見出し画像

mind your own business. それを決めるのはわたしではない!

ここ数ヶ月、類を見ないほど振り切れているわたしは、
おかげさまで山ほどの気づきをいただいている。


それは、
やってみたからこそわかることだよね!
と、先日のインタビューでも
言っていただいたのだが、


本当にそうだな、と思っているところ。


それだけでなく、
自分の中に生じた問いや疑問に
ダイレクトに応えるものが
真正面からやってくる、
そんなことの連続で、

はい分かりました、の境地が
延々と続いているような感覚になっている。


「こんなこと伝えて何になる?」
「何のために発信する?」
「それ、いる?」
「誰のためになる?」
と、


根本というか
存在自体を疑問視するような気持ちが芽生えて


やーめた


となったのだが、


本当に必要なことは、宇宙はなくさない。

わたしの、こんな疑問に答えるかのようなものを次々にわたしに見せてきてくれた。


その一つが、
先日書いたものなのだが、

今日さらに、
大きな気づきにつながる答えを
見せてもらった。


それは、
とある書籍の読者レビュー
という形で与えられた。


実生活からの気づきをまとめた書籍に
寄せられたレビューには
「感動した」
「心洗われた」
「自分の気持ちを代弁してもらえたようでスッキリした」
「気づきを得た」
など、さまざまなメッセージがあった。

「こんなこと、わざわざ本にして何になる?」
「誰がわたしの私生活なんか、わざわざお金を出して買って読みたい?」

そう思おうとすれば、わたしの疑問の延長線上にそれは叶う。


でも全くそれは違った。

そんなこと言ったら、
世の中ノウハウ本以外不要
ということにならざるを得ない。

そのノウハウだって
「こんなこと知りたい人、いる?」
と、刃を向けたらそれまで。


わたしは間違っていた。

それに何の価値があるか、は
わたしが決めることではないのだ。


読み手が何を感じるか、まで
わたしが予め決めて
価値があるだないだと
自問自答するなど、


おこがましいにもほどがある。
越権行為も甚だしい。


それに、
わたしの発信を見て
「何の価値も感じない」
と思う方がいたところで
それはそれでいいのだ。

つまるところわたしは、
自分の発信に
誰も課していないような存在条件を課し
勝手にジャッジして
存在を許さない、という結論に
至らせていたのだ。


何やってたんだか…😤

気づいた、ということは
軌道修正完了の証。


よかったね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?