少なくとも十年以上先にあれば良い、そしてそれは見通しがついている、ということが見えていなかったのです。

 一方的な私のやり方が続いていたとすれば、おそらく離婚していただろうと思います。対話を試みたこと、イニシアチブを明け渡したことが、私の人生のファインプレーの一つだと思っています。

金銭感覚のスタンスが重要

 私の家には、車がありません。そのため、車代はもちろん、駐車場代、ガソリン代、車検費用、その他諸経費が一切ありません。必要な時はタクシーを使いますが、これらに比べれば、大した金額ではありませんし、そもそも使用頻度も低いです。

 スマートウォッチもありません。スマホは仕方がなく持っていますが、一番安いタイプ、あるいは型落ちです。

 世の中には、大きな車が増えました。細い道に擦りそうな車幅。駐車時は敷地から道路に少しはみ出ていたりします。しかし、それを買って何を運ぶのか。普段は空気しか運んでいないのは目に見えています。月に数回の運搬のために持っているとしたら、本当に必要なのでしょうか。

 車が好きだから買うというのは、理解ができます。しかし、時々の運搬のために持っているのだとしたら、何とも贅沢なことだ、と思うのです。

 子供に習い事をさせる。それは子供がしたいといったのか。周りの子供がしているから、うちもなにか、と焦って決めたのではないか。

 自分へのご褒美だと言って、定期的に高い買い物をする。しかしそれがなくても生活は困らないのではないか。

 こういった、「何のために金を使うのか」というスタンスが、極めて重要だと感じています。

 私の場合は、「欲しいものは買う」「買えないものは買わない」これだけです。

 借金は、自宅のローン以外にはありませんし、ローンも微々たるものです。食費の方が高いくらいです。車をローンで買うというのが信じられません。私なら、買える金が貯まるまで待ちます。それができないのなら、車など買っている場合ではない、と思います。

 他の人が持っているから欲しい、ということもありませんし、自慢したいということもありません。うらやましいこともまったくないです。他人の生活にそれほど興味がない、ということかもしれません。

大人とは「精神的・金銭的に」自立した人のこと

 私は、就職と同時に家を出て、一人で暮らしました。ほどなくして結婚し、子供が生まれました。この間、金銭的な援助を要求したことは、結婚式の開催の時だけでした。これは、恥ずかしいことだった、そこまでして開催しなくてもよかった、と少し思っています。

 両親とは、金に関する話を積極的にしています。老後の蓄えはあるのか。同居しなくても大丈夫か。そういった話をします。あちらは、問題ない、とだけいうので、その言葉を鵜呑みにしています。こちらには面倒を見る余力はないから、何とか自分でできるところまで行ってくれ、という話もします。それくらいの話は必要でしょう。

 詳細は書けませんが、身近に、介護で苦労していた人間がいたことが大きいと思います。十分に会話してこなかった、意思疎通してこなかったせいだ、と私は思いました。また、親は子供に苦労をかけるのが普通だ、と言った考えもあったとしたら、それはとても残念なことですが、今となっては知る由もありません。

 私は、たとえ自分の親であっても、同居もしたくなければ、同じ敷地にいるということも、おそらく耐えられなかったと思います。それは、自立した、とは言い難い状況だと、私は感じるからです。好き嫌いとはまったく別次元の話なのですが、おそらく大多数には理解されないことでしょう。ですが、向こうが「必要だ」といえば、万難を廃して助けに行くでしょう。

 もちろん、いろいろな人がいるでしょう。私はそういうタイプだ、というだけの話です。非難するつもりは毛頭ありません。

 両親とは、年に数回、電話をする程度です。年末年始に顔を合わせないこともあります。ですが、関係は極めて良好だと思います。良い友人になった、と思います。向こうからも、孫の顔を見せろ、などということは一度もありません。それがすなわち、自立している証拠です。

何のためにお金を貯めるのか?

 さて、冒頭に、新NISAのことについて書きました。ここまでお金のことを真剣に考えたことは、新婚の時の金銭感覚のすり合わせ以来です。

「やらないと損だ」「やったら損をするかもしれない」といった感想が溢れていて、勝手に焦燥感を感じるかもしれません。私もかつてはそうでした。しかし、「何のためにする?」ということに立ち返れば、そういった周囲の雑音に心を乱されることもないでしょう。

 もしやるとしても、完全に余剰となったお金ですることになると思います。前述のように、切羽詰まらないようにコントロールして、節制してきた人生だったのですが、少し勉強する必要もあるかな、くらいのことです。毎月の授業料だと思っています。

 投資が必ず必要だ、とはまったく思いません。ですが、時々こうして自身のスタンスを確認して、世間を観察し、発言や制度の裏を考えてみる、という機会は必要かな、と思っています。日本史を勉強することと、ジャズを聞くことと似ているな、と思います。

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