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読書#9 人はなぜ苦しみを感じるのか②

『無(最高の状態)』読書メモの続きです。
今回は、第1章 自己のメモを記します!
とても勉強になることが多く、メモが多くなってるのですが、ご容赦ください🙇

第1章 自己 

人間だけが苦しみを感じている

ひとつだけ動物と人間には重要な違いがあります。それは、哺乳類は苦しみをこじらせない、という点です。

苦しみのトリガーとなるイベントは、どんな生物、どんな人にも等しく訪れるものです。
でも、それを苦しみに変えてしまうのは人間だけのようです。
なぜ人間は苦しみを感じるのでしょう?

苦しみの起源

その答えを導くために、本書では「苦しみ」を深く掘り下げて、苦しみの共通項を探しています。

怒り、不安、悲しみ、恥、虚しさ。いずれもごく日常的な感情ですが、発生している「苦しみ」の種類はそれぞれ違います。これらの状況に共通するポイントとは、いったい何でしょうか?  
結論から言えば、すべての状況は「あなたのニーズが満たされない状態」としてまとめることができます。
すなわち、私たちの「苦しみ」は、あなたに〝不足〟を知らせるメッセンジャーとして機能しています。

つまり、苦しみは人間が生存するために必要な機能だったわけですね。逆にいうと、その機能が発達したものが生存しやすかったと言えます。
では、なぜ現代ではその機能をこじらせてしまっているのでしょうか、、?

真の苦しみは〝二の矢〟が刺さるか否かで決まる

ここで、苦しみの本質について話が及びます。
例として、原始仏教の教典「雑阿含経」の話が紹介されています。

いまから2500年前、古代インド・マガダ国の竹林精舎にて、ゴータマ・ブッダが弟子たちに問題を出しました。 
「一般の人も仏弟子も、同じ人間であることに変わりはない。それゆえに、仏弟子とて喜びを感じるし、ときには不快を感じ、憂いを覚えることもある。それでは、一般の人と仏弟子は何が違うのだろう?」

その違いとして、ゴータマ・ブッダは

「一般の人と仏弟子の違いとは、〝二の矢〟が刺さるか否かだ」

と答えたという話。
一の矢は、身の回りの出来事そのもので、その根本を避けることはできません。
ところが、一般の人はさらに〝二の矢〟を自分に放ってしまう。
なぜ自分だけこんな目にあうのか、これからどうすればいいのかと。

これが〝二の矢〟です。「半身不随」という最初の矢に反応した脳がさまざまな思考を生み、そこに付随して表れた新たな怒り、不安、悲しみが次々とあなたを貫き、いよいよ苦しみは深まっていきます。

同じ状況に陥ったとしても、捉え方が人によって全く違うことはよくあることだと思います。
二の矢、もしくは、三の矢以降をどうやったら放たなくて済むか、そこが苦しみから解放されるために重要なことと言えそうです。

ここから、苦しみはすべて「自己」の問題に行き着くという論が示されていくのですが、長くなったのでまた分けて書きたいと思います。


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