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ep53 村境ルート探索#9 (河俣集落跡−大峠山-牛廻山-大井谷その①)

前半は情報ゼロの山域


 2024年5月5日、十津川村南西端の集落跡をスタート地点として探索を始めました。ここの集落は河俣(こうまた)と言います。ここから北上して迫西川村境にどっかりと座る大峠山と牛廻山(うしまわし)を目指し、車をデポした大井谷を目指します。

今回探索した場所
実際に探索したルート

 この山域はネット上で歩いた人が居る情報が、大峠山周辺以外は全く見当たらず、村境トレイルの中でも不明箇所として重視していました。筆者は1人で行く勇気も無く、知り合いに声をかけ、いつ行こうか計画を立てていました。

 当初はゴールデンウィーク前半に行く予定でしたが、愛犬の腰痛により出発できず。よってゴールデンウィーク後半に募集を掛けたところ、心強いメンバーに手を挙げて頂きました。

 前半に同行いただく予定でキャンセルになってしまい迷惑をかけてしまったミッちゃん。何と前日に小辺路を走って十津川入り!100マイラー強し。兄貴も早朝に到着し、ここ数年で1番のガッツポーズにて、テンションマックス、意気揚々とスタートするのでした。

河俣集落


 河俣は筆者が十津川村に帰郷して仕事を始めた頃、1人の女性高齢者が住んでいました。殆ど龍神村生活圏内になり、すぐ隣には龍神村の集落があります。行政手続きや郵便配達物は十津川村管轄になります。寺垣内の知り合いは週に数回、配達物をスクーターに載せ、狭い山道を30分程かけ届けていました。

 調べによると、学校は龍神村の学校に通ったそうです。十津川温泉から龍神までは街道(旧龍神街道)が通っており、戦前地図を覗いてみると河俣には一本道が通っていて、龍神と十津川村の往来はそこそこあったと思われます。

 実際に十津川村上湯川寺垣内に住んでいたご老人から話を伺うには「おんれぇがちいしゃぁ時はしーたけもって龍神行ったもんや。その時5銭のおおきゅうな飴貰うのが嬉しゅうて堪らんかった」との事。頻繁に龍神まで干し椎茸を卸に行ったそうです。

 河俣は江戸末期に天誅組の河内勢10数名が逃げてきた所です。十津川村上湯川に居た尊皇攘夷派の同志宅に頼るも本人不在でした。家に居た弟が逃げて来た連中を徹底して嫌い、この河俣の小屋で酒と猪鍋でもてなし、寝入った時に爆薬を使って全員殺そうとしたそうです。

 計画は失敗でしたが、結局河内勢の志士は自首する事決め、紀州藩に出頭。2日ほど龍神村小又川にある百姓の倉で過ごします。今でも天誅倉として資料館と形を変えて残ります。

 爆破の件は何かの本で読んだ事があって、酷い事するなぁと思った事がありますが、改めて今回行った河俣だったとは。

 村境も時代を巻き戻すと色々な事があったのだと感慨深いです。

廃墟が並び寂しい雰囲気の河俣集落跡

河俣集落跡から大峠へ

さて、やっと山への入り口です。

 河俣集落の少し手前に小さな谷が流れ、橋がかかっています。そこから集落の裏山へ続く作業道を確認していました。ここら一帯は植林山で、特に近年は林業は重機を使って効率的に行うようになっています。表面的にはわかりませんが、一旦山の中に入ってみると、縦横無尽に作業道がついている場所が多いです。

 今回歩いた作業道は利用時よりかなり時間が経っている様でした。日当たりの良い場所は少々薮が広がっていて、多少崩れた箇所も散見しました。しばらく進むと作業道は終点になりますが、尾根道には少しばかり踏み跡があります。裏山の1番高いところに行くと竜神側からも登ってくる道があるようでした。転がっている空き缶やゴミを見る限り、時々山仕事の人が訪れているようです。

 ここからは、踏み跡の濃い尾根道を進むことが出来ます。細かなアップダウンや痩せ尾根はあるものの、滑りそうな場所にはトラロープが設置されていました。

 ある程度進んだところで、大峠山方面に行く尾根を見失いました。最近のナビゲーションはたいしたものです。ルートを少し外れると警告音とともにルート確認を促してくれます。ちなみに私は予定ルートの作成とGPSの記録はヤマレコアプリを使っています。

 大峠方面に行く尾根に取り付いてからは、薮の多いルートとなります。大峠山周辺も薮が多いと伺っていました。手前から薮が多くなってくるので、行く手をみ前進するのに時間がかかりました。ただ、通れないほどではありません。掻き分けながら前に進みます。
薮を一旦抜けたポイントを薮之助山としました。

トラロープ設置箇所
三等三角点 飴鞭薮之助山(適当)
飴と鞭の様な道が続き、楽しい山行

急に出てきた絶景ポイント
 ここまで全く眺望の良いところがありませんでしたが、いきなり北側の視界が開けます。そこは広大な伐採地の跡で、最近切り開いた場所のようです。景色を見た瞬間、『この場所に来たことがある!』という感覚に陥りました。実は数ヶ月前、千丈山のトレイルを探索した際、全く同じような景色を見ました。下の写真↓
『南屏風』と『北屏風』と勝手に命名しておきました。

果無山脈を千丈山方面から見た『南屏風』
大峠山から龍神へ続く尾根を見た『北屏風』
そっくりです

 太古より同じような気候で同じような分水嶺であったであろうこの地域の独特な景色だと思います。ただ違うのは、植林されているか否か。大峠山周辺は自然林が多く残っているので、季節によっては表情が全く違うものとなりそうです。今回は新緑が美しく最高の景色でした。まるで屏風のような形ですので、名前をつけてみました。

 更にこの場所からは遠く城ヶ森山の雨雲観測レーダー塔が見え、もう少し進んだ場所からは有田、広川にある風力発電の風車が羅列しているのが微かに見えました。空気が澄んでいたら海が見えたかも知れません。

城ヶ森のレーダーの施設がよく見えます。
近くに行くとこんなアンテナがあります。
目をこらすと白い風車群が見えます

作業道をを跨ぎ大峠へ
見晴らしの良い場所からは暫く下ります。このポイントが地図上ではややこしく見えて、探索には注意が必要だと思っていました。

実際には植林が広がる谷になっていて、素直に尾根を登れば平らな場所に出ますが、今回は獣道を辿って進みました。

 上手く平らなピークに付けば、あとは大峠山へ向かう最後の登り口まで下ります。このピークにはまるで人の肘に見えるヒメシャラの木が有り、一際目を引きます。ここを『肘神山』としました。

奇異な形となった木
自然の物は無骨で格好が良い

 ここを下ると、河俣の近く、龍神村から伸びる林業作業道を跨ぎます。この道はかなり奥深くまで続いているようで、後ほど訪れる牛廻山の下まで伸びています。

 大峠山の手前に、山の由来であろう『大峠』と言う場所があります。ここは龍神村小又川(途中から三ツ又へ行くルート)、十津川村迫西川の交差点であり、村境側はだだっ広い植林地帯となっています。迫西川と龍神村の交流は盛んだった様で、よく使われる峠だったそうです。

 作業道を跨いだ後はひたすらここまで登ります。薮が再び濃くなり、真っ直ぐ歩くことは出来ません。まるでアルペンスキーの回転を逆走する様なジグザグ歩きで登ります。ここは『薮次郎坂』と名付けます。

 大峠に到着すると、そのまま大峠山へ登る道と、牛廻山へのトラバース、龍神村小又川へ下る道と、我々が辿った交差点になっています。

作業道を跨ぐ場所は少々注意が必要です
大峠には目印があります

 次回は大峠から大峠山-牛廻山-大井谷への行程をご紹介します。ep54をお楽しみに!!

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