日本人特有のウンコみたいな協調性

上京して約半年。
僕は協調性についてよく考える事があります。 

日本人って良くも悪くも協調性を大事にする文化があると思ってて、良い部分をあげるとしたら
異なった環境や立場の人たちが同じベクトルを向いて一つの目標に向かって頑張れる事は日本人は他の国とかと比べて長けていると思うんだけど
自分がよく考えるのは例えば良好な人間関係を壊したくないあまり周りに流されて自分の意見が言えないとかいわゆる「八方美人」っていう奴です。周りの目ばかり気にしてしまっているのがすごく日本人は多い。それのせいで人と違う事が恥ずかしいみたいな事が起きてしまっているのが
生きづらく感じてます。
みんなは人と違う事が恥ずかしいって思い始めたのはいつからですか。
自分ははっきり覚えてるんだけど小1の頃スイミングスクールで○✖︎クイズがあって「1+2+3+4+5+6+7+8+9+10=55である○か✖︎か」みたいな問題があって小学校一年生だからそんなのすぐ計算できるわけでもなく自分の意思で✖︎を選んだんだけど、上級生もいたから俺とタメの人は上級生にくっ付いて○の方に行って自分一人だけ✖︎選んでめちゃくちゃ笑われたの覚えてる。保護者にも笑われたしお母さんにも笑われた。自分で出した答えに間違ったらこんなにも笑われるんだって思った。その後のクイズなんて何も面白くなかったし記憶にない。
つまり小さい頃から人に合わせるのは当たり前になってしまっている日本人って自分目線生きづらいし気の毒だなって思う。他の人から見たら僕は単なるワガママ人間に見えるのかもしれない。でも自分は自分の意見ズバズバ言えるタイプじゃないし心の中で思ってるだけだから逆にいうともっと生きづらい人間なのかもしれない。
だから地元の友達はワガママだし自分勝手だしでも自分の意思があるしキチガイな所を僕はめちゃくちゃ尊敬してるし大好きなんだと思う。
だから居心地がいいし自分が自分でいられる場所なんだなって思う。
僕は服が好きだから服装とかも目に行きがち。
流行りの服とか着てる人見ると気の毒だなって思うし、
エアーフォースワンとか履いてる奴いたらスーパー見下してる。
つまり僕は何が言いたいかっていうと日本人特有の変な協調性を無くせばもっと才能に溢れる人がたくさんいるんじゃないかなって思う。creepy nutsの「かつて天才だった俺たちへ」の歌詞とか聞くとまさにその通りだと思う。苦手だと思わなければボールと友達になれたかもしれないし、
頭が悪いとか思わなかったらフェルマーの定理だって解けたかもしれない。そーゆー周りの人とかの目ばっかり気にしなかったら0.1%の可能性ですら叶えられたかもしれないやん!って思います。もしこれを読んだ人がいるならば周りの目なんて気にしてたら人生勿体無いから自分が好きな事して好きな人と好きな所で色んな楽しい事した方がいいと思います。自分も楽しい事沢山します。

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