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就活解禁二週間前にコロナ陽性になった大学生

コロナ陽性になった。

しかも就活が本格的に解禁される二週間前に。

別にwi-fiがある環境でパソコンが使えればどこでだって就活できる時代だ。でも一人で部屋に閉じこもっているとぐるぐると思考がめぐる。めぐりすぎる。普段気にならないような埃まで取ってしまいたくなるし、目を逸らしていた就活への不安や疑問に立ち向かおうとしてしまう。

初めての投稿を陰鬱なものにはしたくないが、どうせ外出自粛で暇だ。大学生が就活について思ったことをポロポロとネットの海に流すくらいいいでしょ。

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小さい時から人と争うのが嫌いだった気がする。「隣の席の人と競いましょう」「クラス対抗でドッジボールをしましょう」「なんで試合で勝てなかったか考えてこい」とか。授業中、体育、部活中どこでも競争が起きててうんざりしてた気がする。まあ、自分が得意なことでは人より上手くやろうとか考えてた節もあるけど。なんか悶々としていた。

大学生になってある日の授業で優生思想について学んだ。構造自体はモノを優劣に分けて考えるしごく単純な思想だ。ただそれが経済や政治に適応されると途端に凶悪になる。

労働には効率と均一性が求められればそれに準ずることのできない障害者は劣ったものとみなされる。ある国の偉い人がある人種の純度を保とうとすれば純度の低い民族は劣ったものとみなされる。

こうしてある基準のもとに優劣を決める優生思想は合理的で排他的で競走や蹴落としとも紙一重のところにある考え方だと私は受け取った。

また別の授業ではダーウィンの進化論に関する現代の考え方について学んだ。いろいろな説が立てられている中で私が気になった話をかいつまんでみる。

ダーウィンの頃の進化論は単一の直線的な構造をしていた。人の進化を思い浮かべてもらうとわかりやすいが左から右に現代の人間のフォルムに近づいていっていることがわかる。

しかし現代の進化論では単一ではなく放射状に進化は進んでいるという見解もあるということだ。つまり種の全体が同一の方向に”進化”しているのではなくあらゆる向きに”変化”しているということである。

単一直線の構造の進化論では先ほど述べた優劣や陰陽、善悪のような二項対立で考えられがちだが、放射状の進化にはそういった二元の概念は適応しにくい。

しかも直線的な進化よりも多種多様な変化をする方が環境の変動によって種が全滅する可能性が低くなるんだって。

これは全くもって私の個人的な感覚だがつい最近までこの世界は二元的世界観に支配されていたと思う。戦争や宗教、こう言ったものは物事に優劣や善悪をつけるのにはもってこいのコンテンツである。

そこに現代になって急に男女の概念を壊すジェンダーとセックスの概念、障害者にも普通の暮らしをとバリアフリーの考えが生まれてきた。今まで二元的に物事を簡単にして考えてきた我々にとってこの考えを適応できない物事には分かった気にはなれても、完全に理解することはむまだ難しいのではないだろうか。

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ずいぶん話が逸れてしまった。

就活の話に戻します。

就活において何が言いたいかというと、なんか競争することを強いられてるような、そのレールにまんまと乗せられてるようなそんな気分になってくるということだ。

だって、マ○ナビやワ○キャリアに登録してたら就活は情報戦!早い者勝ち!行動は早く起こそう!って誰とも知らない同期たちとの競争を盛り上げるようなことばっかり言われるんだもん。

なんとか競争しない就活というのを正当化できないだろうかと考えた。就活に強い弱いや上手い下手といった考え方から抜け出さなくちゃならない。そこで思い出したのが進化論だ。就職というゴールに向かってみんなで競争するように自分を変えていく。こんな単一直線的な進化では時代の変化にはついていけないんじゃないか?進化論のように考えればこんなことも言えちゃいそう。

こうして、私はみんなとは違う進化先を目指した方がいいんじゃないかという結論に至った。

私は私だけの就活をコロナで自粛期間中の自室でひっそりと始めたのでした。




初めてのnote投稿で文章も拙い。こんなのを最後まで読んでくださってありがとうございました。気ままにかけるときに書いていくスタイルで続けてみたいと思います。


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