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「〇〇なこと」は、正しくは「わたしが〇〇と思っていること」だった

何のために発信(アウトプット含む)をするんだろう?


ここに真正面から答えられるようになった今
記事を書くことも、それを投稿などでシェアすることも、
面白いくらい躊躇がなくなり、


加速が止まらず、
記すことの嵐😎


やはり何事も、
自分の答え
を持つって大切ね。


先日から何度も書いている
誕生日企画から得た気づき。

今日もまた、新たなものを。

先日の
この発信、誰得?
にも繋がるのだが、


「〇〇なこと」というのは実は存在していなくて、「わたしが〇〇だと思っていること」というのが正しい描写なんだな、という気づきもあった。

「誰の得にもならない発信」
もとい
「わたしが誰の得にもならないと思っている(に過ぎない)発信」
のように。


例えば、
・人はお金を払いたくないはずだ


これ、
自分が受け取る側のシチュエーションでは、かなり濃厚なスタンダードになっている(いた)考え方でして。


・高いと売れない
・安い方が売れる
・値下げは親切
・値上げしたら売れなくなる
・高額商品は売れない
・セールスは嫌われる


このあたり、ね。

ありました、わたしの中にも。


でも、今回の企画で
めちゃめちゃわかった。

・人は、値段で選ぶわけではない。
・安いものほど売れるわけでもない。
・高いものも、売れる。
・支払いを嫌がる人はいない。


めちゃくちゃ大事です。


わたしが勝手に
ネガティブなイメージを採用しては
あたかも事実かのように思っていただけ。

忘れるなよ、わたし!

まぁもう、潜在意識が変わったから大丈夫🙆‍♀️なのだけれど、ね。


お金と並んで大きな気づきのテーマだったのが、
・周囲にシェアの協力要請をすること
へのざわざわ、ざわ。


これも、
とんでもなくザワつく案件だったのですよ。

①企画をする
②企画をまとめる
③SNS投稿なり(今はもうやっていないけど)公式LINEで告知するなり、自分なりの発信によるシェアをする

までは、
何の苦もなくできる。

が、そこ止まりだった。


・この企画をシェアしてほしい
が、言えなかった。

理由は、
・鬱陶しく思われたらどうしよう
・迷惑になるかもしれない
・反応してもらえなかったら嫌だ
・図々しいんじゃないか
・自分が得たいものを得るために、他人に力をタダで借りるなんてよくないだろう
・人はそんなためにいるわけじゃないんだから


などなど
まぁ際限なく出てきますね。。


つまりは、
・どう思われるか/悪く思われるのが 怖かった

これなんです。

どう思うか、
は、お相手次第だし、
そんな悪く思うはずがないし、
悪く思われたって別に、いい。


「〇〇と思われるだろう」
は、完全にわたしの思い込みでしかなく、
本当にどうでもいい(〇〇に何が入ってもいい)のだ。


他人にはそう思わないのに、自分にだけはそう思ってしまう病
(もはや病気と言っていいと思う)
が出てきたらそれは
左脳のまやかしが始まっている合図。

漠然と何かが怖いから、
そのリスクを避けるために脳が作り出している亡霊が見えるようになっているのだろう、多分。


ざわつきを十二分に感じながら、
シェアのお願いのメッセージを一人一人に出す、
というチャレンジをやってみることで、


「〇〇に違いない」
が間違いすぎであることを知った。

忘れるなよ、わたし!
その2
ということで、


ガクブルしながらお願いのメッセージを出したわたしに返してもらった愛のメッセージ、
残します。

みんな優しかったー
ありがたや。


やってみなきゃわからない。
やってみるとわかる。
やったからこそわかったことを大切に、


左脳があたかも事実かのように
「〇〇だから」と言ってくる
身を守るがための、悪意なきまやかしを採用しない勇気、

これをこの先は
現象化していく、と
決めて寝ます🥱

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